04

◇ ◇ ◇


 1LDKのこの家には、洋平のベッドが置かれたリビングの他に、もう一つ居室がある。


 そこが美咲の部屋だった。


 美咲が洋式のその引き戸を開けてリビングから出入りすると、彼女の部屋がチラリと垣間見える。


 女子高生の部屋。などと言っても、決して華々しいものなんかではなくて、夏弥の予想している派手さの三分の一にも満たない、地味で素朴な部屋である。


 その部屋の様子全体を夏弥が知るのは、同居する以上もはや時間の問題だった。


 たまたま、夏弥がトイレに入っている間、美咲がお風呂に入ったのだが、彼女は不用意にもその部屋の戸を開けたままにしていた。


(微妙に開けられてる……)


 トイレからリビングへ戻ってきた夏弥は、さっきまで腰掛けていたソファに戻ることをやや躊躇した。

 このままソファに座ってしまえば、嫌でも彼女の部屋が視界に入ってくる。


 年頃の女子高生。それも、小さい頃から見知っている美咲が、久しぶりの再会で素っ気ない態度を取るものだから、余計に気を遣う必要があると思われた。


 このまま、中途半端に開けられた戸のそばに立ち、顔を入れて部屋を覗いてみる事は非常に簡単だし可能だ。


 だけれど、それはきっと美咲の望むことじゃない。


 この前、夏弥の暮らすアパートの方でも、似たような状況になった事がある。


 その時は、妹である秋乃の部屋を気軽に覗いたりしたが、特に秋乃がその事でキレるような事はなかった。


「なつ兄? 妹の部屋に何用で?」と自然に喋りかけてきたし、特別不快そうでもなかった。


 でも夏弥は、それを美咲に当てはめるべきじゃないと感じていた。


(閉めよう。この1LDKの家の中で、プライバシーを保つにはお互いの気遣いが必要なんだ。年上の俺がわかってあげないでどうすんだよ)


 夏弥は、そっとその部屋の引き戸を閉めた。

 中は覗かない。


 それからリビングのソファに腰掛けると、甘い桃のような香りがすっと鼻に感じられた。


 美咲はまだ、入浴中だった。


◇ ◇ ◇


 文字盤にモノクロのウサギが描かれた壁掛け時計。


 リビングの壁にさげられたそれが、午後六時を示す頃、脱衣室へ続くドアの方からやや大きめな物音がした。


 その音で、夏弥は美咲が浴室から出た事を察する。

 美咲が浴室を出たと思われてから少しして、どこか他人行儀なドライヤーの音も聞こえてきた。


(あがったのか。それにしてもお風呂に入る時間帯が早いな)


 妹の秋乃がいつも午後八時頃に入浴する事を思えば、美咲のお風呂に入る時間帯はあまりにも早い。


 でも、美咲の中ではそれが当たり前で、身に染み付いた生活のリズムなのだろう。


 夏弥は進み続ける時計の針を目で追いかけながら、そう感じていた。


 また、夏弥がトイレから出てくるまで待機せず、素知らぬフリしてお風呂に入ったあたりから、そこはかとなく歓迎されていないムードも感じる。


「お風呂に入るね」の一言も、「先に入っていい?」の一言もない。


(もしかして男子というだけで毛嫌いされてるのか?)と、夏弥は内心複雑な気持ちになっていた。


 手持ち無沙汰だからこんな感情を抱くのかもしれない。


 そう自分を分析し、夏弥はおもむろにスマホをいじりだす。


 SNSや動画サイトの定期巡回。

 これは彼の日課だった。


 特にやる事もないちょっとした空き時間に行なうが、閲覧している内容は割と実用的なものばかりだ。


『効率の良い勉強法bot』

『〇フコメニュースランキング』

『料理系YouTuber×××チャンネル』


 などなど、その内容は多種多様だった。


 中でも料理系YouTuberは、高校一年の時から夏弥自身が自炊する都合でずっと見続けてきたものだ。


 日常で活用できる料理の知識は、やはり本より動画の方が情報を受け取りやすかった。


 何より、料理を作った後のうまそうな実食シーンが映される事で、夏弥自身料理をしようという気持ちが湧いてくる。


 一人暮らしはつい料理をサボりがちで、意識して閲覧しなければあっという間にジャンクフードorコンビニ弁当地獄に陥ってしまいそうだと思ったからだ。


 このやる気になるためのトリガーは、夏弥にとって料理の本やネット記事では微妙に得難いものだった。


(お、新しい動画出てるじゃん)


