第2話
数日後、調達した食料品を抱えた夏樹がスクールの前にいた。
(会えたらラッキーだぞ)
そう思いながらドキドキして施設に入った直後、目的は達成された。ばったりと少女と会ったのだ。
「こんにちは」と声をかけられた。期待していたのに心の準備はできておらず、夏樹はしどろもどろでチラシにあったからと食料品を差し出した。少女は丁寧にお礼を言うと、受取書を作成した。担当者
「これから配達に行きます。もし、興味があるなら一緒に来てもらえたら、助かるのですが」
七海は、期待する
(この顔に反抗できる男子はいるのか?)
返事をする夏樹の声は裏返っている。嬉しさがこみ上げてきたが、悟られないよう平静を装った。内心はドキドキだった。
施設の自転車を借り、着いた先はアパートの一室。
「ここは
七海は夏樹に耳打すると、明るく元気な声をかけて玄関を開けた。目にしたのは女の子が正座をして待っている姿。パンをあげた子だ。春花は丁寧に挨拶をすると頭を下げた。七海はお母さんの様子を聞きながら食料品の入った袋を春花に手渡す。春花は中身を見て目を輝かせ、お母さんに見せに行く。戻って来ると再び正座をして、お礼を言って七海たちを見送った。玄関を出た夏樹の顔は驚きの一色であった。
「驚いた? あれは春花ちゃんの精一杯の気持ちの表現なの。嬉しいのよ。お腹いっぱい食べられることが」
七海は春花の事情を話した。春花はお母さんと二人暮らし。いまはお母さんの体調が悪く収入もほとんどない。食事が満足にとれずに学校にも行けない状態だという。夏樹がパンをあげたのは、スクールからの帰り。春花はお母さんと喜んでパンを食べた。ただ、お母さんは泣いたという。
「竹脇さん、どうしてお母さんが泣いたか分かります?」
夏樹は首を振った。
「あのパンの値段は?」
「たぶん二、三百円くらい」
「覚えてないくらい? でもね、その三百円くらいが払えない家もあるの」
夏樹はその言葉に心が締め付けられた。沈んだ夏樹の顔に七海は優しく声をかけた。
「そんな顔しなくていいですよ。竹脇さんは、春花ちゃんに元気をあげました。その元気が次は希望になるんです」
七海の笑顔に重く沈む心が救われた。
このあと五軒の家を訪問したが、春花と同じようにみんな笑顔で受け取っていた。
夏樹は春花の家を訪問して以来、たびたびスクールに行くようになった。もちろんお目当ては七海に会うことだが、子供たちの笑顔を見ると、あの時感じた苦しさを癒してくれることも理由だった。特に手伝うことがないときは、塾の課題をして過ごす。やはり強敵は数学だ。夏樹がいつもの計算問題に手を焼いてると、七海がひょっこり覗き込んだ。
「ふ~ん。悩んでるねー」
七海の言葉で顔が近づけられていたことに気づき、胸の鼓動が大きく波打った。間近で見た七海の顔はやはり可愛いとしか言いようがない。焦りと照れからテキストをしまい込むと席を立ち、慌てて塾へと足を運んだ。スクールを出ても鼓動は早いままだった。
翌日、夏樹がスクールに顔を出すと七海の姿は見あたらず、パーカーを着た人が作業をしていた。手伝うことはないかと聞こうとしたとき、学習ボランティアで使っているホワイトボードに何やら書き込まれているのが目に入った。その内容を見た夏樹は思わず自分の目を疑った。そこには、昨日解き損ねた計算問題の解答が書き出されていたのだ。しかも解法は二つあった。夏樹は
「ああ、あれね。昨日、部長が楽しそうに解いていたのをみんなが眺めていてね。あれこれ解き方を議論したんだよ。弁天校入試でお馴染みの計算問題。部員全員で盛り上がったよ」
(部長、部員、弁天校……なに?)
夏樹の頭は混乱した。今までパーカーの人は施設の職員だと思っていたのだ。福島はパーカーのスタッフについて説明をしていった。説明によると、福島は弁天校ボランティア部の部員で一年生。パーカーは部のユニフォーム。さらに、七海は部長で二年生。しかも特待クラスの生徒だという。特待クラスは入試の成績上位者で編成されており、授業料などは全額免除となる。
「秋川部長、ああ見えても二年連続ミス弁天校なんですよ」と笑うと、慌てて「これ、僕が言ったこと内緒にしてくださいね」と付け加えた。弁天校では、全校生徒の投票で学校代表にふさわしい生徒を決定する伝統がある。男子と女子それぞれが決定される。七海はそれに二年連続選ばれたのだ。福島はホワイトボードの解答についても説明した。解答の一つは、数字を整理してから公式を使う方法。そして、もう一つはいきなり公式を使い計算する方法である。七海は、数字を整理する方法で解いた。多くの部員は七海と同じ方法で解いた。
「秋川部長は慎重だから」
福島はホワイトボードを見ながら笑っている。夏樹の中で七海の存在が大きくなった瞬間であった。
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