第1話 母

 

 ――三年前 2017年――




「婆さん、大丈夫か? 上まで運ぶよ」


「あらご親切にどうもぉ。助かるわ~」



 ――自分の中の正義を貫け。



「ママー、風船飛んじゃったー」


「もう、しょうがないわね」


「よっと……ほら、もう手を離すなよ」


「あ、ありがとうございます……だ、大丈夫なんですか?」


「わ~お兄ちゃん忍者みたーい」


「はは、もう離すなよ。やべ、また遅刻する! じゃあな!」


「ばいば~い」



 ――困っている人が居たら見てみぬフリをするな。



 小さい頃からずっと、母さんにそう教えられてきた。

 だから俺は、自分のできる限りの範囲で教えを全うしている。自己満足なのは分かってるけど、人から感謝されるのは気分が良いし、喜んでもらえると嬉しい。


 余計なお世話だって言われる時もあるけど、それはまぁしょうがない。俺が勝手にやってることだからな。その場合は素直に謝る。

 でも、やらないで後悔するよりやって後悔した方が全然いい。


「あっぶねぇ、ギリギリセーフ」


 自分の席に座り、黒板の上に設置されている時計を見る。

 時計の針は遅刻寸前を指していて、ほっと安堵の息を吐いた。


 俺は新田にった義侠よしき

 帝蘭ていらん高校二年生。黒の短髪。身長百八十センチ。体重七十三キロ。自慢じゃないが運動はかなりできるほう。勉強は下から数えたほうが早いほどの馬鹿。


 顔面偏差値は知らん、自分じゃわからないしな。とまぁ俺のプロフィールは大体そんな感じだ。


「何がギリギリセーフだ。お前のことだ、今日もまた困ってる人を助けていたのではないか?」


「別にそんなんじゃねーよ」


「ふっ、どーだか。言っておくが何度も遅刻すると欠席扱いなんだぞ。義侠は頭も悪いし、本当に留年しても知らないからな」


 隣の席からクドクドと説教してくる女子は、八剱やつるぎ咲桜さくら

 家が隣同士で、幼稚園から小中高と学校が一緒。いわゆる幼馴染ってやつだ。


 咲桜は見た目が良い。

 背中まで伸びている黒髪はしっとり艶やか。健康的な肌には一つもシミがない。キリリとした目に長い睫毛。高い鼻と形の良い唇。全体的に綺麗というか大人っぽい顔立ちだ。


 それにこいつは顔だけじゃなくてスタイルもいい。背も高いし、出るとこはしっかりと出ている。


 咲桜は俺が出会ってきた女性の中では一番綺麗だと思う。流石に女優とかアイドルなんかには敵わないだろうけどな。


 だが、こいつが憎たらしいところは見た目だけじゃなくスペックも良いところだろう。馬鹿な俺とは違って、上から数えた方が早いほどの秀才。

 さらに勉強だけではなく運動もできて、剣道部では全国大会三位の猛者。こんな奴本当に現実にいるんだなって感じの女性だ。


 そんな咲桜は男子にモテる。もうモテモテだ。

 そりゃそうだろう。こんな良い女性放っておく訳がない。でも、本人にはその気が無いみたいだ。


 咲桜は一年生の頃から何回か告られているが、返事は全てNO。理由は彼氏なんか作っている暇はないとのことだ。


 ここだけの話だが、俺も中二の時に咲桜に告って玉砕している。

 咲桜は中学の頃から人気があって、他の男に取られる前にって焦って告白したんだが、俺は友達としてか思えないってきっぱりフられたんだよな。


 あん時は一か月ぐらい凹んだっけ……。失恋ソングとか聞きまくってたな……。

 まぁ、フられた後もこうして仲の良い友達としていられているから、別にいいんだけどな。俺もまだ諦めた訳じゃねぇし。


「そんなつれないこと言うなよ咲桜~。テストの時はお前だけが頼りなんだ」


「また調子の良いこと言って……。そういえば義侠、放課後時間あるか? 少し付き合って欲しいことがあるんだが」


「あ~悪い、今日は無理だ。バイトに直行だからさ」


「またバイトか。全く、一体いくつ掛け持ちしているんだ」


 ジト目で問いかけてくる咲桜に、俺は指を折りながら答える。


「スーパーだろ、引っ越し作業だろ、倉庫の荷運びだろ……あと最近ガソスタもやり始めたな」


「……いくら何でもやり過ぎじゃないか? 身体が壊れてしまうぞ」


「平気平気! 頑丈なのが取り柄だからな!」


 バイトを掛け持ちしているのには訳がある。

 その訳とは、母さんの入院費と治療費を稼がなきゃならないからだ。


 俺の母さんは一年前に重い病気にかかっちまった。治すのも難しい病気で、今は入院して寝たきりの状態。だから入院費と治療費は俺が稼がなきゃならないんだ。


 今日も本当は母さんの見舞いに行ってからバイトに向かう。咲桜に嘘を吐いたのは、心配させたくなかったからだ。


 母さんが病気にかかったことは咲桜には言ってない。知っちまったら咲桜は俺に同情するだろう。そんなのは死んでもゴメンだね。


「……あまりお母さんを心配させるんじゃないぞ。もし義侠が倒れたら、お母さんだって倒れてしまうぞ」


「ああ……そうだな。気をつけるよ」


 金が欲しい。母さんの病気を治すための金が。

 でも、高校生の俺にできることはたかが知れてる。

