第36話 遭遇《ロナ》

 不意に、男の足取りが速まる。両手を前にして接近し、テルラの両肩を掴んだ。


「きゃっ」


 その勢いに、テルラが後ろへ倒れ込んだ。男も一緒に倒れ、その身体に覆い被さる。


「ちょっと、落ち着いて!」


 抱きつこうとするかのように身を寄せる男を引き剥がそうとするテルラ。しかし男の力は強く、思うように引き剥がせない。


「離れて下さい!」


 ロナも慌てて男の背にしがみつき、引き離しにかかった。それでも男はびくともしない。

 見れば、男は歯を剥き出しにし、テルラの首筋に食いつこうとしているかのようだった。正気の状態ではない。ロナにはそう見えた。


「この!」


 テルラが男の股間を蹴り上げる。しかしその抵抗は意味をなさなかったようで、徐々にテルラへと近づいていく男の口。

 どうしよう。どうしよう。ロナはパニックだった。

 講習の内容を思い出す。ダンジョン内で他の探索者に襲われた場合。闘争か逃走か、即座に選べ。今は逃げられない。闘争、つまり殺傷。


 自分に?

 出来るだろうか。武器はない。いやテルラの腰にある。あの剣を引き抜いて自分が、人を?

 テルラは抵抗のため両手が塞がっている。自分にしか出来ない。無理だ。でも。

 ロナはテルラの腰にあるナイフを引き抜いた。それを男の首筋にあて叫ぶ。


「動かないで下さい!」

「駄目! こいつ正気じゃない!」


 精一杯に脅してみたが、男は全く止まらなかった。大きな呻き声と共に、一心不乱にテルラを狙い続ける。

 もう刺すしかない。刺すしか。どこに刺す? このまま首に? それとも腕を斬りつける? この土壇場でロナはまだ決心が着かない。

 テルラと目が合う。

 やるしかない。

 ロナは覚悟を決め、ナイフを逆手に持ち替えて振り下ろした。刃を男の上腕に突き立てる。尚も男は怯まない。一度のみならず二度、三度。


「どうして!?」


 ロナは声を上げた。自身が与えた負傷を男は全く意に介さない。おかしい。この男はおかしい。

 狂人の口元がもうテルラの首筋に迫っている。

 それを見て遂にロナの中の理性の箍が外れた。大きく振りかぶったナイフが男の首筋に突き刺さる。


「何で止まらないの!?」


 ロナは絶叫した。殺す覚悟で加えた一撃でさえ、男の行動に変化を与えられなかった。

 テルラが大きく目を見開いている。

「ロナちゃん、逃げて!」

「駄目!」


 何か手を考えなければ。何か。

 最早破れかぶれだった。現実的な対策ではなかったが、他に打てる手がない。

 ロナは男の背中に手を添えると、モンスターテイマーとしての力を発動する。

 途端、自分の中の何かが男と繋がる感触。

 男の動きが止まった。


「え……?」

「嘘、成功した?」


 モンスター以外には成功しないはずなのに。

 突然の変化に戸惑うテルラ。ロナはそっと男の肩に手をかけて、彼女から離れるように促す。

 すると相手は抵抗なく少女の身体の上から退いて、床へ力なく倒れ込んだ。そのまま動かなくなる。


「何が起きたの?」

「テイム、してみたの。そしたら、成功しちゃって」


 身を起こしたテルラと二人、息を整えながら男を見る。首筋からナイフを生やし、まるで死んでいるかのよう。

 その男の肉体が、前触れもなく崩れだした。


「えっ?」


 驚いている間に、肉がサラサラと砂のように崩れ、消失していく。白骨死体が出来上がった。刺さっていたナイフが床に落ちる音。


「し、死んだ? 殺した?」

「大丈夫。ロナちゃんは悪くない。ロナちゃんは悪くない。あいつが先に襲いかかってきたの。ロナちゃんはアタシを助けただけ」

「う、うん」


 その様を見て恐慌を来しそうになっていると、テルラに抱きしめられる。それを受けてどうにか気分を落ち着けた。そうだ、自分は悪くない。


「ちょっと待っててね」


 テルラはロナから離れると、男の亡骸を漁り始めた。そのポケットからスマホを取り出す。ロックはかかっていなかったのか、そのまま操作していた。

 彼女が頭上を見上げる。釣られて上を見て、ロナは初めてカメラが二台に増えていることに気が付いた。


「やっぱり。この人ヨツカだ」

「ヨツカ?」

「前に少し話した、アザミちゃんを庇って死んだ探索者。死ぬ間際に転移トラップでどこかに飛ばされたせいで遺体が回収出来ないし配信も切れないしで、死んだままの状態でライブ配信され続けていたはずなんだけど……」

