13 しれっと王子


「リナ」

 気が付けばクリス殿下に抱きしめられていた。

「私……」

 見上げると青い瞳がある。

「大丈夫だ」

「ごめんなさい」

 殿下の身体にしがみついた。手が足が身体が震える。


「凄いな。昨日の熱量騒ぎは、それか」

 ダールグレン教授は目を丸くしている。

「魔法じゃないな」

「そうですね。王宮では、魔法は限られた人間しか使えないですし」

『すごーいー……』

 スライムは床で伸びていた。


 ドンドンドン!!

「ああ、私が出て来るよ」

 教授はひらひらと手を振ってドアに向かった。

「新しい実験を試してみたんだ。問題ない」

 ドアの外の護衛達に説明している。


「私、沸点低いのかしら。何か無性に腹が立って、私……」

 椅子に座った王子の上に、くったりと身体を預けて梨奈は小さな声で言う。

「私、スライムに食べられるために召喚されたの」


「私、ただのエサなの。

 そんなしょうもない理由で──」


「理不尽なんだろう」

 ダールグレン教授が言った。何年も生きている大人の男の声で。

「急にこんな所に連れて来られて、訳が分からなくて、コイツに理不尽なことをされて、貴族連中は理不尽だし、何より君の元居た世界に戻れないし、それなのに腹立つよね」

 説得力のある大人の声だ。クリス王子はチラリと教授に視線をやったが、何も言わないであやすように梨奈の背中をトントンするだけだ。


「でも君は間違えている。君を召還したのは、このスライムじゃない」

 ぼんやりと、マリアに戻ったスライムを見る。

「ジジという魔族だ」

 教授の言葉にクリス王子はすぐに乗った。

「ジェリー、ジジの顔を出せるか」

『食べてないからー、あんまり上手くないけどー』

 グニャグニャと顔が動いて変わった。


 マリアの完成度とずいぶん違う。人間とバービー人形ぐらい違う。

 でも、何となく分かる。

 肌の色が薄紫っぽい、耳が尖っている、角がある、髪が赤紫、目が赤い。

 この女がジジ、梨奈をこんな所に連れて来た。あのブツブツ言う頭の痛くなる魔法をずっと聞かせてきた。

 これが魔族──。肌が紫がかって、角があって、瞳が赤い。


「覚えたか。ジェリー、もういいだろう」

 ジェリーはマリアの顔に戻った。私も、この子みたいに食べられていたのかもしれないんだわ。ガタガタと勝手に身体が震える。殿下が抱きしめた。

「いい子だ。もう、大丈夫だから」


「なるほど、よく懐かせたものだな」

 ダールグレン教授が呆れたように言う。

「私のものだ」

 殿下は余計にきつく梨奈を抱きしめる。

「いや、君から奪える者はいないと思うがね」

「しかし、私は魅了にかかった。用心しても、し過ぎるという事はないな」


 クリス王子は梨奈を膝から降ろし、椅子に座らせる。

「ジェリー、細胞を少しよこせ」

『あいー』

 コロンとよこしたスライムの細胞を器に入れて、殿下は実験道具の並ぶ一角に座る。

「何を作る気だい」

 教授は殿下の手元を興味深そうにじっと見ている。

「ジェリーはリナの従魔だから、連れ去られてもぶつぶつ……」

「まったく──」

 教授は肩を竦める。研究バカ王子かしら、それともオタク王子?


「出来た。リナ、耳につけておこうか。魔法防御とか色々乗せたからね」

 やがて王子は嬉しそうに梨奈の許に戻ってきた。

 その手に小さなピアスを持っている。真ん中にあるのがジェリーの細胞だろうか、透明な輝石の中に七色の光がキラキラ輝いている。その周りを七色の魔石が彩っている。

 殿下は梨奈の耳に穴をあけて、血を舐めて、金具を通して。一連の動作をすらすらと流れるようにこなす。


 王子様というのはお付きをぞろぞろ連れて、何でも側仕えに任せて、自分は何もしない……、みたいな人かと思っていたんだけど。

 この人は何でも自分でしちゃうなあ。

 誰も信じられなかったのかしら。

 周りの人が次々魅了にかかって、戦ってたんだ。一人で。


 それなのに自分も魅了されちゃって、絶望しただろうな──。



(私も、私だって、何かしてあげたい)

 梨奈の胸にふつふつと何かが込み上げてくる。

 身体がほんわりと暖かくなる。


(これはきっと私のチート能力だわ。自分の感情に任せた危うい能力だけど)

 エサ用に召喚されただけの梨奈でも、何か出来るんだ。


「ありがとう。私もクリス殿下に何かつけたいの」

 殿下の身体に手をまわし、身体に額をくっつける。

 ほんわりと暖かい何かを殿下に渡す。

 ────。


「物理防御、魔法防御。麻痺毒気絶睡眠即死耐性。忘れちゃいけない魅了無効」

 クリスティアン殿下の身体が淡く光る。


「これは……」

 驚いたようなクリス殿下。

 ダールグレン教授は顎に手を添えてじっとクリス王子を見る。

「ほう、これはなかなか。私にもかけてくれないかなあ」

「はい、いいですよ」


 梨奈は教授の方に向いたが、肝心なことに気が付いた。

「あら、申し訳ありません。その、くっ付いていないと無理みたいで……」

 教授が両手を広げるが、梨奈の身体はびくとも動かない。

 梨奈は首を傾ける。何故かしらと。

 ダールグレン教授は王子をジト目で見た。

「何か、したな」

「別に」

 知らん顔の殿下。


 命名しよう。しれっと王子だね、君は今から。



「では、そろそろ、ダールグレン先生、お願いします」

「ほい、頼まれました」

 クリス殿下はラフォルス公爵家に謝罪に行く。梨奈とジェリーはダールグレン教授の所でお留守番である。



「しかしジェリー嬢は……、でいいのかな?」

『オイラは性別なんかないんだー、何でもいいよー』

「そうかい、じゃあジェリーでいいか。君は物凄いと思うんだよ」


『オイラ、昨日、主に会ってー、名前貰ってー、すごく進化したんだー。視界がクリアになってー、頭もよくなって―、何でもできる感じー』

 ジェリーは嬉しそうにポンポンとまくしたてる。

『そうー、オイラはー、神種スライムになったんだーー』

「ふーん、やっぱりリナちゃんはそういう事なんだね」

『そうなのー』

 どういうことなのか。

 女神だと言われても、梨奈の頭には全然、全く浸透しないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る