My Bests(僕の好きな短編小説)

西尾 諒

第1話 中島敦 「山月記」

 中島敦。

 僅か33年の天命しか与えられなかったその小説家の作品は、今なお孤高の白く眩しい輝きを放ち、その光につどう人々に読まれ続けている・・・。そう信じてはいるものの、それが果たして事実なのかはよく分らない。所有している岩波文庫の奥付を見ると初刷が1994年、第24刷が2010年なので2年で3刷出ている勘定となる。それが多いのかどうなのか良く分らないけど、まあ、それなりに印刷されているみたいであるし、絶版にもなっていないのだから、細々としているかもしれないが永く読まれていると信じて良いのだろう。

 最初に買ったとき、手にしたのは岩波文庫に比べるとだいぶ薄い角川文庫版であったが、日本文学は洋物と違って翻訳者の出来不出来で変わることはない。せいぜい併録された作品の組み合わせの違いである。その点、この岩波文庫版は中国の歴史書に源を持つ小説と南洋で書かれた小説がバランス良く配置されているので中島敦を最初に読む者にとっても有用であろう。


 明治以降、日本の小説家は「自らの思い」を古典に託することが多かった。それは明治以降の教育がやはり江戸時代以前の名残を引きずっているからで教育というものは代々伝わっていく性格の物である以上、そうなるのは避けられない。だからこそ教育を迂闊うかついじくることの恐ろしさ、教育の劣化を直さない恐ろしさというのが同時に存在するのであって、教育というのはきちんとした(「きちんとした」というワードが大切なのである)専門家が教育現場とその教育を受けた者が出ていく社会と会話して設計しないと百年、後悔のほぞむことになる。近年、教育に素人の政治家が文教族(文狂賊と称すべき人々が大半だが)と名乗って容喙ようかいするケースが多々あるが、誠に国を憂うべき状態である。

 それはともかくとして、作家が古典にプロットを託する場合その先は主に古代中国と平安時代の日本になる。中国の古典は江戸時代以前の「教養の高さの基準」であるから当然であるし、明治以降の教育がいくら欧米文化に接しようと根源は日本であるから、平安時代の書物にその視点が行くのも必然的である。ちなみに後者を例えれば芥川龍之介、谷崎潤一郎などであろう。

 近代化と中国との戦争や軋轢あつれきを経て、今でこそ中国の古典文化への傾倒は減じてはいるが中島敦の生きていた時代には依然として中国文学への深い傾倒が存在していた。それも中島敦が読んでいたのは「三国志演義」やら「唐詩」のようなポピュラーなものではない。中島の父や祖父・伯父が漢学に精通した人間であったことがこの文庫本の解説の氷上英廣氏によって指摘されているが、その家庭環境は小説家を目指す者に絶好であったのだろう。


 その中島敦の短編の中で僕が最も愛するのは「山月記」である。彼の小説で普及しているのは、これと「李陵」「弟子」「名人伝」で、岩波文庫にともに収録されている「悟浄出世」「悟浄歎異」「牛人」「文字禍」あたりになると一気に認知度が下がる。

 変な言い方ではあるが「山月記」を含めた最初の四編のどれが1番好きか、という問いによって、その人の人となりがある程度推察できるのではないか、と僕は思っている。

 歴史好きのひと、或いは素直な読み手には「李陵」が最も好まれるだろう。漢の武帝、司馬遷そうしたよく知られた歴史上の人物が生き生きと登場し、辺境の民族、匈奴が李陵の率いる漢の軍勢と紙面の上で剣を振うが如く活躍する。活劇の部分もあるし人間というものの素晴らしさや卑怯さが中央の漢人であろうと辺境の匈奴であろうと等しくある、いや寧ろ辺境に行くほど中央で汚された人間性が清められていることが感じられる。正統派のストーリーで誰にとっても読みやすい小説である。

 その点では「名人伝」のストーリーには首を傾げる人もいるだろう。いや「名人伝」が好きな人は小説というものの本質を知っている人かも知れない。ある意味、読めども読めども?がつきまくるこの短編はどこにも感情と結論の行き所のないまま終焉しゅうえんを迎えるがそれこそが「小説」の本質なのではないかと思わせるところがある。

