総代の彼女

 県立室口むろぐち第二高校に在籍する岬井みさきい一馬かずまは、2年生の学年総代である。入学試験の成績はトップで、以降も試験では1位をキープし、体調不良以外で授業を休むこともしない。それでいて、長期の休みのほかには塾に通っている様子もなく、全国模試では毎回5位以内を確保していると言われていた。いかにも真面目で融通のきかなさそうな風貌ながら、愛想は悪くなく、男の友人は多い。身長は176センチあり、スポーツもけっこうできるようだ。暇さえあれば勉強ばかり、ということもなく、むしろ休み時間はよく男子としゃべってリラックスしている。一方、クラブ活動や生徒会に参画するといったことにはあまり興味がなさそうだ。どうも、絵に描いたような……である。

 そんな彼が、同級生の根岸ねぎし綾子あやこという女子とつき合っていることは、知る人ぞ知る、という状態になっている。当人たちとしては、ことさらに吹聴したくはないけれども、嘘をついたりごまかしてまでひた隠すのもなんか違う、と思った結果である。


 ……それを知った生徒、ことに女子の反応は、「なんで?」というものだった。


 根岸綾子は地味である。ショートよりやや長めの髪。顔立ちは、よく見ればまあカワイイと言えなくもないのだろう。でも、派手さがない。根暗というわけではないのだけど、どこにでもいる普通の子で、とりあげるほどの特徴もない。1年のときはC組にいて、一馬とつき合いはじめてから理数系の成績が上がり、今年は彼氏と一緒のA組になった。ふたりは同じ教室にいて、いちゃいちゃすることはなく、むしろ意識してそれぞれ同性の友人を優先しているように見える。一緒に下校するときでも別々に教室を出て、門のそばで待ち合わせしているようだ。


 ……学年総代がなんで、こんな地味な子と?


 入学式の時点で「新入生代表」と呼ばれて目立ちまくった一馬には、何人かの女子が近づいていった。派手で、印象に残りやすい美人の女子ばかりだった。けれど、どの子とも長続きしなかったので「総代ともなれば女子にも不自由しないらしい」などと、やっかみ半分の噂が流れたこともあった。ところが聞くところによると、根岸綾子だけは、岬井一馬の方から攻勢をかけて、交際に至ったらしい。またすぐ終わるんじゃないか、と思われたのだが……。


「あんな子のどこがいいんだろうね。胸だってないのに」

 ……ある日の放課後、B組かどこかの教室からそんな声がしたのを、廊下を通りかかった綾子はたまたま聞いてしまったことがあった。しゃべっている女子数人の中に、入学後まもなく、ちょっとだけ一馬とつき合っていたある女子の姿が、ドアの隙間からちらりと見えた。

 ――胸がなくて悪かったわね。綾子は、無言のまま唇をとがらせた。彼女たちの話題が自分であることは間違いなかった。一馬の名前と「つき合ってる子」という言葉が出てきたから。綾子自身、体の一部がボリュームにとぼしい自覚もあったので。――ほっといてほしいな、と思う。

「ね、なんでそもそも、岬井くんと別れちゃったの?」

 別の声が上がった。一馬の「元カノ」に質問したらしい。立ち聞きしてしまっていることに気づいた綾子は、音を立てずに、そのまま廊下を通り過ぎた。回答は低くて聞き取れなかったけど「え、うそー」「じゃ、あの子とお似合いじゃん」などと悪意のある反応とともに、薄い笑い声が背中にぶつかってきた。一馬と元カノが別れた理由なんて、聞く必要はなかった。もう知っていたから。


「いや、ちょっと、それはね……弁解、させて?」

 一馬は、カリマンタン・カフェのテーブルの向こうで、ブラックコーヒーを飲んだ直後よりも渋そうな顔をして、片手で何かを握るのにためらうような意味不明の動作をしていた。綾子が一馬に「つき合……って、みま、せん?」と言われた数日後のことだ。その時点ですでに一馬は、いわゆるスクールカースト上位といわれる女子ふたりとそれぞれ、春と夏にごく短期間だけ交際した経験があった。そしてどちらの女子もあっさりポイ捨てしたと、まことしやかにささやかれていた。それがちょっと気になったので、綾子は聞いてみたのだった。

「どっちも俺、告白されたがわで、フラれたがわなのよ」

「えっ……?」

 綾子は、飲みかけたカフェオレのカップを落としそうになり、どうにか無事にテーブルに置いた。一馬は、うーん、と小さくうなって、ゆっくりと見上げた。まるで天井にカンニングペーパーが貼ってでもあるかのように。


「たぶん俺の、学年総代って肩書に興味が向いただけなんだと思う。俺、女の子とつき合ったことなかったからさ、どういうものかもわからないし、高校入ってから知り合ってほとんど初対面の子につき合ってって言われて、その子が嫌いかどうかもわからないしさ、気がついたら彼氏になっていたっていうか。でも、なんていうのかな、女の子の……扱い、って言ったらアレだけど……まあ、どう接していいかわからなくて、用がないときはまあいいかって放っておいたら、なんかつまんない男って言われて、フラれた、ってのが実情かな……」

「ええ……」

 綾子は軽い目まいを感じた。その女子もけっこうな身勝手だと思ったが、男子の方もぶきっちょが過ぎはしないか。綾子も彼氏がいたことはないけど、用がないときはまあいいかって女の子を放置するって、それはあんまりじゃないかという気がする。こんな男子に告白された自分、大丈夫か。


