6-3

「まあ俺のことはいいだろう、どうせ……」


「どうせ、何?」


「そのうち言う」


「どうせ、もうすぐ死ぬ予定だとかって言うつもりだった?」


「……まさか」


 その言い方から、彼は多少は本気でそう思っているんだろうということは伝わってきた。どうして? もちろん、そこに含まれている本気が、私にわかったから。でも何も聞かないことにした。聞く気にもならなかった。


 海岸から少し歩いたところでホテルに着く。フロントで適当な住所と名前を書いた。私たちは普通の格好しているから、別に怪しまれるようなところはない。亨も堂々としている。さっき言っていたことも、多分、本当だろう。


 私は彼のこと、どこまで信用しているのか分からないのだけれど、それでも同じ部屋に泊まることにした。一つは彼のことが心配だったからで、もう一つは今夜、私は寝られないだろうなって思ったから。


 疲れていないわけじゃないのだけれど、久しぶりに一人で(とは言っても同じ部屋に亨がいるんだけれど)考えたいと思った。こう言うホテルって窓が開くかどうか分からないけれど、少しでも開けば波の音も聞こえるだろう。


 波の音を聞きながらなんて、考えるには良いシチュエーションじゃない。きっと、考えても答えなんてでないだろうけれど、それでも。部屋について、窓を開けて見ようとしたらやっぱり全部は開かなかったけれど、波の音は聞こえた。目の前が海だと、ずっとこれが聞こえるんだ。この音だけはやっぱり羨ましいと思った。


 何年か前、大きな地震があって、東北の方は大きな津波に襲われた。私はその時まだ中学生だった。埼玉もかなり揺れて、でも私の住んでいたところはそんなでもなくて。いや、そんなことはないな。


 確か卒業式の途中で、もちろん式は中断して、驚いた人たちはみんな震えながら泣いていた。私も死ぬかもしれない、とは思った。でも、今こうやって生きている。それはあくまで比較の話でしかない。そうすることで安心するんだろうか? でもそれって最低な行為じゃないだろうか?


「寒くないか? もっと温度上げようか」


 亨の声で我に返る。さっき海が目の前にあったときには、こんなことを考えなかったのに、高いところから海を見て、地震のことを考えてしまった。波が来る映像って必ず高いところから写されているから、なのかな。


 きっと、これから先も、もっとひどいことはあるはず。それはぼんやりとした不安、あるいは予感なのかもしれない。それにしても彼は私に何度も寒いかどうかって聞くね。そんなにそう見えるのかな? 鏡の前に立つ。いつもの私の顔だった。


「ううん、大丈夫……。ねえ、数年前に大きな地震があったでしょう?」


「ああ、よく覚えてないけれどね」


「そうなの?」


「山梨はあんまり影響なかったから……もちろん、中には気にしていた連中もいたよ。確か、中学校も休みになったような気がする。ろくに通ってなかったってのはさっき話したよね? それでも毎日律儀に連絡が来たな。あそこでそんなに不安になった人は少なかったような。少し立って、学校行った時も、皆普通だったような気がする。もっとも、俺は友達なんていないも同然だったから、いつもと同じように感じたのかもしれないけれど」


 亨はそう言ったのだけれど、そこには間違いなく嘘が含まれていると感じた。正確には嘘じゃなくて、言わなかった言葉。『友達なんていないも同然』とは言ったけれど、『恋人』はいたんじゃないかな。


 そんなこと、私の想像でしかないのだけれど、そのときの彼は多分、孤独ではなかったんじゃないかな。私が女だったら……いや、女なのだけれど、そうじゃなくて、私が今、仮に中学生だとして、彼を好きになるとしたら、どこだろう。


 そんなこと、無意味だってわかっているのだけれど、そんなことを考えてしまった。これだってさっきのお爺さんの問いが影響しているんだ。自分で何かを考えて、それが答えの出ないようなことでも、ついそうやって考えてしまう。


 もしかして、私、緊張しているのかな? それとも、彼に殺されると思っているの? 彼ははっきりと死にたいと言っている訳ではなくて、私の想像。それに、私とは今日会って、数時間同じ電車に乗っただけの仲だから、はっきり言って何も関係ないんだよね。


 だから、彼が最後に私をそうしてもおかしくない。でも、さっきの話と矛盾するみたいだけれど、彼はきっと私には何もしないとも思う。どちらにも根拠はない。


「本当の話、地震ことなんてずっと忘れてた。さっき海見ても、思い出さなかったんだけれど、こうやって少し高いところから見てたら、津波の映像を思い出しちゃったの」


 亨は煙草を吸おうと思ったらしいけれど、私の顔をみてやめた。この部屋の中で吸われると、煙だらけになるだろうな。外だと全然、気にならなかったのだけれど。


「時々そういうニュースを見ると、『自分が死ねば良かった』っていう奴がいる」


 亨は怒ったように言い出した。私は冷蔵庫に入れておいた水を取り出して、一本を彼に渡す。こう言う時は黙って話を聞いた方がいい。彼は話に集中していたように見えたけれど、私の差し出した水をきちんと受け取ってくれた。


「俺は絶対にそんなことは思わない。死にたい時には死ねばいいんだけれど、誰かの代わりってなんだよ? 違うだろ。そこに意思があれば自分で選ぶものなんだよ。死ぬことなんて変わりなんてならないんだ。絶対に」


 亨のその勢いが、今までの彼とは全然違うから気になったので聞いてみることにした。


「……うん、そうなんだと思うよ。それが絶対に正解だとは思わないけれど、間違っているとも思わない。でも、なんでだか怒っているように感じたよ。何かあったの?」


 亨は窓際に行って煙草に火をつけた。私は灰皿を彼のそばに持って行った。灰皿には箱マッチがはいっていた。


「……怜、酒飲める?」


「全然だめ」


 私は嘘をついた。彼とは素面でいたかったから。亨はそれを聞いて笑った。


「聞いといてなんだけれど、実は俺もなんだ。だからよかったよ。コーラでいい?」


 私は頷いた。多分、長い話になるだろうな、という気がした。喉が渇いてたのか、さっき出したばかりの水はもうなかった。煙草の煙は、小さく開いた窓から流れていく。暗くなり始めている海から波の音が部屋の中まで届く。

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