 「弟子」は「悟浄出世」「悟浄歎異」と共通の視点から構成されている。「弟子」という短編の背景にはもちろん孔子という本来の主人公がいて、その周りには顔淵・子貢といった才人がいる。そして三蔵法師という歴史の主人公の周りにも孫悟空と猪八戒という才能がある。

 そこから更に一歩下がった位置にいる子路という「弟子」や、「沙悟浄」というより周辺で現実的な人物を「主人公」にしたとき、そこには最初から本来の主人公たちに対するコンプレックスが内在するのである。その低い視点から視たとき、英雄譚えいゆうたんは姿を消し、その下でうごめき苦悩するものたちの姿が立ち上がる。中島敦の心ばえは子路や沙悟浄にあるのだ、と見ることが出来よう。とりわけ苦悩する沙悟浄が水底で彷徨いながら怪しげな師たちの教説を聴き、悩む姿は自らの姿を投影した物のような気がして成らない。小説というのは書いた主体の視点がある意味「骨格」になるわけで、中島敦が長生きしたとしたらやはり、そのような視点からの小説を書き続けたような気がする。そのコンプレックスが更に変容し不気味な物へ変わると「牛人」の世界が現出するのである。

 もう一つ、敢て、現在の状況に鑑み興味ある小説を揚げれば「文字禍」である。この短編の面白さは「文字」というより、文字によって伝えられる非本質的な「知」の禍を摘出する点にある。そのうさんくさい「知」は今やサイバースペース空間に自重を遙かに超えて存在し、意味は失われ、やがて「ナブ・アヘ・エリバ」であるあなたたちを苦しめそして凄まじい呪いの声と共になぎ倒してしまうかも知れない。そういう意味で現代に通じる物がある。


 だが・・・僕は今なお、「山月記」に最も心惹かれるのである。この小説を最初に読んだのは恐らく中学生の最終学年であっただろう。性、狷介けんかいと言う言葉を知ったのもこの小説によってであり、その言葉を虎に変じた李徴と共に自らに重ねた。李徴という自負心の肥えた男がその自負心に喰われ虎になり、中国の懸谷けんこくに身を潜める、その景色を思い浮かべると腹の柔らかい毛に夜露が染みこむような気がした。そしてその男が栄達した旧友を知らずして喰らいそうになり、危ういところで身を躱す、その刹那せつなに身を震わせた。

 それから暫く僕は小説を読むのを控えた。文字が心を喰らう、それに近い経験をしたからである。だがそれと対蹠的たいしょうてきに僕の心はこの小説に強烈に惹かれていたのだと思う。それは三島由紀夫の「潮騒」や「金閣寺」を読了した時の感動とは少し異質であるが、同じような質量でおさない僕の心を充たしたのである。そしてその喰われかかった心を癒やすために僕は小説を再構成し始める。そうした作業は読書家にとって不断の作業と言えよう。そうした知的な作業によって読者は圧倒された感情を癒やすこともできるし、的確な分析をすることも出来るのであろう。

 例えば、この小説に於いて虎に変じた李徴が旧友の袁傪を食らった後にそれが旧友であると気づくという設定にしなかったのはなぜであろう?もちろん故事から引き抜いたプロットだからとしても、そもそもその故事は虎が女を喰らう、という単純な物であったそうだ。ならば友人を喰らって後悔するというストーリーの可能性を中島敦は抱いたに違いない。もし、旧友を食い殺してしまったら李徴の後悔はモノローグで語られ、その後悔は旧友を喰っている内に忘れられ、自らの正当性を語る物へと変容していったかも知れぬ。いや、世間の実態は意図的であろうとあるまいと、そうした人間関係が悲劇的、ないしは喜劇的に現出することが殆どである。中島敦がそうしなかったのは彼の優しさであり、李徴をhumano(人間的)な人物として描いたからに他ならないのだろう。去って行く友に向かって一瞬姿を見せ、咆哮ほうこうしながらくさむらへ消えて行く姿には変容してしまった虎の姿と逆に極めて人間的な李徴がいるのである。


「山月記・李陵 他九篇」 中島敦著 岩波文庫 緑145-1 ISBN4-00-311451-5

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