恋の戦争
石衣くもん
恋の戦争
机上に散らばる、ピンクと黄色の縞模様に包まれた、愛してやまない憎き固形物。乙女の天敵、ザ・糖分。
包み紙を開くと、薄桃色の半透明な球体が転がるようにお出まして、人工的な甘い薫りを振り撒いた。
それをなんの躊躇いもなく口へと放り込む眼前の女には、愛憎における前者はなく、後者ばかりが募る一方だ。
「いらないのぉ? あんたの大好きなイチゴ味なのに」
もう一度わかり易く言い直そう。わたしは、こいつが、嫌いだ。
下卑たニヤけ顔で、ダイエット中であるわたしに、飴なんていう砂糖の塊とも言える代物を勧めてくる悪友は、さながら、イヴを誘惑して林檎を食べさせた蛇の末裔ではないかと、秘かに訝しんでいる。
「痩せ我慢は身体と美容に悪いのよ。たかが飴玉いっこじゃない」
疑惑が確信へと変わった。こいつは蛇だ。悪魔の化身だ。
「邪悪な者は去れ!」
「黙れ、脳内花畑のパラダイス馬鹿」
黙るのはお前だ。
わたしの脳内は決してエデンなんかじゃない。八〇パーセントを占拠しているのは先輩で、残りの二〇パーセントは人間の三大欲求で埋まっている。
お花たちが入り込んでくる隙間など一ミクロンもないのだ。
「ねぇ、あんた、あんな人の何が良いわけ?」
「ぶ、無礼千万! 先輩に対してあんな人などという呼び方、如何なる了見でも許さんぞ!」
「だって変人じゃん。変態じゃん。おまけに水虫じゃん」
次々とマシンガンのように吐かれる純悪意の暴言にくらくらする心地がして、座り込む。馬鹿って言うな。馬鹿って言った奴のかーちゃん出臍。閑話休題。先輩が水虫であった事実はともかく、だ。
こんな嫌がらせに屈しない。わたしは先輩の水虫ごと愛し許容する心と、自信があります。
「それより、先輩が水虫だなんてトップシークレットまで、このわたしを差し置いて押さえているなんて、さてはあんた、先輩を狙っているのでは……」
「や、ほんとに勘弁して。それ、侮辱だから。わかんないかなぁ、止めときなって言ってあげてんでしょうが。 あんな奴の為に、あんたが好きな物我慢する必要ないっつってんの」
「あっ、とうとうあんな人じゃなくてあんな奴って言ったな。良いの! これは先輩とわたしの真剣勝負なの、戦いなの! 恋は戦争なのよ!」
だから、欲しがりません、勝つまでは。
ノーと言える日本人代表、恋する乙女括弧自称は、飴より何より、先輩が欲しいのです。
大声で宣言したら、恥ずかしい奴め、こんなとこでそんなもん引用すんな、歴史に謝れ、と矢継ぎ早なツッコミと白い眼を寄越してきた。
ひどい奴だ。今のは完全に自分が誘導尋問したくせに。
それでも、そこまでしても、わたしの先輩への愛にけちをつけたいのだ、こいつは。嫌な、親友だ。
それでもわたしの熱意に負けたのか、溜め息を吐いてから、
「勝算は?」
と、わたしの恋路を応援することに決めたらしい。
「大体ね、あの人落とそうってんなら、欲しがりません、勝つまでは。なんて謙虚な姿勢じゃ、勝利は拝めないわよ」
「……何を根拠にそんなこと」
「だって普通じゃないんだもの。あの変人を恋人に欲しいんなら、しっかり欲しがるべきなんじゃない? でないと絶対手に入りやしないわよ。勝ち戦なんて夢のまた夢、よ」
「はあ、何もわかっちゃいないわね、この人」
「煩い。彼氏いない歴イクォール年齢、人生真冬女が」
「黙れ、この阿婆擦れ」
先輩は、お前のような尻の軽い女を所望して、ほいほい引っ掛かる、頭の軽い男共とは一線を画しとるわ。男の数イクォール経験豊富と勘違いしている、おめでたい非処女め。
「ズレてるのはアンタの恋愛感覚と美的センスだ、おめでたい処女め。……で、私がいったい何をわかってないんですって?」
仕方ない。未だ本物の崇高なるエロスに触れたことのない憐れな子羊ちゃんに、このわたしがひとつ、高説垂れてやろうじゃないか。
耳かっぽじってよくお聴き、お嬢ちゃん。
『欲しがりません、勝つまでは』
なんて勝利に貪欲なスローガン。言いたい本音を建前の包み紙にくるんで、隠すのがジャポネーゼ。しかし表立つ謙虚な表現にだって既に、その片鱗は見え隠れして窺える。
欲しがらないのは、勝つ、その時まで。
「だから、ね。勝利を収めた暁に、先輩には血の一滴までも残さず、わたしに捧げてもらうつもりなの」
「……あんた、ほんとに頭も性格もわっるいわね」
「うふふ」
仕方ないの。先輩をそれだけ愛してるんだもの。
欲しがりません、勝つまでは。
だけど、勝ったら全部頂戴?
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