6-2

「あのよお、海に立っている男ぉよお、おめぇさんの彼氏かぁぁ?」


 隣から声が聞こえてきて、そっちを向くと白髪のお爺さんが立っていた。変な匂い、凄く変な匂いの煙草を厚い唇にくわえている。また煙草だ。確かニュースでは喫煙率は下がり続けていると聞いたような気がしたけれど、私の周りまではそのニュースは届いていないらしい。


 お爺さんの顔を見ると、肌がものすごく日焼けしている。多分、漁師か、漁師だった人なのかもしれない。それはとても、彼にとって自然のように見えた。当たり前のことというか……。さっき考えていた、経験というものが頭を過る。


 歳を取れば、少なくとも人生経験は積める。だけど、それを人生に生かせるかどうかというのはまた、別なのだろう。隣に立つお爺さんは、私が見る限りそれが上手にできているような気がした。立ち姿、立ち居振る舞い。全て。


「いいえ、違いますよ。友達……でもないな、知り合いかな。しいて言うなら、ですけど」


「なぁお嬢さん?」


 お爺さんの目が鋭くなる。ナイフのような鋭さってのは表現としてありきたりだけれど、それを現実にするとそれしかはまる言葉はない気がした。


「なんでしょう」


「おれはいま、お前さんの話を聞いて思った。『友達』と『知り合い』、あと『恋人』の違いってのは、何かぁねぃ? おれにわかるように、教えとくれ」


 お爺さんの顔を見ると、彼もちょっと前の亨と同じように海を眺めている。人が海を眺める時、必ず遠くを見る視線になっているのはどうしてだろう。


 波のむこう、水平線の向こうに何かがあるから? 私もそこに視線を移しながら、彼の質問の意味を考えてみることにする。今はそれ以外やることもないからね。


「考えてみても、いいですか?」


「いいさぁ。老ぼれの質問をきちんと考えてくれるのなんて、ありがたいねぇ」


 そういえばそうだな。この人と私は何も関係なくて、たった今ここで会っただけだから答える必要なんてないのだけれど、やることがないから考えたいと思う、なんて言うわけにはいかない。でも、それはただ時間を消費しているというわけではない……はず。


・知り合い……(                )


・友達……  (                )


・恋人……  (                )


 頭の中にあるノートに箇条書きで書く。その後ろに理由がかけるようにスペースもあける。そうだ、私、小学校のこと先生にノートの使い方が上手って褒められたことがあったんだ。


 私は積極期に手を上げたり、運動が得意ってわけでもなかったから、そう言われたことは当時、とても嬉しかったんだ。……と、また記憶が別の方向に行ってしまった。


 そうだな……三つとも、どれも基本的に同じで、深さが違うだけ……なのかな。多分、恋人が一番深いところまでいけるのだろうけれど、知り合いだってある意味では、深いのかもしれない。じゃあ友達は? 間違いなく同じだろう。


 そう考えると、三つに違いなんてないじゃない。何も変わらない。でも知り合いや友達じゃあ、一緒に深くまで歩いていけるとは思えない。だって……だって何だろう? 友達だって知り合いだって恋人と同じじゃない? 違うの?


「青い顔しているよ。寒くなった?」


「……え?」


「顔」


 手を持ち上げてほっぺたを触る。確かに少し冷たくなっているかもしれない。


「ねえ、いつ海から出たの?」


「ついさっき、というか今」


「今? ねえ私の隣にお爺さんいなかった? 良く日焼けした」


「じいさん? 日焼け? いったいどこに? サーファーに軟派されたのか? どいつだ?」


「サーファー……」


 確かに隣にいた。間違いなくいて、私に三種類の人間関係の違いを聞いてきた。


「俺は海入って足下だけを見てたからな……。ちょっと分からない」


「そう」


「それより、そろそろ移動しよう。怜も顔色が悪いぜ」


「そうかな?」


「ああ、電車乗っていた時とは別人だよ。やっぱり寒すぎたのかな。悪いことをした。ごめん」


 不思議なもので、私自身は全然寒さを感じていなかった。むしろ暑いくらい……。


「確かに、言われてみれば寒いのかもしれない」


「大丈夫なのか?」


「うん。暖かいコーヒーでも買って飲むよ」


 正直なことを言うと、寒さや暑さなんかよりも、さっきお爺さんに言われたことが気になっていた。亨に私の顔色が悪く見えたのも、きっとそのせいなんだと思う。


 こういう言い方って悪いのかもしれないけれど、亨は何を考えて生きているんだろう。彼は本当に死ぬ気なのかな。そうだとしても、何かは考えているだろう。じゃあ私の身近な人。私の両親は? 両親……私のことは特に気にしていないように見える。特に父親が。


 そんなことはないのだろうけれど、たまに実家に帰っても特に会話らしい会話はない。母親とはそうでもないけれど、いったいどこまで、私は彼らに本音を言ったことがあっただろう? 例えばもっと若い頃。中学生とか、高校生の頃。


 あの時からずっとそうだったかもしれない。両親だけじゃない。私には昔からの親友と呼べる友達っていたっけ? 電話帳を見てもいいかもしれない。でも、いてもきっと数人だろう。孤独……。


「どこに泊まるんだい? 正直なところ、さっさと眠りたいんだ。遅くなったのは俺のせいなのだけれどさ。だから今回のことは俺が悪いわけだけど、それでも自分以上に何かのせいにしてしまうのは、絶対に俺の悪い癖だ。いい加減なおすよ。そうだな、今日中に直そう。無理なら明日だ。」


 彼が言うよく分からない言葉で自分が戻ってくるのを感じる。まあ、なんでもいいや。


「昨日はどこ泊まったの」


 彼が『いつ』家を出たのかってそういえば聞いてなかった。


「昨日は……ホテル。ラブホテルだけれど。パチンコ屋で会った、よくわからない女と一緒だった」


「ふうん……」


 変な人生。よく知らない人とはセックスするってこと? 一体彼の何を信じれば良いのか。でも信じるってことは知り合いから友人への課程だ。それがさらに深くなれば恋人になる。多分。私が享と? まさか。

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