隠れた熱量

戸上 佐和眞

第1話

ただ今の時刻、11時30分。

1日、約100名が働くオフィスは、第二クオーターも折り返した8月末、半期決算も近づき、納期やらなんやらでいつも以上に繁忙期を迎えている。


「風紀が乱れる。」

「へっ?」

突如なんの脈絡もなく言い放った在原ありはらの横で業務の確認中だった蒼衣あおいは思わず間抜けな声を出した。


奥行き長めのこのオフィスは、プロジェクト毎に、そして部署毎にエリアが分かれている。

すべての部署がひとつながりのフロアで構成されており、50メートルダッシュができるのではないかという作りになっている。


その実、端から端まで走ることもあり、そのダッシュは通称シャトルランといわれている。


対応に追われ、一番端の席から、一番奥のサポートチームエリアまで長いフロア内を走り回る相川をみた在原 龍志りゅうじいぶかしげな表情で更に続けた。


「彼はなんであのTシャツを着てしまったのか。パジャマにしか見えない。清潔感がない。風紀が乱れる。」


走っていった相川は、在原より主任としても入社歴も、なんなら年齢も上だがこの言い様。同じプロジェクト内でも相川の方がキャリアがあるはずなのに、だ。


確かに相川の来ていたTシャツはグレーの色味で、素材もテロッとしており、着る人が違えばなんともないんだろうが、在原の目には、相川が着ているそれは部屋着ないしパジャマのようにみえてしまったようだ。


更に、ボトムにインしてしまってるから、最近本人も気にし始めたお腹が目立ってしまい、在原の発言を蒼衣も数ミリ程度理解してしまったが、一応フォローしてみる。



「ん〜、単純に相川さんが太ってきたからそう見えるんじゃない?つかお腹育ってきたなぁ。」


「というか、社内を全力で走るとかやめてほしいよね。うるさい。」

蒼衣のフォローも虚しく、在原はダメ押しとばかりに相川を一蹴している。


確かに、コイツが慌ててる姿も急いでる姿も、なんなら雑用してる姿も見たことがない。


と思いながら、「まぁまぁ。」と蒼衣は在原をたしなめた。


この在原は、清潔感のある雰囲気と服装で、いつもほのかにフローラル系の香水をつけている。

髪も長すぎずこざっぱりとさせている。前髪も気分によって下ろしたり上げたりしているが、蒼衣は、上げている方が爽やかさがあって好きだったりする。 


そして気配を消すのが何故か物凄く得意だ。180センチ以上の上背を持つのに、気づけば椅子に埋もれており、「わぁ、いたの?!」と蒼衣にびっくりされることもある。

おまけに音もあまり立てないし、ナマケモノと同レベルといっても過言ではないくらいに動かない。


なんなら3分前と姿勢が変わってないということもたまにある。


寝坊をして(時々仮病で)遅刻することもあり、この遅刻にも規則性があるタイミングでくるため、蒼衣は時折肩身の狭い思いをしつつ、他の主任に権限が必要なものをお願いしに行くのだった。



「ってか在原くんが走ってる姿見たことない。サブリーダーの時ですら走ってなかったよね。」


蒼衣こと村上むらかみ 蒼衣はサブリーダーの立ち位置にある。

この会社では、同じプロジェクト内で、チームを幾つかに編成して業務をしている。

チームの構成は主任の下にサブリーダーと、10人程のメンバーでひとチームを組むものになっている。


サブリーダーの立ち位置は、チーム内で上と下との間で調整と、他のチームとの連携を取ったりサポートしたり、何かとフォローに走ることが多い。

時には他部署チームに確認をとる必要もあるから、よく社内を走ることがある。

全力で走ると危ない、うるさいということもあって思いっきりは走らないようにと注意されているし気をつけているものの、蒼衣も結局のところ、それなりに走り回っている。


「うん、別に走らなくてもいいじゃない。ほら、走るなって言われてるし。だからあんな全力で走られると迷惑よねー。」


「いや、在原君はもう少しエコモード解除したほうがいいと思う。しれっと俺を使いすぎ。」


ちょっと歩けば良いところを、在原は通りすがりの蒼衣を呼び出して動かずにどうにかしようとする。

3歩動けば戻せるものですら、なのである。


「あぁ、俺基本省エネだから。蒼衣さん、よろしくね。」


デカい男が小首を傾げて、立っている蒼衣に上目遣いでお願いしてくる。


「自分でも認めますか。」


「うん。俺がやらなくていいものは無理してやる必要ないし。」


全く、と片眉を上げながらなぜか蒼衣は在原の要望、という名の雑用、基、小間使いを受け入れてしまう。



「あおいさーーーーん!!助けてーーー!!」


「はいよ、どうした?」


タタタッと、蒼衣は走って呼ばれたところに向かう。


蒼衣はサブリーダーになって早4年。気づけばこの会社に7年もいることになる。

在原と蒼衣が同じチームになったのは、10月のこと。

パワーバランスなどが偏らないようにという配慮の元、半期に一度チーム替え人事が行われるのだが、キャリアが長いサブリーダーは新人主任とセットになることも多い。

在原は4月の人事で主任に昇格したばかりということもあり、ご多聞に漏れず蒼衣がセットになった。


蒼衣の主任である在原のゆるさに、チームの人たちも大変だねぇと言う始末だが、それでも仕事はしやすいと蒼衣は思っている。


実のところ、一緒のチームに配属されるまで、蒼衣は在原が苦手だった。


在原は傍から見てると仕事してないように見え、必要以上にコミュニケーションもとらない。

蒼衣と同じサブリーダーだったときも、本当に走らないし、必要最小限の行動しかしないように見えていたからだ。


それが、同じチームになり、少しずつ会話をするようになり、仕事模様をみて蒼衣が抱いていた在原への偏見はすぐになくなった。


17時50分。

「在原くんって何歳?結構若いよね?」

終業時間間際、蒼衣もデスクを片付けながら業務外のラフな会話をしていた。


「うん、若いよ。」


「あ、ですよね。」

答えにならない回答をしてきた在原に対して、それ以上言えない蒼衣の目は少しわった。


「うん、俺若いから」


「いや、2回も若いって言わなくていいわ、どうせ俺はアラフォーに足突っ込んだよ!」


「えっ、そんなに歳?」


「歳」という言い方に軽い動揺といきどおりを覚えつつ年齢をきちんと訂正する。


「いやいや、38だから、アラフォーだってこと。四十しじゅうの声が聞こえてきたってこと!」


「ふーん、俺、若いから。あれ?30だったっけか?」


若いから、というダメ押し3回目のパワーワードを蒼衣にお見舞いした在原に、心の拳を握りしめながら蒼衣がすかさず突っ込む。


「いや、若いならカウントしろよ。」


あははーと笑いながら、「んじゃ、蒼衣さんお疲れ様ー。」と爽やかに去っていった。



「まぁ、一回ひとまわり下ですとか言われないだけマシか?」と、ひとち、食べることがストレス発散方法の蒼衣は、今日は何食べよう、冷蔵庫に何あったっけ?と、思案しながら帰宅の途についた。

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