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 枕の隣に置いていあったスマートフォンを見る。


 今日は土曜日で、今は朝の七時。


 変な夢を見た。ずっと前に、忘れていたこと。今でも時々、記憶の手は私の今を掴もうとする。今の私を掴んだって何も良いことなんてないと思うんだけれど、それはいつまでも私のことを追いかけているみたい。


 しつこい奴、そんなのは嫌われるぞ。……でも、それが私自身だってことはもう、ずっと前から知っていることなんだ。


 ベッドから下りてコーヒーを入れるためにお湯を沸かす。鏡を見たわけじゃないからはっきりとはしないけれど、きっと酷い顔をしているだろうな。起きたときの感じで分かる。


 昨日までの仕事の疲れが残っている。だから、朝入れたインスタントのコーヒーを飲んだだけで、午前中は何もする気が起きなかった。いくら疲れてても、夜遅くまで起きていても、目覚ましがなくても、休みでも、いつもと同じ時間に起きてしまうのが悲しいところだけれど、大人になるって言うのはきっとそういうこと。


 ぼんやりと壁にかかっているカレンダーを見る。気が付けばもう九月。そういえばエアコンがついてない。今日はそんなに暑くないのかもね……。


 九月になると、もう夏は過ぎた気がするけれど、窓の外ではまだまだ蝉が鳴いている。だけど、すぐに秋が来て、冬になる。知っているんだ、そういう風に出来ているってこと。


 お腹が空いたような気がした。そういえば朝から何も食べてない。コーヒーを飲んだだけ。……煙草が吸いたくなったけれど、私は普段吸わないから持っていない。


 これもきっと、あんな夢を見たせいだ。昨日の夜、秋の気配と夏の名残を感じながら歩く仕事からの帰り道、どうしてか過去のことを思い出したんだ。数年前にあった、ちょっと不思議なこと。


 それがあったからきっと、記憶が戻りすぎてあんな変な夢を見たんだろうな。今と共通していることなんて、何も無いのに、どうしてだろう。あの時は真冬だった。寒さだって覚えている。


 ……本当? わかんない。窓を開けると夏の暑さが入ってくる。おかしいな、今日はそんなに暑くないはずなのに。違う、額に汗が浮いている。暑さに気が付かなかったってだけなんだ。


 電車の音と車が走る音。全然違うんだけど、船のエンジンの音みたいに聞こえた。あとでメッセージでも入れてみようかな。気が付かないだろうけど。携帯電話なんて、ろくに見ないんだから。


 空は夏の終わりを知らせている。秋の始まりも。その先は冬、今とは全然空気が違うんだ。もっともっと空気は澄んでいて、空はとても冷たい冬……。とてもとても長い冬。そして海。


 ほんの数年前のことなのに、彼が変な煙草を吸っていたこととか、泊まったホテルから見えた夜の海とか、そういったあんまり重要じゃないことしか思い出せない。


 ううん、きっと思い出すことこそが大切なのかもしれない。彼のことはもちろん忘れていない。今でも時々連絡が来る。相変わらず、自分のことしか話をしないし、私も、当たり障りの無いことしか話さないけれど、彼は私の友達。


 そういう会話、スマートフォン上の会話でも通じることはある。そりゃあ会えれば会えた方がいいかもしれないけれど、会ったら会ったで今の空気が消えてしまうような気がする。


 そんなの気のせいでしかないのだけれど。はっきり言えるのは彼のことは忘れようったって忘れないってこと。忘れたくないと、忘れたいは同じようで違う。


 彼と会ったのは駅のホームだった。普段なら使うことのない駅。偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない。こういうのを誰かに言うと、三人中一人くらいは御託を並べるのがいるんだけれど(偶然とは必然で云々とかそんな寝言)、結局そいつらはただ人の話を聞いて答えるだけだから、何を言われても私には答えようがない。


 彼と会ったことは事実で、会わなかった世界は多分存在しない。今、それを変えることはできない。できることがあるとすれば、受け止めることだけ。時々、受け止めると何かが死んでしまう人たちがいる。


 私はそうはならない。どうして? 私が強いから? 違う。私は全然強くなんてない。あの時、私がいつもと同じ道を歩いていたら、彼とは出会わなかった。いつもなら同じ道しか通らない。


 私は冒険なんて無縁の人生を送ってきた。小さいころからそう。小学校はいつも友人たちに付いていっていたし、中学校もそう。部活とか、よくやったなと今なら思う。


 当時は深く考えるよりも行動している方が楽だったんだろうな。何かを考えることをしなくて済むから。単純に、理由は『一人になりたくなかったから』なのだけれど。


 最初の大きい選択は高校を選んだ時。でもそれだって、そこが友人たちが多く進学するって言っていたから選んだ、理由なんてそれだけ。誰も行かなかったらそこには行っていない。


 大学は……もう私も十八になっていて、それだけが理由ってわけじゃないけれど、自分で選んだ。けれど、そこが自分の学力で行ける一番良い学校だったから。ふざけた選び方だよね。


 何か特定の勉強がしたかったなんてことはなく、何かをしたかったってこともない。そのまま行っていたら多分、それから先のことで苦労したと思う。


 何もしてこなかった人のことなんて誰も評価なんてしない。もし何もしなかったとしても、それもきっと私で、その未来だって、もしかしたらなんとかなっていたのかもしれない。それはわからない。

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