傷物令嬢は白馬の王子様にさらわれる
上田一兆
第1話
私は幸福だった。
クラレント公爵家に生まれ、凛々しき父の赤い目と麗しき母の黄金の髪と白磁の肌を受け継いだ私は、語学やダンスの覚えも早かった。
王太子ニコランの婚約者に選ばれ、ニコラン殿下自身にも慕われていた。
地位、容姿、能力、運、すべてを持ち、誰よりも恵まれた人生を送っていた。
5歳の時、舞踏会に殿下と共に参加した。
「ニコラン殿下もオリアナ様もお上手ですね」
「大人顔負けですわ」
ダンスをお披露目すると、大人たちに口々に褒められた。
「もう一度踊ろうよ」
「はい」
褒められたのが嬉しくて、殿下と踊るのが楽しくて――きっと殿下も同じ気持ち――私たちはもう一度手と手を取り合い踊った。
殿下が頬を紅潮させながら笑いかけてくれる。
私も笑い返す。
美しい金髪、エメラルドのような碧い瞳。殿下以外の物がぼやけて見えなくなる。至福の時間。
ふと、ぼやけた背景から何かが浮かび上がってきた。
「ッ!!」
そちらに目をやって言葉を失った。
給仕をしていた執事の一人が、料理を取り分けるためのナイフを構えて、こちらに走ってきていた。
「殿下ッ!!」
咄嗟に殿下を引っ張って後ろにやり、自分の体を大きく広げて盾にする。
「ア゛ア゛アッ!!」
殿下を狙った刃が私の顔を易々と切り裂く。あまりの痛みに悲鳴を上げてうずくまった。
「オリアナ!!」
「オリアナッ!?」
「貴様ッ!!」
「取り押さえろ!!」
いろんな人の声が聞こえる。殿下やお父様が心配してくれているのかもしれない。周りの人が犯人を取り押さえようとしているのかもしれない。
でも周りのことを考えている余裕なんてない。
焼けるような痛みが脳まで突き刺してくる。脳まで切られたのかと思うほど。ただひたすら耐えるだけ。早く痛みがなくなってくれと思うばかりだった。
「早く医者を!」
「まだ刺客がいるかもしれん! 別の部屋へ!」
私はすぐさま違う部屋に連れていかれて、机に布を敷いただけの即席のベットで手術を受けた。
そこから先の記憶はない。痛みに耐えられなかったのか、血を多く失ったからか、私は気絶した。
「「オリアナッ!!」」
目が覚めると、お父様、お母様、お兄様、ニコラン殿下がいっせいに抱きついてきた。
「よくやった。よくやった……!!」
「無事でよかったわ……!!」
「お前はクラレント家の誇りだ」
「無事でよかった。君は命の恩人だよ」
皆褒めてくれる。
「君のお陰で息子を失わずにすんだ」
国王陛下も褒めてくれる。
「本当にありがとう……!」
王妃陛下も褒めてくれる。
「私感動しましたわ!」
「とっさに身を挺すその勇気感服しました」
会う人皆が褒めてくれた。まさしく人生の絶頂だった。
でもそこからは下り坂。
一週間して包帯が取れると、顔の左側に額から頬にかけて縦に大きな傷跡が残った。
「どう、かな……?」
「変わらず美しいよ」
殿下はそう言ってくれた。他の皆も変わらず褒めてくれた。
でも裏では違った。
「まあ、美しかった顔がお可哀想に……」
「あの傷じゃ女性としては、ねえ?」
聞こえないように言っているつもりでも、意外と聞こえてくる。
「殿下も女の子に助けてもらうなんて、頼りないわねぇ。国を治められるのかしら」
「大丈夫よ、いざとなればサー・オリアナがなんとかしてくれるわ」
「それもそうね」
「「フフフ」」
私も殿下もいろいろ言われた。
それでも殿下がいればそれでよかった。
でも殿下はだんだんと素っ気なくなっていった。
三日と開けずにしていたお茶会はなくなり、城ですれ違っても挨拶をするだけになった。
きっと傷を見たくなかったのだろう。ならばと前髪をおろして隠してみたが、
「なんだその髪は。どうして隠すんだ!?」