「生きてたってこと?」

「分からない。聞いてみる。ヨツカさんのリスナーさん、出来ればここまでの経緯をコメントで教えて頂けると助かります」


 テルラがカメラを見上げて語りかけた。

 暫しの間、無言でヨツカのスマホを見つめる。


『謎。オレ達も困惑してる』

『ちょっと前に急に動き出した』

『一週間ぶりに突然動き出して、閉じ込められてた隠し部屋をどうにか脱出して、お二人に遭遇しました。起きた瞬間から様子おかしかったです』


 彼の様子を配信で確認していた人達も、この事態には戸惑っているらしい。


「あの人、首を刺されても全然血が出てなかった」

「そういえば」


 テルラの呟きでロナも気付く。


「それに、凄く冷たかったし」

「……何が起きてたんだろう」

「…………死体が動いてた?」

『ゾンビ?』

『そんなことあるの?』

『聞いたことない』

『でもそれ以外も考えづらい』


 示された推測に反応するコメント欄。


『今回、一週間もダンジョン内で死体が放置されるって珍しい事態が発生したわけだから、その影響の可能性がある。普通はその前に運び出されるか、モンスターに荒らされるかするわけで』

「ダンジョン内だと死んだ人が復活する可能性があるってことですか?」


 とある視聴者の見解にロナは注目した。


『復活っていうより、死体のモンスター化だと思う。テイムで大人しくなったのもそれなら説明が着く』

「ああ、この説がしっくり来るかも。ヨツカさんってサモナーだったはずだけど、あれはサモナーの腕力じゃなかったし」

『ゾンビ化……』

『ダンジョンの不思議がまた一つ加わったわけか』

『ヨツカ君、最後まで驚かせてくれるな』


 その様子を見ていて、はたとロナは思い出した。

 ポケットからテルラのスマホを取り出して操作する。


『やっと思い出してもらえた!』

『二人共大丈夫? 無事で良かったー!』

『ロナちゃんは悪くないからね。気にしないでね。テルラちゃんを助けてくれてありがとう』

『とんでもない場面に遭遇したね』

「皆さん、ごめんなさい、ご心配おかけしました」


 慌てて自分達のカメラに向かって頭を下げる。


「あ、忘れてた。皆、心配かけてごめんね。見ての通り二人共無傷だよ」


 テルラがカメラに向かって手を振る。


『忘れないでw』

『まあ異常事態だからね』


 それから二人は向き合う。


「遺骨、届けて上げないとだよね」

「うん。今日の探索はここまでにしよ。ロナちゃんの初テイムはまた今度ね。ヨツカさんの配信は……もうここで切った方が良いですか?」


 ヨツカの視聴者に尋ねる。


『そうだね。名残惜しいけど、いつまでも屍を晒させておくのも悪いし』

『自分は出来るだけ見届けたいかな。せめてダンジョン出るとこまででも』

『お二人も配信者ですよね。もしここで切るんだったらこの後の展開見届けたいのでチャンネル名教えて下さい』

「じゃあ、地上に戻るまではこのままにしようと思います。その後のことについてお伝え出来ることがあれば、アタシ達のチャンネルでお伝えさせて頂きます。チャンネル名は『テルラとロナch』です」


 話が纏まったことでコメントへの対応を終わりにする。ヨツカとテルラ、二人分のスマホをロナのポケットにしまい、傍らの白骨死体に近づいた。

 ピクリと、その骨が動き出す。

 二人揃って悲鳴を上げ、飛び退いた。テルラが剣を抜く。


「まだ動くの?」

「て、テイム済みだから、危険はないはず。でも、どうして…………もしかして、骨になったのって、進化?」

「進化!? いや、そっか、死体のモンスター化か。有り得なくはないのか。でもあの一瞬で?」


 骸骨はのそりと身を起こし、立ち上がる。

 ズボンが下がった。肉がなくなった影響だ。ロナは反射的に目を逸らす。視界の端で骸骨がズボンを引き上げる。カチャカチャとベルトを弄る音。

 視線を戻すと、骨は直立不動でこちらを向いている。


「ロナちゃん、ちょっと命令してみて」

「えっ」

「貴方のモンスターでしょ?」

「そ、そうだよね。えっと…………お手?」


 そう言って右手を差し出すと、その上に骸骨の右手が載った。通常のモンスター同様、テイマーからの命令は通じる。

 言葉は通じているだろうか。


「自分で歩けそうですか?」


 すると骸骨は首肯した。


「じゃあ、このまま地上を目指すだけだね」

「……そうね。どこまで意識があるのか気になるけれど、その辺りも地上に戻ってから確かめましょう」


 テルラがロナの言葉に頷く。

 二人はヨツカを連れ、地上へと戻っていった。

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