 お気に入りの投稿者の新着動画に目を光らせた夏弥だったが、その時。


「先にお風呂入っちゃったんだけど、よかった?」


 いつの間にかドライヤーの音は止んでいて、脱衣室から美咲が現れたのだった。


 淡いピンクのシャツに下はダボついたジャージ。気の抜けた格好であっても、依然として可愛さは損なわれていなかった。


「え、ああ。別にいいよ」


 ショートヘアだからか、美咲の髪はしっかり乾いている。

 当然化粧も落としたらしいのだけれど、さして顔の印象ががらりと変わるわけでもない。


 生粋の美少女は、すっぴんも往々にして綺麗なのかもしれない。

 神様は本当に平等じゃないな、と夏弥は美咲の顔を見て思った。


「あたしの顔、何かついてる?」


 スベスベでぷにっと柔らかな音のしそうな頬。その頬を見つめていた事が怪しまれ、夏弥はとっさに話の舵をきる。


「あ、いや別に。今日、夕飯俺が作ろうかって訊こうと思ってたんだ」


「夕飯、作れるんだ」


「え? まぁそれなりだけどな。もしかして作れないと思った? これでも一応、一年は一人暮らししてんだけど」


「洋平は作らないし。あたしと一緒に生活してても、あいつ一回も料理なんてしなかったよ?」


 そう言いながら、美咲はキッチンに移動した。

 キッチン脇の冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、美咲はそれをゆっくりと飲んでいった。


 なんともまぁ、そのままコマーシャルに起用されそうなくらい絵になっている。


「ああ……。人それぞれあるからね。めんどくさいって感じる人も多いだろうな」


「ふぅ。うん。だからデリバリーか外食か、外で買ってくるのがほとんど。夏弥さんは、自炊めんどくさくないんだ」


「いや、もちろんめんどくさい時もあるよ。でも健康面とか気になるたちなんだよ。特に夕飯だけは。仕方ないから料理の動画とか参考にして、無理やりやる気おこして作ったり」


「料理の動画」


「そう。動画サイトに上がってる個人のやつ。こういうので実食とか見てると、無性に料理作ってみたくなるんだよ。まぁ俺だけかもしれないけど」


 夏弥は目にしていた動画サイトの視聴履歴を、キッチンに居た美咲にも見せる。

 直近はほとんど料理系の動画で埋まっていた。


 美咲はそれを、無関心ながら形だけは見てますという風に目線を向けていた。


「へぇ~。まぁ……。うちの冷蔵庫に入ってるもの自由に使っていいけど、ほとんど食材なんて入ってないよ? 飲み物と調味料しか入れてなかったり」


「なるほど」


 夏弥は、美咲と会話をしていて、やはり事務的だなと感じていた。


 現在話している内容は、あくまでこの家の食糧事情であって、彼女の個人的な好みや欲求の話はほとんど出てこない。


 逆にいえば、会話をただの情報交換だと割り切る事で、夏弥の心はもっと楽になるのかもしれない。


 同居や同棲といえば、まるで親密な間柄に聞こえてしまう。


 それを単に「部屋をシェアしているだけ」「共有しているだけ」だと置き換えれば、途端に程よい距離感が生まれたように聞こえる。


 さっき美咲の部屋の戸を閉めたように、適切な距離感を保つべきなのだろうと夏弥は感じていた。


(でも、試しに何か訊いてみるか?)


 パッとしない先輩男子から、美咲へのアプローチ。それがどの程度まで許されるのか。

 ここへきて、ある種のテストでもするように夏弥は質問をしてみる事にした。

 ちょっぴり魔が差した、のかもしれない。


「美咲は、好きなYouTuberとかいる?」


「え」


 そのひらがな一文字の反応からわずかな間を置いて、美咲は答えた。


「――いや、それ教える必要ある?」


 その質問返しと同時にミネラルウォーターを片付けたため、冷蔵庫の扉のバタンッという音が鳴る。

 ちょうど美咲の心の扉も、バタンッという音を立てて閉まったみたいだった。


 一瞬にして、圧倒的な拒絶の壁がそこに出来上がる。


「む、無理に言わなくていいけどさ。まぁ今日は俺が料理作るよ。初日だし迷惑料って事で」


「そう……。じゃあお願い。でも食材無いけど。買ってこよっか?」


「や。それもいい。俺が行くよ。結構もう外暗いし」


 やはり親しくはなれないのだと夏弥は感じる。


 これだけ可愛らしい女子と同居している事実は、他の男子からすれば羨ましがられる事請け合いだ。

 もしくは夢か幻かのたとえ話にでもされそうだけれど、現実はこんなものである。


 そこまで期待していなかった分、夏弥には落胆という落胆の気持ちもなかった。

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