7-3

「まだ起きているの?」


「うん」


「寝ても体丈夫だぜ、別に手を出すとかそんなこと絶対しないよ」


「うん、わかってる。そんな心配しているわけじゃないから。ホントウだよ」


「そう」


 勢いで煙草をゴミ箱に捨てたことを後悔した。そんでもって、あの煙草は大きい煙草屋に行かなきゃ売っていない。こんな些細な後悔だって、積み重なればいつかは大きな後悔になる。


 そんなこと、今更知るまでもないんだ。ずっと前から分かっていたこと。分かっていながらやらなかったことは、それは何もしなかったことと同じ。


 彼女とのことだってそうだ。その時は何も考えずにこれが続くものだと思っていた。中学校に行かなくなったのだって、気が変わればまた今までと同じような日常が送れるはずだって思っていた。


 ところがそれはいつの間にか無くなった。学校に行かない俺、学校に行きたくない俺。変わる両親との関係、終わってしまった彼女との関係。手持ち無沙汰な俺、田舎ではそんな人間はすぐに有名にになる。


 誰かが言う『あいつは不登校だから』『あいつはもう終わりだよ』どこからか俺の耳にもその声が届く。知らない間に自分が新しい場所にいると気がつく。


 その場所には同志に近い連中がいて、そいつらは最初、俺を歓迎する振りをする。でもそれは振りだ、よく見なければいけない。よく目を、顔を見れば気がつく。


 そいつらの目は、今の自分より下にいるであろう人間を探しているんだ。常に。決して友情ではない。それは罠なんだ。


 中には一人くらい想像力を持ち合わせている奴もいる。そいつは、それであるが故に自らその場所を離れてしまう。新しく入った奴に手を出す人間がいる。そいつは性行為のことしか考えていない。


 俺はそれに靡く。そんなことをしてもどこにも行けない。分かっているんだ。分かっているんだけれど、それが救いに感じてしまうんだ。皆、演技派俳優。そこにいる素人は俺一人。素人じゃない、スタッフだ。


 俳優達が退屈しないように道化になる人間。それが俺だった。そんなんだからみんなが特別だと感じてしまう。皆、特別で輝いていて、俺は入ったばかりだからそうではないって思うんだ。ここにいれば救いがあって、快楽があって、やがては自分も皆と同じように輝くことができるようになるんだって。


 流れに身を委ねれば良いって思ってしまうんだ。そんなことは幻想、結局は皆、演技なんだ。全てそうだ。例えばカッコつけてマールボロやラッキーストライクを吸う。格好いい銘柄ってなんだ? お笑い芸人よりお笑いってわけだ。


 宅配ピザの配達をやっている奴は、バイトをサボって売り物のピザを持ってくる。コンビニバイトは捨てられる大量の弁当をギッてくる。それだけでは飽き足らずビールの缶でさえ一ケース持ってくる。


 皆それを食べて飲む。腹がいっぱいになったら酔っ払って、あとは好き勝手する。そんなこと、破滅しかないって誰だって分かるだろう。ところが田舎のそんな世界は、永遠に終わらないパーティのような気さえする。


 救いなんてまるでない、だって皆、生きていることさえ放棄するんだ。飯、酒、煙草、性行為。夜、昼、夏、秋、冬。春……。


 気がつくと誰もいない。最後に残るのは俺一人。連中には俺が心のどこかで楽園を信じていないって伝わっている。だから俺一人を残して世界ごとなくなるんだ。


 残った俺は誰かが残していった、まだ入っている煙草の箱を拾い上げて、その煙草を吸うこと以外やることがなくなる。何日かぶりに家に帰ると両親は驚いた表情で俺を見る。


 『もう帰ってこないのかと思った』とその目は、その顔は言っているんだ。俺はその時から自分の居場所を失ってしまった。もともとなかったのかもしれない。例えば灰皿が一杯になったら誰かが掃除して綺麗にする。そして空になった灰皿にまた吸い殻を捨てていく。その繰り返し。


 いつかは、一杯になるし、いつかは空になる。残るものは自分の体に溜まっていく、煙草を吸うことによって病気になる可能性だけ。そんなことははっきりと分かりきっていながらどうしてか繰り返してしまう。それは結局は死ぬことが確定しているにもかかわらず生きていることと、ある意味同じことなのかもしれない。


「私、誰かに必要とされたいのかもしれない」


 怜が何かを言った。必要、と聞こえた。それは俺が欲しかったもの。持っていたつもりでもいつの間にか無くなってしまったもの。月明かりが怜の顔を照らす。


 それを見た俺は今までのことは夢だと、そして今、俺は彼女と二人なんだとはっきりと知る。自覚する。過去のことはとりあえず今はいい。


 頭の中にある本を閉じると、俺の思考はどこかに消えた。怜と二人、それだけが残った。

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