【65】アリアライト

「っ……!」


 顔をぎりぎりのところでずらして、頬を浅く裂かれながらもどうにかその一撃を避けると俺は右の掌底で剣腹を叩き、その軌道をあさっての方向にいなす。

そのまま剣を握った左手で彼女に拳骨を繰り出そうとするが、流石にそんな目論見が通るほど甘くもなくクロムライトはすかさず左手の第二の剣で俺の拳を防ぎ、ワンステップ後退。

 けれどそこから距離を取るでもなく、伸び切った右手を引き戻しながら返す斬撃が襲いくる――が、無論こちらとて読んでいる、食らいはしない。

 半歩退く俺に、さらに迫る第二の剣。それをこちらも剣で受けているうちにもう一撃が別方向から来る。

 剣一本で二本をさばき続けるのは厳しいが、とはいえ消耗は向こうの方が早い。

 動きが鈍ってきたところを攻めに転じれば――


「このまま私の体力切れ狙い、かな? 英雄さんのくせに、情けない戦いかたっ!」


 そう言いながら両の剣で斬り上げを繰り出した後、なんと彼女は片方の剣を――そのまま上空に、放り投げた。

 残った剣を両手で握り直して、瞬時にもう一撃。今までの片手での斬撃に慣れきっていた俺はその一撃の想定外の重さに構えていた剣を弾かれて、取り落とさないにしろ大きく体勢を崩す。そして。


「っっとぉ……!」


 とっさに身をよじった俺に、上から降ってきたのは彼女が放り投げた剣。

 がん、と鈍い音を立てて地面に突き立ったそれを即座に引き抜きながら、クロムライトは俺に二刀を振るう。

 今度は――避けきれない。が、腕輪込みでの俺の【防御】ステータスなら、素で食らっても防ぎきれ……


「……っ、がぁッ!?」


 ずきりとした痛みが、刃が通り過ぎた腹に走る。傷口は浅い、だが――しっかりと、一筋の紅跡が腹筋の上を通り、インナーを切り裂いていた。


「防御力で押せると思ったなら、甘いよ。こっちは貴方と戦う前提で準備してるんだから、さ!」


 そう言って振るったその二撃目が、後ろへ跳ぼうとした俺の肩口を浅く引き裂き、血が弾ける。その様子を見て、後ろで援護のしようもなく手をこまねいていたルインが呻いた。


「【防御無視】の呪詛……」


「あ、さっすが賢者さまだ。見破っちゃうか」


 言いながら、剣先についた血を払うクロムライト。よく見るとその長袖で覆われた両腕からは、ぼんやりと赤く光る文様が浮かび上がっていた。


「魔族製の呪詛でね。これさえあれば、どんなに防御力が高い相手でも斬って傷を負わせることができるんだって。……その剣は斬れなかったから、何でも斬れるわけじゃないみたいだけど」


「……バカなものを。そんなものを使っていたら、呪いが腕に定着して喰われるぞ」


「へぇ。じゃあ、使いすぎる前に終わらせないと……ねっ!」


 ルインの諫言をそれだけであしらうと、再び弾丸のような踏み込みで俺へと接近してくるクロムライト。呪いがそのとおりのものだとするなら、急所に食らったら致命傷になる……そんな緊張感に背筋が寒くなるのを感じながら、俺は気合を入れ直して彼女を迎撃しようと構える。

 が――その時クロムライトの伸ばした剣先が、ぴたりと止まった。


「……何してるの、アリアちゃん」


 盾を構えたアリアライトが、彼女と俺との間に、立ちはだかっていたからだ。

 無感動な目で睨むクロムライトを、アリアライトはかすかに震えながら、きっと見返して首を横に振る。


「ダメだよ、クロムちゃん。アリアは……クロムちゃんにこんなこと、してほしくないよ」


「邪魔しないで、アリアちゃん。アリアちゃんだって、嫌でしょ? このまま騎士団を外されて、家に戻るなんて……!」


 そんな彼女の言葉に、アリアライトは苦い表情で頷くと。


「嫌だよ。騎士として皆を守りたいって思ったから、騎士になったんだもん。アリアだってそんなのは、嫌。だけど――アリアのせいでクロムちゃんがこんなことをするなんて、そんなのはもっと嫌。……だから」


 震える手で大きな盾を構えながら、彼女はこう告げる。


「だからクロムちゃん。アリアが――お姉ちゃんが、貴方を止める」


 そんなアリアライトの、決然とした物言いに。


「……なんで。なんで、そんなこと言うの」


 空虚な面持ちでそう呟くと、クロムライトはぎり、と歯を噛み締めて首を横に振る。


「アリアちゃんは、そんなこと言わない。アリアちゃんは、私を否定したりしない。アリアちゃんは、アリアちゃんは、アリアちゃんは――」


 頭を抱えて呻くクロムライト。その様子には、異変が生じていた。

呪詛が憑いたその両腕、そこに浮かび上がっていた紋様がだんだんと、彼女の首あたりまで広がりつつあったのだ。

 苦しげに頭を抱えていたかと思うと、クロムライトはびくりとその動きを止めて、それからゆっくりと顔を上げると――頬まで紋様が入ったその顔にぎこちない笑みを浮かべながら、こう告げる。


「……そうだ。貴方は、アリアちゃんじゃない。そんなことを言うお前は……敵だ」


 うっとりとした声音で言うや否や、彼女は躊躇なく、アリアライトへと飛び掛かる。その一撃はアリアライトへと真っ直ぐに届いて、そしてその手の分厚い金属盾を真正面から貫く。


