第4話

 久しぶりに砂の上を歩いた。アスファルトを踏みしめて歩く毎日。この柔らかな感覚は、あぁ懐かしい。

 まだ小学生だった頃だ。娘二人との接し方に、父が悩み始めた頃だったように思う。新しい母を得るのが懸命か。今思えば、そう悩んでいたのかもしれない。だけれども、私も私で悩んでいたのだ。幼いながらに。仕事で疲れている父が、『お友達のお母さん』のようにしてくれている。それを助けたくて、支えたくて、宣言したのがこの浜だった。


――私、お父さんの力になりたい。だから、色々教えて。


 そう言った後の父は、どんな顔をしていたか。何一つ、思い出せない。キョトンと聞いていた妹が、茜も頑張る、と満面の笑みを見せたのは思い出せるのに。もしかしたら、あの時、父にはいい人がいたのかもしれない。私は、父が幸せになるのを摘んでしまったのかもしれない。自分も同じような年になって気づく、そんな。結局、父は再婚しなかった。その本心をついぞ聞くことはなかったが、あれで良かったのだろうか、と考えることは時折あったりする。


「海ってさぁ。ボォっと見てられるよねぇ」

「まぁね。でも、流石に暑いわよ。焼けるし」

「だよねぇ」


 しゃがみ込んだ善が項垂れる。私はその隣にそっと座って、何があったの、と問うた。できるだけ、優しい声で。


「あぁ、うん。どうもね、直が悩んでるみたいなんだ」


 善は項垂れたまま、もそもそと話し始める。直が悩んでいる、か。

 思春期だもの。親に話せないような悩みを持ってたって、おかしくはない。いじめられているだとか、そういう話ならば教えて欲しいけれど。好きな子が出来たとかってこともあるしなぁ。言葉に出さず、私はあれこれと心の中で考え込む。その隣で善は、躊躇いがちに口を開いた。


「多分、進路のことじゃねぇかなって思うんだ。この間、面談があったって言ったでしょう? 先生が直に、井上は目標があるのかいって聞いたんだ。そうしたら、直、黙り込んじゃって。ようやく答えたのが、普通の大人になりたいです、って」

「普通の大人?」

「うん。先生もびっくりしてたけど、あれはきっと、俺に言いにくいのかなって。本当はなりたいものがある気がするんだよ。直に聞いてはみたんだけどさ……何にもないよって言うだけで。無理に聞こうとするのも良くないから、まだ、その後は聞けてないんだ」

「そっか……」


 いつまでも子供だと思っていたけれど、将来のことを現実的に考えたりしているんだな。中学受験もしなかったから、そういう話を先延ばしにしてしまっていたかもしれない。毎日一緒にいられたら、もっと……。そう考え始めて、首を振る。そう思うのならば、すぐにでもこっちに引っ越してきたらいいのに。ママもこっちに来ちゃおっかなって、笑ったらいいのに。それを何一つ出来ていないのは、傷つくのが怖いだとか、そんな乙女な理由じゃない。母親としての矜持。ポッキリと折れてしまった感情の立て直し方が、分からないのだ。


「だからさ、翠ちゃんも聞いてみてくれないかな」

「え……あ、うん。そうだよね」

「うん。パパには言えないことも、あるかもしれない。ママの方が話しやすいこともあるかもしれない。今はそのどっちなのか、まだ判断が出来ないから」

「うん。そうね……今晩話してみようかな」

「うん。でも、あいつ、何も言わないかもしれない。いや、言わなくて当然だって思ってた方が、いいのかも」


――だからね、どんな反応をされても苦しまないで。


 善を見つめる。きっと彼は、私の心を見透かしているのだ。

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