3.

「それからわしは何百年ものあいだ、どこかに定まることなく世界を点々としながら暮らしてきたのじゃ」


 リゲルは、老竜の語る話にじぃっと耳を傾けていました。たんたんと話す老竜のしゃがれた声ににじむ、悲しさやせつなさが痛いほどに伝わってきて、気がつけば涙をぼろぼろとこぼしていました。


「あの町へ、帰りたくなったんじゃろう」


 老竜は優しく言います。

 リゲルは、昔の彼がしたことと、自分が無鉄砲にあの町を飛び出してきてしまったことが、とてもよく似ていることに気がつきました。

 自分の気持ちに素直になってしまったせいで、壊れるはずのなかったたくさんの幸せを壊しまったのだと。


 今、あの町に暮らす人々はどうなってしまっているのでしょうか。時間がわからなくなって、生活がめちゃくちゃになっているかもしれません。

 リゲルは急に不安になりました。


「ぼくは……ぼくがやったことは、間違ってた」


 ひとりぼっちが寂しくて、はじめて友だちができたことが嬉しくて、少し有頂天うちょうてんになっていたのです。

 今ならなんだってできる。こんな退屈な毎日から抜け出すことだってわけないと、強気になっていたのです。


 思い返せばどこまでも身勝手な自分。

 情けなくてくやしくて、リゲルの目からはどんどんと涙があふれてきてとまりません。


「なに、楽しかったではないか」


 老竜は相変わらずのしゃがれ声でしゃかしゃかと笑うと、身を屈めてリゲルの体を自身の尾っぽでやさしく巻きこみました。


「おぬし、『水平線の向こうがわを見てみたい』と言っておったな。どうじゃ。綺麗じゃったか、楽しかったか?」

「……うん、すごく、楽しかった!」

「わしも楽しかったよ」


 すっかり白くにごってしまったひすい色の目が、リゲルを優しく見守ります。


 そうです。一人と一匹で旅した一年間は、本当に楽しかったのです。

 老竜の背中の乗り心地はあんまりよくなかったし、たまにケンカもしたけれど。海に落ちる夕日がきれいだと言いあえたことや、味のしない雪がわけもなくおいしく感じられたこと、そして誰かと一緒にいることで感じられたあたたかさ。


 それらはすべて、鐘塔にひとりぼっちで居ては感じることのできなかったものばかりです。


「リゲルよ、自分だけは自分のこころの味方になって やるんじゃよ」


 老竜は鼻先をリゲルの頭に寄せながら続けます。


「どうか老いぼれの寝言と思うて聞いておくれ。人の命はちょびっとしかないのじゃ、後悔ばかりではもったいない。そう思わんか? 人生を不幸だらけの物語にするか、そうでないかは、おぬし次第なのじゃ」


「後悔しない……ぼく、あの町を飛び出したこと、後悔しない。だってきみと一緒に、世界じゅうを飛びまわれたんだから」


 リゲルは涙をぬぐうと、力いっぱい笑いました。

 老竜もつられるようにしてシャカシャカと笑いました。


 そうして一人と一匹の旅は終わりを告げたのです。

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