『ヘンリー』のチカ

藤島

第1話

 チカは人間じゃなかった。


 育児用アンドロイド『ヘンリー』のチカ。


 チカはシングルマザーで保育士でもある母さんの育児、つまりぼくの面倒を見るために家にやってきた。ぼくが三歳の頃家にやってきて、それから十五になるまで一緒に住んでいたんだ。


 チカと一緒に過ごした時間は楽しかった。母さんの代わりに保育園への送り迎えをしてくれて、帰ってからはぼくの遊び相手になってくれた。


 ぼくの母さんは、できれば自分で何でもやりたい人だったけど、さすがに小さいぼくを相手しながら、料理をしたり、掃除をしたり、仕事の準備をすることに限界があったらしい。チカがいることで、母さんは自分の思うクオリティで仕事と家事ができていたし、できた余裕でぼくにたくさん愛情を注いでくれた。


 例えば、ぼくが保育園で友だちを突き飛ばしてしまった時。母さんはチカからその話を聞いて、一瞬怖い顔になったけど、その少し後に、優しく、ゆっくりと「何で突き飛ばしちゃったの?」と、チカと一緒に聞いてくれた。ぼくは、「いやだった」と言って、チカを指差した。チカがそれを、母さんに伝えてくれると、母さんはぼくの顔を両手で包み込んだ。


「チカは理人まさとの大事な友だちだもんね。バカにされて嫌だったよね。でも次からは、お友達を突き飛ばすんじゃなくて、お口で嫌だったって伝えてね」


 母さんの湿った笑顔と、チカが出してくれたお友達を突き飛ばすところにバツがついた絵を見て、ぼくはうんと頷いた。


 チカみたいなアンドロイドはぼくの通っていた保育園にはいなかったから、毎日アンドロイドが迎えに来るのは変だって、ぼくが突き飛ばしたその子は言っていた。何が変なんだろう。


 チカがいることは、ちっとも変じゃないのに。


 チカがいなかったらぼくたちはたくさん困っていただろうしし、逆に、チカがいてくれたから、助かったこと、嬉しかったことがたくさんある。


 チカは力持ちだし、話もできるし、笑顔だって綺麗だ。母さんとぼくだけじゃ難しかった模様替えとか、引っ越しの準備とか、重い荷物を持ってくれたりとか、高いところの掃除とか、いろんなことをやってくれた。母さんもチカがいてくれることを喜んでいた。


 ぼくが六歳になる頃には、チカは当たり前のようにぼくたちの家族になっていた。

 いなくなったら困ってしまう、大事な存在。


 チカは育児用アンドロイドだったから、母さんの相談にもよく乗っていた。


 七歳のある日、ぼくが夜中に目を覚ますと、キッチンで母さんが暗い顔をしてチカに話しているのを見た。その内容は分からなかったけど、どうやら母さんは疲れているらしいことはわかった。チカは母さんの話を丁寧に聞いていて、その時の母さんに合わせた声で母さんの悩みに答えていた。


 チカの声に励まされて、母さんは最後に笑っていた。


 そんな風に、チカはぼくたちの生活に欠かせない存在になっていった。



 

 十歳のぼくは、一人で登下校ができるようになって、チカの助けがあまりいらなくなってきた。それでも、家に帰ったらチカがいて、宿題を一緒に考えてくれたり、晩ご飯の下ごしらえを一緒にやったり、たまに一緒に買い物に行って、お金の使い方をぼくに教えてくれたりした。母さんの帰りは、夜の八時を回ることが多くなっていた。


 ぼくは母さんと、朝ご飯を食べる時によく話をした。ぼくは一人でお風呂に入るようになったし、母さんは夜より朝の方が話しやすかった。母さんは前の日にチカから聞いたぼくの話を、今度はぼくから直接聞きたがった。どんなことを思ったのか、ぼくの気持ちを母さんは知りたがってくれた。チカはぼくたちと同じ食卓にいて、ぼくと母さんが話しているのを笑顔で聞いていた。


 ぼくはその時間が好きだった。時計を見ればたった十五分くらいのことだけど、帰りの遅い母さんと、顔を見て話せる時間だったから。


「授業は楽しい?」


 母さんが、タブレットに文字を書いて読んでくれた。


 ぼくは、耳から聞いた言葉がうまく頭の中で形にならない。だけど文字や絵を見たら意味がわかるから、最初は絵で、次は文字で、少しずつ頭の中に描けるイメージが増えてきている。


 チカの腕には液晶パネルがはめ込んであって、小さい頃はそこに表示されたイラストや数字で、言われたことや、やることを伝えてもらった。そうやって、チカにはたくさんのことを教えてもらった。数字、ひらがな、時計の読み方、物の名前。チカがいなかったら、ぼくは知らないことがいまよりたくさんあったかもしれない。チカがいない生活なんて考えられないくらい、ぼくはチカに助けられてきた。


 チカの腕の液晶パネルも、いまではほとんど使うことが無くなってきた。ぼくが小学校用にタブレットを支給されたからでもあるし、日常生活でのやりとりに、そこまで不自由がなくなってきたからでもあった。たまのお出かけ先で使うくらい。でもぼくは、自分のタブレットを使うことの方が多かった。チカとタブレットを繋いで、チカがぼくに伝えたいことがある時に、タブレットに表示できるようにもしたからだ。


「たのしいよ」


 ぼくは言葉で返す。言葉と言葉のやりとりは、小さい頃よりずっと速くできるようになっていた。たのしい、と言った時、自分の頭の中に、両手を上げて笑っている絵が浮かんだ。それが、ぼくの楽しいのイメージ。


 チカが最初に教えてくれた楽しいの絵がそれだった。


 授業は楽しい。分かることがあるから。自分の分かることが増えていくから。言葉だけでは分からなくても、タブレットで教科書の文字を追ったり、時々イラストと文字をつなげてもらったりして、分かるようになっているのが、楽しかった。


 ぼくの答えに、母さんはにっこりと笑う。嬉しそうな母さんの顔を見ると、ぼくも嬉しかった。ぼくの嬉しいは、母さんの顔をしている。


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