11 再び国王陛下の執務室


 振り向くと殿下は軍服を着ていた。

 濃いミッドナイトブルーの上着にグレーのパンツ、黒いロングブーツ。腰に佩刀。羽織ったマントは黒地で裏地と裾に金と銀糸で刺繍がしてある。

 なんでこの人、こんなにかっこいいの。

 呆然として見惚れてしまう。

 

「行くぞ」

 そんな色っぽい流し目をして言わないでくれる? 殿下は今日は眉を顰めない。

 ジェリーの魔法陣が無くなった所為だろうか。それとも、この外見が──?

 あ、なんかいじけたい気分──。

 殿下はぐずぐず考えている梨奈の手を取って、さっさとドアを開けた。


 ドアの外には昨日と同じ護衛の騎士が二人居た。

「殿下、お出かけの前に、国王陛下がお呼びでございます」

「分かった」


 広い回廊を殿下にエスコートされて歩く。

 高い天井はアーチ型で、太い大理石の柱が何本も立ち並び、綺麗に整えられた庭園には、名も知らぬ花が咲き誇り、遠くに噴水が見える。


 空気の匂いが違う。空の色が違う。耳に入る音が違う。建物が違う。歩く人の姿が違う。


 別の世界であった──。


 昨日は動転していて、異世界にいるという実感も、日常から遠く離れた見も知らぬ場所に居るという実感も無かった。

 梨奈はただただ押し流されただけだった。


 どういう訳か言葉が通じる事だけがありがたい。

 そんなことまで分かっていなかった──。


 恐ろしい。自分は一人だ。

 この世界を何も知らない。

 それなのに、もう帰れないかもしれないのだ──。


 恐ろしいほどの孤独の中で、梨奈には自分をエスコートするクリスティアン王子しか、頼れる者がいないのだ。



  * * *


 国王の執務室の前まで来ると、近衛兵が待っていて「国王陛下がお待ちです」と扉を開けた。部屋の中には威厳のある方々がいて、クリス殿下と梨奈が入室すると、ふたりに対して厳しい目を向ける。

 有力者の娘と大勢の前で婚約破棄したバカ王子と、王子を誑かした常識知らずのふしだら女だと思われているのだ。

 昨日から護衛としてついていたルパートとアンソニーは、部屋にいたランツベルク将軍に報告をすると部屋を出て行った。



 国王陛下の前に跪くと、さっそく「クリスティアン。ラフォルス公爵が、了承してくれた」と、切り出した。

「ありがとうございます。この後、お詫びに行きます」

「うむ」

 国王は頷いて、すぐ次の話に移る。

「隣国アルモンド帝国だが」

「はい」

「国境近辺のオフジェ砦に不穏な動きがある。近隣の村や町の住人が避難しておると聞く」


 それはオフジェ川の近くの小高い丘にある砦で、このノイジードル国王都から一番近い隣国アルモンド帝国の砦である。

「しかし、昨日から動きが止まったと報告があった」

 クリス殿下は黙って陛下を見守る。

「我らもこちら側の砦を固め、出兵の準備を進めておるが──」

 王は顎を撫でて言う。

「そなたにも出番が来るであろう。それまでは謹慎しておくよう」

「はっ」

「ところで昨日の熱源はなんだ」

 思いついたように国王が聞く。

「は……、熱源は管理いたしますれば、もうこのようなことはないかと。念のため西の森離宮にて謹慎をいたしたいと心得ます」

「そうか」

 クリス王子の要領を得ない返事に、陛下は梨奈をちらと見る。熱源の犯人である梨奈は着ぐるみの中で首を竦めた。


「ランツベルク将軍」

「はっ」

「甥っ子はどうか」

「今日になって大分しっかりしてまいったようですが」


 すっかり忘れていた。そう言えば、パーティ会場で殿下には取り巻きがいた。

 小説とか漫画では、宰相の子息、宮廷魔導士の子息、侯爵家の子息、騎士団団長の子息、後どんな人がいたか、梨奈の後ろにいたのは四人だった。騎士団の子息は定番だとしてあと三人はどういう身分だろう。


 殿下が元に戻ったから、他の方も戻っただろうか。

 自分が魅了したわけではないけれど、ここの重臣達には自分がやったと思われている訳で、居心地が悪い。冷や汗たらたらでいると、王子があやすように手を重ねてきて、尚更、居心地が悪くなった。

 俯いて大人しくしているが、きっとこの方達は、ものすごい顔をして梨奈とクリス殿下を睨んでいるだろう。


「そうさな。だがこの代償は払わねばならぬ。なあ、クリスティアン」

「はい、如何様にも」

「仕方がないの」

 この流れはもしかしたら、臣下に降格とか、王位継承権剥奪とか、平民に……。

その先は考えたくない。けど、殿下が失脚して嬉しい人もいる……、のか?


 国王陛下は続けて言う。

「西の森離宮には急いだほうが良い」

「はっ、今日の夕刻には出立いたします。これより魔法省に向かいます」

「そうか、ダールグレン副長官によしなにな」

「はい、お伝えいたします。では、失礼いたします」

 殿下は梨奈を伴って出て行く。

 部屋にいるお歴々を見ると、苦々しい視線、冷たい視線、嘲笑が返った。

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