君の好きな歌を歌う
深川我無
真希
恋は桜の花のように
君は少しハルカに似てる。
彼はギターをケースにしまう手を止めて私にそう言った。
「ハルカって誰ですか?」
私は彼の目を覗き込むように聞き返した。
「ハルカはねぇ…今の僕が生きる意味そのものだよ」
彼は再び片付けに戻りながら、穏やかな表情を浮かべてそう言った。それは褒め言葉だろうか?それとも惚気を聞かされているだけだろうか?私はその言葉の意味をはかりかねて言葉に詰まる。
そんな私の表情を読み取ったのか、彼はごめんごめんと苦笑いを浮かべて手を合わせるとそのまま片付けを終えて公園から立ち去っていった。
「ってことがあったんだよぉ…絶対彼女だよね…?私の儚い恋は桜と共に散りました」
ファミレスの机に突っ伏して私は紗織にぶーたれた。紗織はチョコバナナパフェを頬張りながら幸せそうな表情を浮かべている。
「ねぇ〜聞いてる〜?」
ジト目の私を無視して紗織はカフェオレの入ったマグに手を伸ばす。コクンとカフェオレを飲み干してから紗織は私に視線を落とした。
「真希。あんたねぇ…追っかけ?のくせに何にも知らないの?」
「どういう意味よ?」
「そのままの意味だよ。ハルカさんの話は界隈では有名だよ?」
紗織の表情には呆れを通り越して薄っすらと軽蔑の色が滲んでいた。
ファミレスからの帰り道、夕空を背に私はトボトボと歩いていた。頭の中では紗織の話が何度もリフレインする。
「ハルカさんて言うのは事故で亡くなった彼女のことだよ」
頭の中は紗織から聞いた話でいっぱいだった。しかし胸の中にはもやもやとした焦りにも似た何かが居座っている。心が落ち着かなくてイライラする。
気が付くと公園に来ていた。人がほとんどいない陽の落ちた公園のベンチに腰掛けて、私は彼と出会った日のことを思い返した。
彼のことを初めて見たのはほんの数週間前だった。その頃は膨らみかけた桜の蕾が今か今かと開花の瞬間を待ち侘びているような、そんな時だった。
公園のベンチにちょっとした人集りが出来ていて、私は何の気無しにひょいとそこを覗き込んだ。
そこに彼がいた。
彼は穏やかな笑顔を見せて、優しい声で歌を歌っていた。
一目惚れだった。
なぜかどうしようもなく彼に惹かれる自分がそこにいた。呆けて見ているとパチパチと拍手の音が聞こえてきて、どうやら最後の曲だったらしいことを理解した。
顔見知りと思しき人の群れが去ったころ、私は思い切って声をかけた。
「あの…!!」
彼は少し驚いた顔をしてからニッコリと笑いかけてくれた。
「はじめましてですよね? 歌聞いてくれてたのかな?」
私はコクコクと何度も頷いた。そんな私を見て彼は可笑しそうに笑った。
「あの…!! また歌いますか? CDとかは…??」
無駄に慌てて喋る私に彼は穏やかなに返してくれた。
「毎週同じ時間にここで歌ってます。CDとかは作ってないんです。すみません」
「ぜ、絶対また来ます…!!」
それからというもの、私は彼の路上ライブに通い詰めている。とは言ってもまだ片手で数えられる程度の数しかない。
とにかく好きになってしまったのだ。優しい笑顔も、穏やかな空気も、あの歌声も。
しかしその歌も眼差しも死んだ彼女に向けられたものなのだとしたら…
そう思うと胸がキュッと締め付けられるように痛んだ。ため息がこぼれた。
話の結末としてはじゅうぶんだった。好きになった人には好きな人がいる。
「失恋」それだけのことだ。
それなのに、胸の奥に居座る黒いもやは消えることなく私を苛立たせた。
腹が立つ。
でも何に腹が立っているのかが解らない。
どうにもならない苛立ちと焦燥感を抱えたまま仕方なく私は家路についた。
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