仮面舞踏会の夜、私は殺される

綾南みか

1 毒を盛られた男


「寄親のアイゼンエルツ公爵家から今年も仮面舞踏会に参加するように手紙が来たわ。どなたをご招待されたのかしら、いつもと同じ顔触れかしら」

 いつものサロンで母が招待状を見せながら言う。

 私はアイゼンエルツ公爵家の寄子ノスティッツ伯爵の娘だ。

「いつもと同じ狩りと仮面舞踏会だから」

「そうですの」

 母から招待状を受け取って見た。

「いつもと同じですわね」


 毎年秋に公爵家の別荘で狩りが催され、次の日の夜が仮面舞踏会だった。


 一日目は軽い夜会。

 二日目は狩り。

 三日目が仮面舞踏会。


 そして三日目の仮面舞踏会で私は殺されるんだわ。


「ねえ、エルーシア。今年は何になるの?」

「ジュリエットの衣裳にしようかと、お母様」

 そう、ジュリエットの衣装で殺されるの。

「申し上げます。モーリッツ卿がいらっしゃいました」

「あら、こちらに通して」

 モーリッツは私の婚約者。ダークブロンドと緑の瞳の優しい方。うちと同じアイゼンエルツ公爵家の寄子でグローセン伯爵家の御長男でいらっしゃる。


「ロミオとジュリエットかい?」

「はい」

「じゃあ私はロミオか」

「よろしいのですか?」

「何を言っているんだい、当り前だろう。私は君の婚約者なんだから」

「そうですわね」

「素敵なジュリエットになるよ」

「ええ、頑張りますわ、素敵なロミオ様」

 そう返事をするとモーリッツはニコリと微笑む。

 優しい方。でも気が弱い。どなたの誘いも断れない。



「さて、そろそろ行こうか」

「はい」

 今宵は寄親のアイゼンエルツ公爵家の夜会。会場は広く両親とは別行動となる。私達はいつものように二人で挨拶をして回る。

「エルーシア、大きくなったな」

 金髪碧眼で恰幅のよいアイゼンエルツ公爵は目を細める。

「舞踏会では何になるのかな」

「それはまだ……」

 私が口ごもると公爵夫人が遮る。

「相変わらず薬草の臭いがする、辛気臭い子ね」

 黒髪を耳の横で縦ロールに結った公爵夫人は、そう言って扇を口元に当てる。

 御前を引き下がって、参加している寄子の方々と少し談笑してダンスを踊った後、モーリッツと別々に行動する。夜会が終わるまで、この後の時間は自由だった。


 モーリッツには好きな人がいる。私達の婚約は寄り親の公爵家より言い渡されたもので、決して彼は私を好きで結婚する訳じゃない。

 私と離れると待ちかねたように近付く影。ミスティピンクの髪と甘い香水の匂い。手を取り、二人で寄り添って庭園の方に歩いて行く。腕に回された手、見つめ合う二人、ぴったりと寄り添った身体。

 彼女はルツィン男爵令嬢アリーセ。


 本当に目の当りにすると、なんて苦しいんだろう。胸の奥に燻り続ける思い。自分の感情も上手く扱えないのに、人の心をどうすればいいというのか。

 その人は私の婚約者なのよ、見ないで、話さないで、触らないで。

 でも私はその場から背を向けて逃げるしか出来ない。

 顔に手をやる。とても恐ろしい顔になっていることだろう。


「エルーシア様」

 逃げようとする私を誰かが引き留める。アイゼンエルツ公爵令嬢オディリアが腕を組んで見ている。父君に似た金髪碧眼の美女だ。

「婚約者を差し置いて、随分仲がおよろしいようね」

「そのようですわね」

「よろしいの? 放っておいて」

「別に、何でもありませんもの」

「わたくしだったら我慢できませんわね」

 彼女は少し目を細める。獲物を見つけた猛獣のように、爪を出して牙を出して襲い掛かろうとする。

「申し訳ありません。兄のパトリックを探しに──」

「そお、いつまでも逃げていてはいけないわよ」

 そうだ。私は逃げてばかりだ。だからあんな夢を見るのだろうか。


 ──エルーシア……。

 くぐもった声で誰かが呼ぶ。

 ──さあ、死んでおしまい。


 ああ、夢に捕らえられてしまう。



 夢から逃げようと俯いて小走りになっていたら、誰かとぶつかりそうになった。

 黒い騎士服を着た男だ。黒髪の男は口を覆って顔を俯けている。脂汗を掻いていて顔色が悪い。

「どうかなさったの?」

「もどしそ……、う……ぐっ」

 男の手を引いて庭園に連れて行く。植木の側に手をついた男の背を撫でると、俯いて盛大にもどした。何度かもどして木に寄りかかったのを見て邸内に入る。給仕人を呼んで水差しとコップとリネンを受け取って男の所に戻った。


 彼は木に寄りかかって地面に座って肩で息をしていた。

 水差しからコップに水を注いで差し出す。

「口をすすがれますか?」

「ああ、すみません」

 しゃがれた声で受け取る。口をすすいで血の気の失せた青白い顔をリネンで拭くと、やっと落ち着いたようで息を吐いた。

「大丈夫ですか? お医者様を呼びましょうか?」

「いや、もう帰ります」

「じゃあお薬を飲んで下さい。毒消しですわ」

 紙包みに入った薬を水とともに差し出した。

 男は暗い蒼い瞳で私と薬を見る。そして受け取った。

「ありがとう」

 薬を呷って飲み下し、よろりと立ち上がる。リネンを口元に当てたままふらふらと出口に向かって歩いて行く。男を見送って給仕人に水差しとコップを返した。

 知らない男だった。騎士服を着ていたけれど、何処のどなただろう。

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