20 西の森離宮まで


 状況を整理してみよう。

 梨奈は国王陛下からの預かりモノで、

 クリスティアン王子は謹慎中で、

 隣の国アルモンド帝国とは一触即発で──。


 指で数えていると、クリス殿下の横槍が入った。

「違うな。お前は私のものだ」

 亭主関白になるつもりか。関白王子と命名しよう。

 二人は西の森を移動中である。季節は初夏だが、こちらには梅雨は無いようで、天気はよく、風はさやさやとうららかな気候で森の散歩には丁度良い。


「何か他に言う事はないんですか?」

「さっきから何だ」

 梨奈はポリポリと頭を掻く。クリス王子は何となく機嫌が悪い感じだ。

「んーー、まあいいか」

 こういう時は触らぬ神に祟りなしだ。


 のんびり歩いている梨奈の横を、可愛いエルフの子供が歩いている。ジェリーは、元はスライムというお馴染みの魔物だ。

「この森にジェリーのお仲間っているの?」

『仲間ー?』

「スライムとか、スライム以外の魔物とか」

『んー、此処には小さいのしかいない―』

「小さいのがいるの?」

『いるけどー、隠れて出て来ないー』

「森には魔素が満ちている。だから魔物がいる。魔素は霧のように、濃くなったり薄くなったりして流れている。濃い所には魔素を求めて強い魔物が来る。魔領の魔素は濃いから、魔物も強くなる。人も魔族でないと直ぐにやられる」

 梨奈は何となく生命の循環みたいなものを思い浮かべる。

『小さいのは森の死骸を食べるのー』

「なるほど」

「たまにジェリーみたいに強くなる魔物がいる。この森は王都から近いから、時々騎士団が討伐に出る」

「へー」


 魔領の空気は濃密だった。酸素というかオゾンというかそういう感じなんだろうか。見回していると足元の木の根に躓いた。クリス王子が難なく支えて、そのまま手を掴んで歩き出す。

「リナ」

「はい」

「私では不服か」

「え、別に不服とかないですよ」

「王になれなくても?」

「こうやってのんびりできた方がいいですよ」

「そうか」

「あ、でも、私でいいの?」

 この世界の事を何も知らない、ぽっと出の梨奈でいいのだろうか。仮にも王子様であれば、貴族令嬢が選り取り見取りだろうに。

「お前がいい」

 変わらないクリス殿下の返事に、梨奈の頬が少し染まる。


 ジェリーが楽しそうにふたりの周りを飛び跳ねる。

 ピンクの梨奈の中華風の衣装と王子の青い衣装が木々の間で揺れる。

 クリス王子が梨奈を引き寄せて腕の中に抱き込んだ。

「リナ……」

 殿下は腕の中の梨奈を見て、顔を顰めた。

「ダメだ。この衣裳ではいやだ」

 手を掴んで歩き出した。

「早く離宮に行こう」

 何がイヤなのか、気まぐれ王子だろうか。


 でもこの散歩は悪くない。元の世界からこちらに来たのは六月だった。こちらの方が少し肌寒いと感じたけれど、森の中は花が咲いて空気が香しく気持ちが良い。



 ふたりが西の森の離宮に向かって歩いていると、知らせが行っていたのか、馬車と騎馬が迎えに来た。

「クリスティアン殿下! ご無事で」

 一番に馬で駆け付けた騎士見習いのジョサイアが、殿下の元に駆け寄る。

 その後から三人、騎馬でバラバラと駆けつけた。

「スチュアート、フォルカー。無事だったか」

「はい」

「ご心配を」

 スチュアートはヴェルフェン宰相のご子息。フォルカーはクラレンス公爵家のご子息で、殿下と又従兄弟にあたられるという。


 殿下の取り巻きは、魅了が解けたようだ。

 取り巻き以外にも魅了にかかった人がいたらしいが、

「ジェリー、食べた?」

『食べてないー』

 皆さんが変な顔をしている。説明がとても難しい。

「リナの従魔だ。気にしないよう」

 殿下が簡単に説明してしまった。


「リナ様、ご無事でよかったです。こちらはジェリーですか?」

 訳知り顔のシドニーが頭を下げる。

「そうなの。可愛いでしょ」

 今のジェリーは淡いグリーンの髪、グリーンの瞳の可愛いエルフの子供になっている。中身、人食いスライムだけど。

「殿下、こちらのご令嬢は」

 スチュアートが聞く。宰相候補は何でも把握しておきたいようだ。

「リナだ。先に、離宮に行って着替えをしたい」

「なんで?」って聞いたが無視されて、馬車に乗せられてしまった。




 馬車が離宮に着くと、大勢の使用人が出迎えてくれて、顔が引きつった。今までずっと殿下と二人っきりだったので、どうしたらいいか分からない。

 笑えばいいのか、ツンと澄ませばいいのか。

 何だかみんなの目が冷たいような気がするし。

 もしかして、魅了したヒロインとか思われているんじゃないだろうか。怖い。


 クリス殿下は一人の女性を呼んだ。

「ミランダだ。君の侍女だ」

「よろしくお願いします。お嬢様」

 頭の良さそうな、二十歳くらいの赤毛のお姉さんだ。

「梨奈です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 とりあえず、首を横に傾けてにっこり笑ってみた。


「私の大切な人だ。リナは最近異国から来た、こちらの事は何も知らないんだ。大変だと思うが、無礼のないよう心して仕えて欲しい」

 殿下はその後サラリと言った。

「部屋は一人では危険だから、私の側に置く」

 それってどういう意味ですか。


 うわあ、恥ずかしいよ。顔が真っ赤になる。

 使用人の皆さんが、表情を崩さないよう努力している。

「じゃあ、着替えておいで」

「はい、ジェリー」

『はーいー』

「あの、こちらは?」

「ああ、ジェリーはリナの従魔だから気にしなくていい」

「はい」

 ジェリーは、今はどう見ても可愛いエルフに見える。



 この離宮もなかなかどうして広くて、一人だときっと迷子になるだろう。

 ミランダに案内されて部屋に着く。

「こちらがお嬢様のお部屋でございます。殿下のお部屋はお隣になっております。中で続いております」

 お嬢様って何かイヤ。ガラじゃないというか。

「ミランダさん、梨奈と名前で呼んで下さい」

「はい、失礼しました。ではリナ様と、お呼びいたします。私の事は呼び捨てでお願いします」

「はあ」


 広い部屋だった。天井にはシャンデリア、壁は鏡と絵画、窓の側にはライティングビューロー、もれなく暖炉があって、ソファセットと、テーブルセット。入ってきたドアの他に、右と左にドアがある。

「あちらが殿下のお部屋でございます」

 じゃあ反対側は。

「こちらは化粧室、あちらが衣装室、ミニキッチン、浴室、トイレ、洗面所がございます」

 まるで宮殿見学ツアーに来た、外国人旅行者みたいな気分だ。

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