六木君のこと
神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)
第1話
朝食の折、秋刀魚の背骨を片身から引きはがす。箸で身をほぐす。
「
完全なる独り言。食卓を挟んだ先の妻が反応する。
「知り合いに同じ名前の方が居ります」
ははあん。私は高を括る。
「六木は、漢数字の六に、樹木の木と書くのだよ」
「はい。確かに、六つの木と書きます」
妻は当然のように、頷く。え。私は声を出し、顔をひきつらせる。
「六木君は、どこで何をしているの」
立ち上がり、両のこぶしを机に叩きつける。食器がわななく。
「落ち着いて下さい」
御味噌汁が冷えてしまいますよ。私は腰かけ、食事を再開する。味もよく解らない。頬が赤らむのを自覚していた。
六木君は、まるで赤ん坊だった。
だから、端的に場違いだと思ったのだ。こんな子がこの場に居るのはおかしいと私は大人に訴えた。そうして、大人は言うのだ。
「この子はとても身体が小さいけれど、本当はここに居ても良い年齢なのだ」と。
私は面喰った。ならば、自分がこの子の兄になると私は宣言していた。
ただ、実年齢と実態との乖離が許せなかったのである。
私は両手を差し出し、六木君を抱いた。至近距離で目が合う。美しい赤ん坊だ。これから美しい少年になることが確約されている。
それならばと、相応の立ち居振る舞いも、私は彼に求めてしまっていた。
六木君はとかく物を食べない。それだから、言葉も意味を持たない。座ることも、立つことも、歩くこともしない。
全ては、食い物だ。
ここへ来る以前六木君が何を食していたのかのはもはや知る術もない。
ここでは、六木君のために、おかゆが用意されていた。だが、とにかく食べない。私は、自分のおかずを咀嚼し、おかゆと混ぜた。赤ん坊の口に、さじを突っ込む。しめた。
六木君は、面白いように食いつく。そのうち、さじの準備を待ち切れなくなる。赤子が乳首に吸いつくように、六木君は私の口を吸った。まるで、鳥の親子である。六木君は、ようやく「腹が減る」という感覚を手にしたようだった。
この時、友人の
早晩、私は橋本の杞憂の中身を知ることになる。
まず、六木君は幼子であるということを差し引いても、恐ろしく不器用だった。専門的には、協調運動障害というらしい。さじを持たせても、おかゆがすくえない。
ならばと、小さく切ったおかずをフォークに刺してから、六木君に手渡したのだ。
口の中は、血塗れ。往診に来た医師からは、二度とフォークを持たせるなとこっぴどく叱られた。
だから、やはり、六木君は、私の口を吸うしかない。
しかし、大きくなっても、結局のところ六木君は六木君でしかなかったのである。六木君の場合、身体は大きくなっても、生活に必要な能力が成長することはほとんどなかったのである。
六木君が美しい赤ん坊であるということは先に示したとおりである。憚りながら、私も学校の中では、相当に、整った顔であるということは否めない。
疑似親子にそのつもりはなくとも、周囲が性的な目で見てくる。だからと言って、橋本が張り切って、食事の時間に人払いなどすると、却って隙見をする馬鹿者などが出てくる。
だから、言ったのだ。橋本は、頭を抱えた。
とは言え、現状、六木君に飯を食わせるためには、口うつしでなければならないのだ。そう訴える。橋本は、何かを諦めた。「手で食わせろ」しかし、作戦は失敗に終わる。
六木君は、私の口の中にこそ、この世で一等美味い物があると認識しているらしかった。何せ、赤ん坊なので視野が狭いのである。食べ物を見せても、食べ物と認識できない。
お前が風邪でもひいたら、一体、この子はどうするのだ。そう言って、橋本は口うつしを禁じたが、六木君は、ただ腹が減ったと泣くばかりであった。
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