第6話「奴隷デビュー」

 数日後、素っ裸で猿轡さるぐつわを噛まされた黒狼は行商に引き取られていった。

 履いていた靴と靴下は村の人間に剥ぎ取られている。彼らは用心深く迷信深い盗賊アーロンと違い、靴裏の模様は気にならなかったらしい。靴と靴下は黒狼と共に行商に売られ、いくばくかの硬貨に変わり村の蓄えになった。


 この村の村人たちは魔族の噂は知らなかった。肌の綺麗さから貴族かそれに近い立場の者であり、言葉が通じないことから外国人だろうと判断しただけだ。

 顔立ちや耳の形の違いについても、特に深くは考えなかった。外国人とはそんなものだろう、くらいにしか思わなかったのだ。この国の一般的な開拓民が外国の人間と触れ合う機会など普通はないため仕方がない。


 この夏は何度も嵐に見舞われたため、秋の収穫は期待できない。となると、なんとか現金を用意して行商から食料を仕入れなければ冬を越すことができない。

 この外国人貴族奴隷と食料を物々交換することで、必要分を賄うことができるのではないか、と話し合いで決まったのだった。

 まさしく神の恵みだ、と村人たちは神に感謝したという。


 一方黒狼を買い取った行商人の方は、魔族の噂を知っていた。

 おそらく外国の貴族だろうと村人から引き渡された黒狼を見て、いやあるいはこれは魔族かもしれない、と考えた。

 そうでなかったとしても、少なくとも自分たちとは違う種族であることは間違いない。顔立ちも髪色も、耳の形も全く違うからだ。外国人どころではない。全く別種の人類だ。なぜか裸──村人からは靴は売られたが服は無かった──だが、肌がきめ細かく滑らかなことから、もしかしたら始めからこういう姿で生まれる生物なのかもしれない。たとえば巨人の子供とか。巨人など、お伽噺でしか聞いたことがないが。

 いずれにしても、珍しいことに違いはない。これは間違いなく売れる。

 もし仮に本当に魔族だったとしても、たったひとりで、しかも裸に奴隷用の『魔封じの首輪』を付けられた状態で一体何が出来るというのか。

 そうであれば、行商人にとっては単に希少な商品に変わりはなかった。

 希少なことはいいことだ。それだけ高い値がつけられる。


 行商人が立ち寄るこの開拓村は決して裕福ではない。今回は行商人も手持ちがなかったので手形を渡して魔族モドキを引き取ったが、これが高く売れれば渡した手形に高額を支払うこともできるだろう。それは開拓村の助けになるはずだし、行商人自身の儲けにもなる。


 開拓村から街まで運ばれた黒狼は、裸のまま奴隷商へと持ち込まれた。

 猿轡は奴隷商で外されたが、外すなりやはり誰も聞いたことがない言語で喚き立てるので、痣がつかない程度に加減をして痛みが与えられた。主に手や足の指先にだ。

 こういう末端部は加えた力のわりに大きな痛みを与えることができる。傷をつけたくない奴隷を躾けるときによく使われる手法だった。やり過ぎると内出血を起こしたり爪が剥がれたり骨に異常が出てしまったりするが、そうならないちょうどいいところを探るのも慣れていれば簡単なことだ。

 ただ、やられる方はそんなことはわからないので、いつ本当に指が潰されてしまうかという恐怖も躾の助けになる。指が潰されてしまう前に従順にならなければならない。そう考えるからだ。


 奴隷商ですっかり従順にされてしまった黒狼には、奴隷のための教育が施されることになった。

 言語が通じなければ、いかに希少で肌が綺麗でも売れはしないので、まずは言葉を覚えさせることになった。

 痛みに慣れていなかった黒狼はちょっとしたお仕置きですぐに大人しくなるため、しつけに時間がかからないのは奴隷商にとって幸運だった。



 黒狼が何とか言葉を理解し、片言でありながら受け答えも出来るようになった頃。

 街外れに住む老いた魔術師が彼を買い上げた。

 数いる奴隷の中から老魔術師がなぜ、発音が不自由な黒狼を選んだのかは奴隷商にはわからない。確かに希少ではあるが、普段の老魔術師の購入の傾向とはかなりズレているように奴隷商には思えた。魔族である可能性がある、ときちんと説明もしたし、それゆえに他の奴隷と比べて相当高額であることも伝えたが、老魔術師は迷いなく金貨を払って購入した。黒狼を一目見た瞬間から決めていたかのような態度だった。

 老魔術師から受け取った、販売価格よりかなり多めの、も込みの金貨を数え、奴隷商はいつも通りそれを金庫にしまった。後日の処理の費用込みの値段を支払ったということは、あの高額な奴隷も何かの実験に使われるということだろう。酔狂なことだ、と奴隷商は思ったが、自分には関係ないことだった。



 ◇



 奴隷商館で、まだ売りに出されてもいない新人の奴隷【鑑定】し、「魔力:0」という極めて特異なステータスを確認した老魔術師は、彼を屋敷に連れて帰ると手ずから淹れた紅茶を振る舞った。

 彼にはこれから世話になる。紅茶くらい振る舞ってもバチは当たるまい。

 もっとも、バチなど当てようとする憎き『龍』はいつか必ず討伐するつもりだが。 


 老魔術師謹製の紅茶を何の疑いもなく飲んだ奴隷は、数秒もしないで昏倒した。魔力がゼロということは、魔術に対する抵抗力もゼロということだ。この魔法薬入りの紅茶を飲んで睡魔に耐えられるはずはない。


 老魔術師は魔術で身体強化を行うと、気を失った奴隷を地下室へと運び入れた。


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