第37話:未来へ乾杯

 喉奥から鼻腔にかけて酒精の香りが通り抜けていき、頬に熱を感じる。

 早くも足元がふらつきそうだが、なんとか押し留まる。

 

(たった一杯でこれかぁ)


 飲み慣れていないからなのか、元からそういう体質なのか。

 酒には気を付けないとなぁ。


 なんにも考えられず、ぼーっとしてしまう。

 一気にいろんなことが起こりすぎた。脳が疲れている。


 騎士長だの赤き獅子だの……。

 これだと、まるで物語の主人公のようじゃないか。



 向こうのテーブルでは、大騒ぎになっていた。

 皆、楽しみ方はそれぞれだが、笑顔だった。さっきまで疑念の面持ちだった面々も、グスタフやジークから直々に発破をかけられている。


 そこまでして、どうして盛り上げようとしているんだろう。


「みんな、貴方に期待してるのよ」


 背後から、ソニアがぽつりと呟いた。俺の疑問を見透かしたかのように。


「私もそう。貴方の活躍を見て、貴方の能力を知った。だから期待してる」


 振り向くと、ソニア様は淡く笑っていた。

 風が吹けば消し飛びそうなほど、力のない笑みだった。


「ソニア様……」


「ソニアでいいわよ。どうせが来るんだし」


 そういう日?


(そうか、そういう日ね……)


 酔った頭で深く考えられない。

 ただ、ソニアが真面目な話をしているということだけは分かる。


「でも、結局貴方の人生よ。どこを向いてどう歩くかは、貴方が決めること」


「……そうですね」


「どうするつもりなの?……聞かせてもらえる?」


 グスタフとは違って小さな、透き通るような声だったが、その言葉には素直に従いたくなるような何かがあった。


 なので、正直に答える。


「とりあえず、肉食べてきます。これ以上かっこつけられないんで」


「……あんたねぇ」



 §§§§§§



 魔法都市ロギスラントの舗装された白いレンガ道を、一人の兵士が駆けてゆく。

 やがてその兵士は、巨大な城、その城門に辿り着き、衛兵に呼び止められた。


「通せ、通せ!今すぐ公爵様にお伝えすることがあるんだ!」



 見知った顔のただならぬ様子に、衛兵は素直に彼を通しいれた。

 通された兵士はひたすら駆け走り、ついに目的の部屋へ辿り着いた。


 じれったさを押し隠して貴人への礼を取るため、ドアをノックする。


「どうぞ」


 声が返ってきた。

 普段と声が違うような気がしたが、そんな違和感を振り払うほど彼は慌てていた。


 ドアを開ける。


「閣下!一大事です!モンスターが……!」


「モンスターが?なんでしょう?」


「――――!お、お前……誰だ?」



 そこには、彼が情報を伝えるべきアルドリッジ公爵家当主はいなかった。

 黒いローブと、病的なまでに白い肌、歪んだような笑顔の魔術師だった。


 彼はふと、鉄の臭いがすることに気づいた。


 そして、赤いカーペットで目立たなかったためなのか。

 執務机に隠されていたせいなのか。

 魔術師が当然のごとく居座っている異常事態によるものなのか。



 公爵家当主が、血を流してうつぶせになって倒れていることに気づくのが遅れてしまった。


「か、閣下……!」


「〈マインドテイク〉」


 魔術師の足元から、一本の曲がりくねった影のような手が床から伸びてきた。

 その手は伝令兵の足をつかみ、彼の『内部』へと侵入した。


「あ……!あ、ア、あああぁぁァァ………」


 彼はうめき、もがいた。

 やがて静かになった。



「それで?モンスターがなんですって?」

 兵が静かに直立するのを待って、ブラックロッドは朗らかに訊ねた。



「はい。なんでもございません」


「ひょっとして、集団で都市を襲っていたとか?」


「はい。その通りです」


「それは美しいですねえ……さぞや多くの人々が死に絶えるのでしょうねぇ……」


「はい。その通りです」


 話しかけられた兵士は、もうなにも意味のある返答はしなかった。

 ブラックロッドは興味を無くし、巨大な窓から街を見下ろした。


 街灯、馬車、大扉……見渡すだけでも、街中では魔法具がこれでもかと日常で使用され、人々はそれを甘受している。

 筋骨たくましい戦士など、この都会にはほとんどいない。


 もっとも、その方が彼にとっては都合がよかった。


「これから、みんな、みぃんな、死ぬんだ。みんな、殺す。……は、それからだ……」


 私欲と私怨の呟きが、部屋に響く。


 だが、それを聞ける者は、一人としていなかった。

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