戦時の誓い

松山大紫

戦時の誓い

 町は崩壊寸前だった。

 原形をとどめていない建物が、瓦礫の山の中に立っている。

 すっかり見通しが利くようになり、何もなくなった灰色の町の中で、1つ動くものを見つけた。

 瓦礫の下でもがいているソレは、15、6歳の女の子だった。

「何見てんだよ、あんた」

 少女は、挑戦的な視線を私に向けた。金色のあふれるような髪が砂や埃で汚くなって、真っ白であろうその肌は、血と泥に染まっている。

「どうせ殺すんなら早くやってよ。その方が気が楽だから」

 異国の言葉を話す少女だが、私にはその言葉が理解できた。

 昔この国の人間との通訳として働いていたことがあるからである。



 始まりは、隣国のとある町との争いだった。

 そのとある町に滞在していた我が国の人間に、町民が襲い掛かり殺害するという事件が起こった。それは1度や2度ではなく、何度も。

 国民を殺されたとなれば、我が国の政府は黙っていない。

 即刻、軍に対して指令を出した。


 町を破壊せよ。


 私は知っていた。

 我が国の人間がその町で横暴を働いていることを。

 町の者は苦しんでいた。我が国の人間によって、虐げられ、略奪され、辱められていた。

 当然我が国の政府もそれを知っていた。しかし、知らないフリをしていた。

 あくまで、自分達の国民を殺されたことへの報復として、正義という肩書きを背負って戦おうとしている。

 隣国の政府は、町民を見捨てることはしなかった。

 自国の国民を守ろうと武器を手に立ち上がった。

 我が国の政府は、舌なめずりをせんばかりの心情でその状況を眺めていたことだろう。

 かねてより、隣国を潰して我が国の領土にしようとしていたのだ。戦争に持ち込む大義名分ができたことに喜び、殺された我が国の人間に感謝すらしていた。

 私はそのすべての事情を知っていたし、この戦いの理由がおかしいことにも気付いていた。


 しかし、私はただの軍人だった。

 だから、戦う理由を考える意味などいらなかった。

 言われたとおりに銃を向け、言われたとおりに殺す。

 私に銃を向ける者、刃を向ける者、助けを求める手を向ける者。

 全ての命を、一瞬にして奪っていく。

 私に出来るのは、ただそれだけだ。

 心などとっくに死んでいた。

 自分自身もいつどこで死んでもいいと思っていた。

 地獄というものが存在するのなら、自分が行きつく先は間違いなくそこなのだろうとぼんやり思っていた。恐怖も不安もなかった。


 ほどなくして国同士の本格的な戦争が始まったが、それは戦争とは呼べない一方的なものだった。

 世界はその小国を見捨て、援軍など送らなかった。大きな産業もなく、細々と続いていたその国は世界にとって何のメリットもなかったということだろう。一部の活動家が声を上げても、世界は揺るがなかった。

