05
「ついでに少し家寄ってくるね? 着替えとか取りに」
「うん」
美咲の入浴中、薄々夏弥の頭にチラついてはいた。彼自身の下着問題である。
何を隠そう下着の替えを持ってきていない。
寝巻きは洋平のものを一度借りるにしても、下着はさすがに……という難点が、彼の頭のなかにはあった。
そのことに気付いていた夏弥は、下着を取りに一旦家へ帰ろうと決めていた。
それから、料理をする以上、調味料の状況を知っておく必要があり、「冷蔵庫の中確認するよ?」と声をかけてから、ちゃんと中を確認した。
そんなタイミングで、洋平からのラインが届く。
夏弥と同じ事に気付いたらしく。
『夏弥、今日下着どうする? さすがに履き替えたいんだけど』
当然といえば当然の内容だった。
夏弥も洋平も、下着まで共有する気はない。
夏弥がそっちのアパートへ向かう旨を洋平に連絡すると、すぐに返事が返ってきた。
『わかった。とりあえず俺の下着適当に引っ張り出して持ってきてくれないか? 脱衣場のグレーの衣装ケースに入ってるから』
その頼みに『了解』とだけ返信をして、夏弥は脱衣場へ向かった。
「あ」
ガチャッと音を立ててドアを開け、脱衣室へ足を踏み入れる。
そこで夏弥は、本日三回目の甘い桃のような香りを嗅いだ。
玄関で美咲とすれ違った時と、ソファに腰を下ろした時。
もうすでに二回も刺激され、すっかり覚えてしまったのだけれど、それがようやく美咲の使うシャンプーの匂いなんじゃないかと勘付けた。
脱衣室は、その香りがしつこいくらい充満していて、同時に夏弥の胸の鼓動を速まらせた。
ここまで充満していると、美咲に全身を包み込まれているかのようで。
(長居しないほうが良さそうだ。クラクラする……)
衣装ケースには一段ずつメモがペタリと貼られていて、そこに「洋平」と「美咲 ※絶対あけるな!」と油性ペンで力強く書かれていた。
夏弥は、そのメモを見る事で、ようやくちょっとした親近感を覚えられたような気がした。
美少女と言って差し支えない女子と、モデルルームみたいな部屋で過ごすこと。それは、夏弥のこれまでの日常とはあまりにもかけ離れていたからだ。
衣装ケース自体は素朴で特徴のないものだったけど、そこに手書きの字が添えられたことで、妙にほっと一息つけた気になっていた。
それからすぐに「洋平」の段から彼のパンツを数枚取り出す。
あまり気は進まないが、それらをバッグに詰めて早々と玄関へ向かった。
友人のパンツを自分のバッグに詰める作業。
この時の気持ちは言語化できないししたくない。
夏弥はそんな事を思いながら、その201号室を後にしたのだった。
外はすっかり暗くなっていた。
柔らかいオレンジ色の街明かりが、視界のそこここに散らばって見える。
夏弥が住んでいたアパートまでは歩いて十分ほどで、その道すがらにお
ただし買い物は帰り道でいい。
ひとまずは、自分の衣類(※パンツ込み)をゲットする必要がある。
そう判断した夏弥は、五月の夜の街を歩いていった。
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
「おや? なつ兄どうしたん?」
夏弥は、自分の家に帰ってきて初めて「なぜお前が帰ってきた」という意味の言葉を耳にした気がした。めったに聞くものではなく、釈然としない気持ちになる。
「お、夏弥おかー」
「あれ? 洋平と秋乃。だけ?」
玄関からリビングへ進んでみると、意外にも洋平と秋乃は大人しく一緒にご飯を食べていた。
陽キャイケメンと陰キャ女子の会合がそこにはあった。
一見、象と
というか、ものさし次第でどちらも象にも蟻にもなりえそうである。
それと、二人のご飯の内容自体は、夏弥の予想通りだった。
二人とも既定路線のコンビニ弁当。コンビニ惣菜。それらを箸でつついている。
「さっきまで二年生の人いたよ? 二年生の女子」
「は、やっぱりな」
「さすがに明日も学校あるし泊まっていかないって~。夕飯前に帰るって話だったし」
「ふぅん。そうですか」
それほど気にしていない風を装いつつも、夏弥には気掛かりな事があった。
別に洋平がここへ女を連れ込もうと、それは気にしない。けれど、自分と美咲の淡泊なやり取りに比べてみると、こちらの方がずっと血が通っていて、温かみがあって。
端的にいえば、楽しそうだと思ったのである。
「で? なつ兄どうしてうちに帰ってきたん?」
「ああ。着替えをちょっと取りにきたんだよ」
「え⁉ なに、ひょっとして早速汚しちゃうかもしれないの⁉」
「は? 普通に一日着たら洗濯するでしょうに」
「きゃあ~ん、夏弥くんてば不潔ぅ~!」と、洋平が裏声で悪ノリしてくる。
「洋平、お前のパンツ窓から投げ捨てていいか? いいよな」
「おい⁉ やめやめ! 冗談だっての!」
洋平は冷や汗をかきつつ、夏弥をなだめた。
さすがに頼んでいたパンツを人質に取られるとは、思ってもみなかったらしい。
「それにしても、コンビニ弁当ばっかりだと身体に悪いと思うよ。二人とも」
「そう言われてもね? 秋乃は料理できないんだろ?」
「しないんだよ。できないっていうかしないの! した事もないけど」
「した事もない」と洋平がジト目でリピートする。
「偏食は身体壊すから気をつけなよ?」
そう言ってはみたものの、おそらく二人はしばらくこのままなんだろうな、と夏弥は予測していた。
洋平のことも秋乃のことも、夏弥はよく知っている。
その性格や考え方を、かなり理解しているつもりだ。
そのせいか、夏弥は、今後の二人の暮らしぶりを簡単に見透かせてしまう気がした。
下着を含めた私服、制服のシャツなどを数着見繕い、部屋にあった適当な紙袋にまとめる。
持ってきたパンツを洋平に与える。
無事にそれらのミッションを達成し、家を出ていこうとした時、夏弥は洋平にひっそりとこう言われた。
「女の子の件だけど、安心してくれ夏弥」
「え? 安心?」
「ここだけの話さ、俺、実は女の子と『そういう事』はもうしばらくできないと思うんだよ」
「そう、なのか……?」
恋愛経験の乏しい夏弥にとっては、友達である洋平の言葉が羨ましいやら悲しいやら複雑だった。
「できない」という言葉は、そもそも「できる」機会に恵まれた者にしか使う事が許されていない単語だ。
「ああ。ちょっと色々あってさ。もう今は、女の子連れ込んでもソフレでいいやって思ってるんだ。いいやっていうか、むしろソフレがいい。この事は美咲にも言わないでくれよ」
「わかった、言わないわ。まぁそもそも、そんな下ネタたっぷりな会話してないし。俺、口堅いから安心していいよ。洋平と違って」
「よかった……え?」
「ぶはっ」
夏弥は、なぜわざわざ洋平が自分にその事を教えてくれたのか、よく考えながらアパートを出ていったのだった。
ソフレ。添い寝フレンド。添い寝するだけの関係でいいと。
洋平はそう言ったけれど、夏弥にはいまいち理解できなかった。
恋愛経験が豊富だからこそ、あまたの道を歩んだ上でその価値観に行き着いたのだろうか。
それにしたって、洋平も夏弥と変わらない高校生である。
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