 何か……なにか方法はないだろうか。この泥沼を抜け出せる、何か良い手が。



 ◇◆◇



「う~す、元気か~」


「あら、また来たの? 毎日来なくていいって言ってるのに」


「いいじゃね~かよ。顔見せてるだけなんだから」


 放課後、俺は母さんが入院している病院を訪れた。

 ベッドで横になっている母さんに挨拶をするが、嫌な顔をされてしまう。ったく、息子が来てやったっていうのにその態度はねーだろ。


 ベッドの前にある椅子に腰かけ、母さんの様子を窺う。


(細くなっちまったな……)


 明るく元気で逞しかった母さんは、今はもう見る影がない。

 頬は痩せこけ、身体の肉は薄くなっている。まさに重病者って感じで、痛々しくて見てらんなかった。人って、たった一年でこんなんになっちまうんだな……。


 俺の母さん――新田にった香織かおりは一年前、俺が高校に入学した頃に突然倒れた。医者からは原因不明の病だと、現在の医療では治せないなどとふざけたことを言われた。何がなんだかわからず、俺はただ混乱するしかなかった。


 呆然としていると、父親や家族はいませんか? と医者に聞かれたが、俺は小さく居ないと答えた。


 俺に父親は居ない。俺が産まれる前に死んじまったからだ。


 だから俺の家族は母さん一人しか居なかった。

 母さんは女手一つで俺を育ててくれた。一言も不満を漏らさず、必死に仕事をして。

 だが、その無理が祟ってしまった。本人が分かっていたのかは知らないが、いつの間にか重い病気にかかっていたんだ。


 医者から入院費とか治療費とか色々と説明された俺は、頭が真っ白なまま帰宅する。狭いアパートが、やけに広く感じた。

 それから俺は、母さんの入院費と治療費を稼ぐためにバイト漬けの毎日を繰り返している。いつか治ると、奇跡が起きると信じて。


「私のことなんて気にしないで、あんたは学校の友達と遊んでればいいのに」


「別にいいんだよ。バイトしてっからそんな暇ねーしな」


「馬鹿、無理してバイトしなくていいって言ってるじゃない。治療したって私は治らないなんだから」


「そんな事言うんじゃねーよ!!」


 大声を上げると、病室が静まり返った。

 俺は俯き、声を震わせながら母さんに告げる。


「頼むから……治らないなんて言わないでくれよッ」


「義侠……ちょっと近くにきて」


「なんだよ」


「いいから」


 頼まれた俺は、椅子から立ち上がって母さんの近くに寄る。すると母さんは、突然俺の頭を優しく撫でてきた。


「ごめんね……母さん弱気なこと言っちゃった」


「別にいいよ……そういう時は誰にだってある」


「ぷっ、なにかっこつけたこと言ってるのよ。似合わないわねぇ」


「う、うるせぇ。いいだろ別に」


「ねぇ義侠、母さんの教えはちゃんと守ってるわよね? 困っている人がいたら見てみぬフリをするな」


「自分の中の正義を貫け、だろ? 言われなくてもちゃんと守ってるよ」


「そう、なら良かった。あのね、実はこの教えはお父さんが言っていたことなの」


「父さんの?」


「ええそうよ。お父さんは真っすぐな人で、いつも誰かを助けていた。私はね、そんなお父さんが大好きだったの。だから、義侠にもお父さんみたいな人になってもらいたくて、ずっと教えを言い続けてきたのよ」


「そうだったのか……」


 初耳だ。小さい頃からずっと母さんからこの教えを言い聞かされてきた。けど、まさか父さんの教えだったなんてな。

 驚いていると、母さんは懐かしむように続けて言う。


「お父さんは最後の最後まで誰かを助けていた。そんなお父さんを母さんは誇りに思っているわ」


「ああ……そうだな」


 父さんは十八年前の七月に起こった“大災害”の時に、人助けをしている最中に死んじまったらしい。身ごもっている母さんを一人残して。


「強く生きなさい。お父さんのように、優しく真っすぐな人になりなさい」


「ああ、わかったよ」


 そう返事をすると、母さんは眉間に皺を寄せながら、


「でも、絶対に救済者セイバーにだけはなっちゃダメよ」


「それもわかってる。散々言われてきたからな」


 教えと同じように、セイバーにだけはなるなと小さい頃から言われ続けている。


 俺的にセイバーになるのは有りだと思っている。その方がバイトなんかよりも稼げそうだからな。

 けど、セイバーは常に命の危険が付き纏う仕事だ。病気の母さんを一人残して死ぬ訳にはいかない。だから俺はセイバーにはならない。


「そろそろ行くわ。バイトに遅れちまう。また明日来るからな」


 母さんから離れ、一言挨拶をして病室を去ろうとする俺の背中に、母さんはこう言ってきた。


「義侠、大好きよ」


「ったく、こっ恥ずかしいこと言うんじゃねぇよ。いいから寝とけ」


 そう言って、今度こそ病室を出る。


 これが母さんとの最後の会話になるとは、今の俺は思いもしなかったのだった。

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