「夏に交際してた子は?」

 毒食らわば皿まで。こっちも聞いちゃおうと、綾子はたずねた。自分にはリサーチする権利があると思うし。

「ああ……夏休みの直前にいきなり告白されたんだけど、あの子、夏祭りに一緒に行く相手がほしかっただけじゃないかな。夏祭り終わったとたんに連絡つかなくなったし、二学期にはもうなかったことみたいによそよそしい態度だったし。どっちの子も、俺が想像以上につまらない男で、がっかりしたんだと思う」


 綾子はそっと深呼吸して、カフェオレをひと口飲んだ。夏休み前に告白されて……夏祭りまで特段なんにもしないで女の子を放置してたんだろうな、この人。

 彼自身の方から告白した相手にこんな話をして、どんな感想持たれるかとか、考えてみなかったのだろうか。


「あの……」

 綾子の胸中が伝わったわけでもないだろうに、一馬は顔を染めながら、目を泳がせ、不安定な声を押し出した。

「俺こんな……こういうやつだけど……つき合うってことがわかってないのにつき合いたいって思ったの、根岸さんがはじめてで、その……一緒に遊びに行くとか、連絡とか、俺がんばるから……根岸さんも、俺にもうちょっとこうしてほしいとか、言ってくれると……根岸さん、がっかりさせたく、ないから……」

 ……学年総代として誰からも一目おかれている男子が、自分自身の劣等感と戦う稀有けうな姿を、綾子ははじめて見た。そうして、胸の奥でひとつの花が、ふわっ、と咲く音を聞いたのだった。

 この人、ぶきっちょで、真面目な、普通の男の子、なんだ――。


     ○


「綾子のどこを……え?」

 ふたりで美術館デートをした後、ジェイバーガーのにぎやかな店内で、トレイを置いて座席を確保した、直後のことだった。

「どうしたのいきなり」

「急に……気になっちゃって」

 ふたりはぎこちない動作で、向かい合わせに椅子を引いて座る。


「急に、言われてもな……綾子は、どうなんだよ。俺の、どういうところを……その」

「聞いてるの、わたしなのに」

「相手に聞くからには、自分の見解をオープンにすべきだと思うな」

 綾子と一馬とは、いまだにこなれていない顔色で、うつむき合いつつ言葉をかわす。

「どういうところ、って……」

 少し口ごもり、綾子はテーブルの下で、スカートの布地を何度もわしわしと握った。


「そりゃ、最初は……学年総代って聞いてたから、ちょっと気おくれ、したけど。でも……一馬くん、すごい普通、っていうか」

「普通?」

「だって、落ち着いた顔してるけどけっこう短気だし、木坂きさかくんにツッコんでるときなんてたぶん学校の誰も見たことない顔してるし、特撮番組の話してるとき子どもみたいにはしゃいでるし、あんなに成績よくて絵もギターもスケボーも上手なのに、家庭科だけすごい苦手で、得意料理が豆腐をパックからお皿に移して『冷奴ひややっこ!』だし、蛇見ると硬直するし、わたしに関わることだとすごい真っ赤になって動揺しまくるし、やらしいこと考えてるんだろうなと思うことあるし、機械とかに強いのに、女の子の気持ちにうといなあって思うことあるし、ときどきケンカしちゃうし、無茶はするし、意外と暴れるの好きだし、ショッピングモールの立てこもりに巻きこまれたときなんてこっちが心配してるの全然伝わってないし……」

「ひょっとして俺、説教されてる?」

 一馬がなんともいえない表情になってしまったので、はっと綾子は手で口を覆った。


「ごめんなさい……」

 言い過ぎちゃった。ていうか、どうしてこんなことを言っちゃったんだろう。目のやり場に困る。まだ開けていないエッグバーガーの包装紙が、無神経なほどやかましく見える。

 ……一馬は頭をかきそうになって、これから食事なんだと思い直して、手を下ろす。


「そういうとこ、かな」

「え?」

「その……」

 一馬はぼそぼそと、視線をそらしていく。


「最初は、カワイイ、ってとこから、だったんだけど……その、俺のこと、本質っていうか、中身で、見てくれるっていうか……普通だと思ってくれるっていうか……その」

 綾子は――ぶきっちょながら誠実であろうとする、言葉の足りない彼氏を見つめながら、たぶん自分もぶきっちょなんだろうなと思った。


「ま、まあ……食べようか」

「え、何を」

「……ハンバーガー」

「あ、あ、そ、そうか……うん、食べよう」

 初々しいふたりの高校生は、ぎしぎしと音が聞こえてきそうな挙動で、ハンバーガーの包装をがしにかかった。


「ところでさあ……」

 しばらく食事が進んでから、おもむろに一馬が、食事ではない用途に口を開いた。

「さっき言われたこと、すごい気になる部分があったんだけど、あれって、具体的にどういうときの話?」

「え?」

 綾子はウーロン茶をひと口飲んでから聞き返した。

「どの話?」

「いや……あの」

「え、気になる部分って?」

「やっぱりいい……こんなトコで聞いたのが間違いだった、忘れて」

「ええ、こっちが気になる」

「いやいや、なんでもない、なんでも」


 とても不器用で場数の足りない、でもあたたかな気持ちを共有し合うふたりの高校生の会話は、ハンバーガーショップの喧騒に溶けて行った。

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