「アリアライト!」


「ウォーレスさんは、下がっててください!」


 前に出ようとする俺に、彼女はいつになく強い口調でそう叫ぶ。


「ごめんね、クロムちゃん。アリアのせいで、クロムちゃんはたくさん、悩んだんだよね。……だけど」


 クロムライトの剣先が少しずつ動いて、アリアライトの盾を引き裂こうとして。

 そうして開いた盾の裂け目からクロムライトを見つめながら――


「もう、悩ませない。もうクロムちゃんに、そんな苦しい思いはさせないから」


 そう言って彼女は、盾を勢いよく振るってクロムライトを弾き飛ばす。

 ……その手に握りしめていた、盾ごと。


 重い盾とともに投げられて、床を転がるクロムライト。そんな彼女を見つめながら腰の剣を引き抜くと、アリアライトは自由になった両手で剣を握り、構える。


「っ、この……ッ!」


 盾に刺さったままの剣を捨て、もう片方の一刀でクロムライトが振るった一撃は――しゃん、と、鈴の鳴るような涼やかな音とともに弾かれた。


「ラングレン式剣術、破の型――”アリアライト”」


 呟きながらアリアライトはその手の剣を上段に構えて、一撃をクロムライトの向かって叩き込む。

 盾を持っている時とは別人のような、研ぎ澄まされた突き。辛うじて避けるクロムライトであったが、その表情には明らかな動揺が浮かんでいた。


「なんで、そんな……アリアちゃんは、そんな戦い方、しない」


「誰かを庇って、誰かを守ることが騎士の……ううん、お姉ちゃんの役目だと思ってた。だから盾を持って戦わなきゃって思って、こっちの――お父さん直伝の戦い方は、やめてたんだ」


 そう呟いて構えたアリアライトの立ち居姿には、まるで隙がない。今の俺でも、仮に戦えと言われたら躊躇うような……剣士として完成された佇まい。


「けど……それじゃ、ダメなんだよね。剣を握らないと。叱ってあげないと、守ってあげられないこともあるんだ」


 普段の弱気な彼女からはまるで想像もできなかったような落ち着いた声音で告げると、アリアライトは切れ長のその目でクロムライトを見て、しっとりと微笑む。


「来て、クロムちゃん。お姉ちゃんが、叱ってあげるから」


「……っ、ああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 駆けると同時に突き出されたクロムライトの剣は、しゃん、という音とともにするりとアリアライトの横を抜けていく。

 当たっていない――いや、ほんの僅かな動作だけで、受け流しているのだ。

 渾身の力の斬撃をあっさりと流されてたたらを踏むと、振り返って再びアリアライトへと斬りかかるクロムライト。だが何度やっても、結果は同じ。

 アリアライトは一切その場から動かないまま、クロムライトだけが何度も何度も、斬りかかっては通り過ぎて……その繰り返しだ。


「昔から、手合わせってあんまりしたことなかったよね。……何でか分かる?」


「っ、何を言ってっ……!」


 よろめきながらも、床に落ちていた剣を拾って再び二刀となって向かっていくクロムライトに、


「アリアがこの型でクロムちゃんと戦ったら、クロムちゃんは絶対に勝てないから……なんだよ」


 言うと同時に無造作に振るわれた一閃が、クロムライトの片手の剣を跳ね飛ばす。

 再び空き手となった左手を愕然として見つめるクロムライトに、アリアライトは静かに続けた。


「守りの型”アリアライト”は、攻めの型”クロムライト”を完全に抑え込み、制圧するための対抗の型だから。だから――」


「っ、うるさい、うるさい、うるさいっ……!」


 血走った目で大きく振りかぶるクロムライトを、アリアライトは悲しそうに見つめて。


「――クロムちゃんは、アリアにだけは絶対、勝てない」


 放った一閃がクロムライトの剣をその根本から斬り飛ばし、それと同時に体力を使い果たしたクロムライトはよろよろと、その場に倒れ込む。

 床に崩れ落ちようとしていたその体を支えながら、アリアライトはその体をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんね、クロムちゃん。……心配かけて、本当に、ごめんね」


 涙を浮かべてそう告げた彼女に、クロムライトはぼんやりとその目を開けて、そしてまたすぐ、閉じる。

 駆け寄ったラーイールが呪詛を解除している間もずっと、アリアライトはそうやって妹を抱きしめ続けていた。



「……クロムライトが、やられたか」


 逆さまの遺跡の最奥部。朽ちた玉座が天井に張り付いたその広間で――伯爵はぽつりと呟いた。

 かつてはかの「魔王」の謁見の間であった場所。人類軍によって攻め入られて落城した魔王城の中枢部分を強制的に転移させたのがこの遺跡であると、「奴」は言っていた。

 それゆえにこの謁見の間では、「城」内で起こるあらゆる事象を知ることができるのだ……とも。

 なるほど、これは便利なものだ――そう静かに笑う一方で、伯爵は考える。

 クロムライトは、あくまで足止めのつもりであった。だが一方で、呪詛を植え付けた彼女であればあの男に多少の手傷を与えて弱体化させる程度の役には立つだろうとも考えていた。

 だが蓋を開けてみればどうしたことか。クロムライトとあの男が剣を交えていた時間はそう長くはなく――挙げ句、頭数にすら入れていなかったあの出来損ないの従騎士に倒されてしまうなどとは。

 舌打ちをこぼしながら、けれど伯爵の口元に浮かぶのはいまだ余裕の笑み。


「まあ、よかろう。どうあれ事の運びに障るものではない」


 そう呟きながら伯爵は、傍らに無言のまま立つ鎧騎士を一瞥し。それから眼前に吊り下がった逆さまの玉座を――そしてその直下にそびえる巨大な棺を見つめて、静かに頷く。


「見ていてくれ、我が妻よイザベラ。今度こそ私が――世界を、救ってみせる」


 ……かつての戦火の中で喪った妻の名を、祈りのように呟きながら。

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