 大国として栄え、革新的な技術を生み出し、著名な科学者を幾人も輩出している我が国を敵に回そうなどという愚かな政府は存在しない。

 我々の国の軍隊が、一方的に隣国の国民を虐殺して行った。

 そして、戦いはもう潮時になっていた。




 ――少女は瓦礫に足を挟まれ、動くことができないようだった。

「殺すなら殺せばいい。どうせ、家族も友達ももういないんだ」

 少女はそう言って私を見据えた。蒼い瞳に、迷いはない。

 それが無性にむなしく感じて、私は彼女を殺す気になれなかった。銃を置き、そして素手で瓦礫の山を崩し始めた。

「何してんだよあんた!殺すならさっさと……」

「静かにしていなさい」

 喚く少女に声をかけ、私はただ黙々と瓦礫を崩していった。

「これで動けるはずだ。さぁ、手を貸して」

 嫌がる少女の手を半ば強引に握って、瓦礫の山から這い出させる。

 少女に大きな怪我がないのを確認して、私は一息ついた。

「……どうして助けたんだよ」

「理由などないさ。お前一人殺したところで、この国が滅びることには変わらない。もうすぐこの国は白旗を上げ我々に屈服する」

 私の言葉に対し、少女は何か言おうと口を開きかけたが、何も言わずにうつむいた。その瞳から、淡い雫が流れるのに時間はかからなかった。

「もうすぐ夜が来る。建物が壊れてしまったこの町では、夜の寒さは防げないだろう。これを着なさい」

 私は、着ていた軍服を脱いで少女の肩にかけてやった。

「こんなもの!」

 少女は、軍服を地面に叩きつけた。

「いつかあんたらに必ず復讐してやる!家族も、友達も、全て奪っていったあんた達を、私は絶対に許さない!絶対に!」

 涙に濡れた瞳が、私の目をしっかりと見ていた。

「それならまず、生きなさい。私達を恨み、復讐心を燃やすのならそれでもいい。君が死ぬ理由はどこにもない」

 私は少女の頭を撫でた。反抗しようと手を振り上げ、しかし少女は、その手を力なく下ろして言った。

「……ありがとう」

 どんな感情で発されたのだろうか。少女のその言葉は、私の胸に焼けるような痛みを与えた。

 私は何も言わずに少女の元を離れ、壊れた町を後にした……。


 終戦が告げられたのは、その日の夜だった。


 次の日、私は町の死体の撤去作業のために再びその地に降り立った。

 数え切れないほどの死体が、トラック何台分も積み上げられている。そしてその中に、昨日のあの少女の死体を見つけた。

 投げ捨てたはずの軍服をしっかりと着込み、背中に大きな鎌が刺さっている。

「その女の子だけどさ」

 呆然として少女を見ていた私に、仲間のひとりが話しかけてきた。この戦争で左腕を負傷して戦線離脱していたが、死体の撤去作業には駆り出されたらしい。

「何故か軍服着てるだろ?そのせいで町の人間が軍人と間違えて、後ろから鎌でグッサリやっちまったらしいぜ。こいつァ、相当苦しんで死んだだろうな、可哀相に……」

 友人の言葉が、遠く聞こえた。

 私が彼女にあげた軍服。そのせいで、彼女の命は奪われることとなった。

 彼女を殺したのは他の誰でもない。私だ。私が彼女の命を奪ったのだ。


「なぁ……」

 私は尋ねた。

「俺たちが戦った意味は、なんだったんだ?」

「そりゃ、殺された我が国の人間のために……」

「それならば、この少女が死ぬ必要はあったのか?この少女に限らず、こんなにも町を破壊し、殲滅する必要があったのか?」

 彼は答えなかった。私にも、答えなど分からなかった。

 そして……




「司令官、どうしたんですボーッとして?」

 あれから15年、私は今、軍の総司令官である。

「いや、少し……昔のことを思い出していた」

「はぁ、そうですか。……あの、それよりどうするんですか?政府からの要請」

 隣国の町を1つ、攻撃しろという要請が来ている。理由は10年前と同じ。我が国の人間を、町の者が攻撃したから。

 私はためらわなかった。

「軍隊を町に送る。ただし、くれぐれも町民を攻撃するな。まずはその国で何が起こったのか、何がこの事態を引き起こしたのかを調査することだ。結果次第で方針を検討する」

「しかし、そうすると政府のお偉いさんから責め立てられますぜ。調査は俺らの仕事じゃない。勝手なことをすると、最悪、司令官の首が吹っ飛ぶことに」

「心配するな。私の首などいくらでも差し出す。政治的にも、物理的にもな。私は私が死ぬことより、死ぬ理由のない者たちを君たちに殺させることの方が耐えられない」

 部下はそんな私の言葉を聞いて、ニヤリと笑った。

「相変わらずお人好しですね。人によっちゃあんたのこと、戦う覚悟のない腰抜け野郎と馬鹿にしてますぜ。かつては冷酷無慈悲の殺戮マシーンとまで呼ばれた男だってのに」


 「冷酷無慈悲の殺戮マシーン」とは、五体満足のまま大した負傷もせずにあの戦争を生き抜いた私に付けられた呼称だった。極めて不愉快な呼称だったが、私が大量虐殺の立役者であったことは紛れもない事実だった。その功績を元に、司令官にまで上り詰めた。

 だが、15年前のあの日、少女の遺体を目にしたあの瞬間、私は1度死んでいた。

 それまでに築いてきた全ての価値観を、生き方を、私という存在の歴史を失った。その場で命を絶とうという強い衝動に駆られた。

 それでも命を絶たなかったのは、少女に「生きろ」と言った私が自らの命を絶つという矛盾に耐えられなかったからだ。

 私はあの少女に生かされていた。

 彼女の言った「ありがとう」の意味は今も分からない。

 だが、あの時感じた焼けるような胸の痛みが、私を生かしていた。

 やってきたことを償い、少女の死から感じたものを何物かに昇華せずにはこの世から去れない。

 そして私は、亡霊のまま今も生き続けている。いつ死んでも、地獄に落ちても構わないと思いながら。


「――司令官」

 部下は声色を変え、やや真剣な顔で言った。

「冗談抜きに、今のままだと政府のお偉いさんどもから物理的にぶっ殺されちまうかもしれませんよ?」

「構わん。だが、俺の首を刎ねようとするなら政府のお偉方を最低でも10人は道ずれにしようと思っている」

 そう言い切ると、部下は声を上げて笑った。

「全くクレイジーな司令官だぜ。だが、俺はアンタみたいな人に仕えられて幸運だと思いますよ。道理のない殺人なんざ誰もやりたかありませんからね。アンタがやれと言うときは従うし、やるなと言うなら勝手なことはしねぇ。多分、他の連中もそう思ってるでしょうね」

「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと行け」

「Yes,sir!」


 背筋の伸びた美しい敬礼をして司令官室を出て行く部下の後姿を見ながら、私はぼんやりと少女のことを頭に思い浮かべた。

 あの時私は誓ったのだ。

 もう2度と、意味のない惨殺を起こさせまいと。

 人の未来を奪う軍人ではなく、人の未来を守る軍人であろうと。

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戦時の誓い 松山大紫 @matsu-taishi

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