第3話 自分で勉強するもん
【9カ月前】
ミリオンの母が亡くなってから3ヶ月――。
その頃までに色々なものが、彼女の元から無くなった。
ミリオンの手元に残ったのは、たった数枚の銅貨。
まだ母が生きていた頃、豊富に買い与えられた多種多様の本。その中の物語で読んだ冒険者に憧れたミリオンが、彼らと同じ様に服の裾にひっそり縫い込んだお金だった。お遊びのつもりだったけれど、それが今となっては彼女に唯一残されたお金となった。その他のお金はもちろん、部屋も家具もドレスも、綺麗な装丁の本も全て、義母と義姉に取り上げられてしまった。
無くなったのは物だけではない。当主たる父親の意向で、これまで通っていた貴族子弟のための学園を辞めさせられた。
黒髪黒目のミリオンは、どうあがいても父の求める淡い色彩の髪や瞳を持つ天使の風貌にはならない。だからせめて学問で家の役に立とうと、強い意志をもって学んでいた。そんなある朝、登校しようとしたミリオンに、滅多に会うことのない父親が近付いて来た。
「お父様っ! おはようございます」
「それは、なんの準備だ」
久しぶりに父親に会えた喜びから、弾みそうになる声を押さえながら綺麗なカーテシーを向ける。父親は一瞥ののち、何の感動も無い様子で勉強道具を詰めた鞄に顎をしゃくって問い掛けて来た。
「はいっ、これは学園で使用する教科書で」
「必要ない」
「っえ……?」
咄嗟に理解できない言葉が耳に飛び込んできて、ミリオンはきょとんと眼を丸くして固まる。
「必要ないと言っている。お前の退学手続きは昨日のうちに済ませた」
冷淡に告げられた内容を、今度こそ理解したミリオンはその場で膝から崩れ落ちた。
「お前が学業を修めるほど、家を継ぐビアンカが肩身の狭い思いをする。お前がビアンカよりも衆目を惹くのは許されない」
父親から告げられたのは、ミリオンの頑張りがオレリアン伯爵家にとって不利益となること、そして彼女の学問に向ける姿勢を否定する一方的な言葉だった。泣き崩れるミリオンの前に、わざわざ真新しい学園の制服を着た義姉が現れて、ミリオンの制服を光魔法で焼いてしまったのもショックだった。
制服まで焼き捨てる必要などなかったのに、わざわざビアンカがそうしたのは、自分の魔法を見せつけるためだったのだろう。ミリオンは、学園で1・2を争う才女ではあったが、使徒たる資質を表わす魔法だけは全く使うことが出来なかったから。
(もう学園へ行けないなんて――!)
光の熱で焼かれた制服を手ではたきながら悲しみに打ちひしがれる――かと思ったが、意外にも気持ちはそんなに沈みはしなかった。
(いいえ? 勉強ができれば良いのよね。なら、庶民の子供たちが通う教会学校へ行けば良いじゃない!)
思い立ってその日のうちに行動に移そうとしたミリオンだったが、屋敷を出る前に使用人たちに連れ戻されてしまった。自室の屋根裏部屋に押し込められたミリオンのもとに、荒々しい足音とともに現れたのは父親だった。
「お前は何を考えている! 私の邪魔をするな!! あの女のように賢しらに知識をひけらかそうとするな!! 大人しくしていろ!!!」
到底娘に向けるものとは思えない忌々し気な態度で怒鳴りつけられた。父親は不承不承の政略結婚から解放されて、ようやく結ばれた恋人との生活に、ミリオンを疎ましく思っている節も見られた。それがここへ来て爆発したような出来事だった。
それからは、軟禁に近い状態で外へ出ることを禁じられた。その時になってはじめて、オレリアン伯爵はミリオンが学園へ通うことではなく勉強して賢くなること自体を厭っていると気付くことが出来た。
――と同時に、ミリオン自身も、自分は父親のために学びたいのではなく、ただ学ぶことが好きなのだと気付くに至った。
当主がぞんざいに扱う娘に対する使用人の態度もそれに比例する。だから、住むことだけは許されていたオレリアン伯爵家は、決して良い境遇では無かった。けれど彼女が卑屈にならず前向きに生きられたのは、母親の「心穏やかに」との遺言の他に、生来の知識欲があったからだ。
(学校に行けないなら、自分で勉強するもん! 本を手に入れるわ!!)
見回りの衛士の行動パターンを把握し、屋敷を抜け出すことに成功したミリオンだったが、大通りへ出たところではたと立ち止まった。
いつも母と訪れていた貴族御用達の書店の本の価格は、手の中に収まっている銅貨で足りるものがない。
(けど、庶民向けの本なら……いいえ、古本なら買えるものがきっと……)
ふと思い立った考えが、存外良いものの様な気がして、ミリオンはさっそく行動に移した。
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