「見たくないかと思いまして」
「私を見た目で判断する奴だと思っていたのか? ひとつ傷ができたくらいで愛を失うような奴だと。君も私を見下していたのか!?」
殿下を怒らせてしまった。
こうなってはもうどうすることもできない。私は大人しくしているしかない。
でも仕方ないわ、こんな傷があるんだもの。
傷に触れながら自嘲する。鏡に映るその顔はひどく哀れだった。
だけど投げ出すわけにはいかない。クラレント公爵家の娘だもの。
たとえ殿下に愛されなくても、皆に嘲笑されようとも、婚約者としての職務はまっとうしよう。
目尻を拭い、立ち上がった。
それから十年が経った。
いつものように殿下の腕に手を添えて、無言で目も合わせずに夜会の会場へと入る。
そして国王や西の隣国ガウラの皇帝に挨拶する。
「本日は遠い所からご足労いただきありがとうございます」
「なに、君のように美しい女性に会えるなら惜しくない」
皇帝ジークフリート・イスカンダルは艶のある黒髪に深い青紫色の目の青年だった。私と二歳しか違わないにもかかわらず、髭をたっぷり蓄えたこの国の国王よりも威厳があった。
私と同じように顔に傷があるが、それを気にしている様子は微塵もなく、堂々としている。
むしろ顔の右側にある火傷のような跡は、彼の勇敢さを証明しており、彼の皇帝としての風格に箔をつけていた。
私も男だったらこんな風になれたのだろうか。
「どうかしたか?」
「い、いえ、何もございません。失礼しました」
無意識のうちに彼を見つめていたようだ。慌てて取り繕った。
それから私たちは他の貴族の方々と挨拶を交わした。
それが一通り終わると、殿下は義務は果たしたと言わんばかりに、さっと私の元から去っていく。そして男爵令嬢とダンスをしたり、楽しく会話したりする。
レイト男爵のご令嬢エリーゼ。栗色の髪に大きくまん丸な目の小柄な少女。いつもオドオドしている様は子猫のよう。
きっとそのか弱さが守ってあげたくなるのでしょう。それともあの素朴な笑顔に癒されるのかしら。どちらも私には無いものだわ。
壁の花となって、ぼんやりと殿下とエリーゼさんを見ていると、ふと声をかけられた。
「ごめんなさいね」
王妃様だった。
「私たちも言っているのだけど、なかなか言うこと聞かなくて……。でもあまり落ち込まないでね、あなたが悪いわけじゃないのだから」
「お気遣いありがとうございます」
国王夫妻は私によくしてくださる。ありがたいことだ。だけど何の慰みにもなりはしない。むしろいたたまれなくなる。
「少々酔ってしまったみたいです。夜気にあたって冷ましてきますわ」
「わかったわ、お気をつけてね」
居心地の悪さから逃げるためにバルコニーへ出た。
「風邪を引きますよ」
侍女のマビリアがすぐにストールを差し出してくれた。
「ありがとう」
受け取ったストールを肩に掛けて、欄干に体を預ける。
頬に当たる夜風が気持ちいい。目を閉じて小夜鳴鳥の鈴のような声に耳を傾ける。
「ここにいたのか」
演奏会に水を差す者が現れた。ニコラン殿下とエリーゼ男爵令嬢だ。普段話しかけてくることなんてないのに、どうしたのだろう。
「夜会を楽しんでいるか?」
「ええ」
「そうか……」
気まずい沈黙が流れる。
一体何があるのだろう。二人とも緊張しているように見える。
特にエリーゼさんは、普段は怯えて目も合わせてこないのに、今は挑みかかってくるようにこちらを見てくる。恐れを意思で押さえているのが揺れる瞳から分かる。
どうしてそんな風に見られないといけないのだろう。二人の関係に一度だって文句を言ったことなんてないのに。
「エリーゼ」
「はい……!」
二人は目を合わせ頷いた。
何か言いたいことがあるのだろうか。婚約破棄でも切り出すつもりだろうか。
そんなことを考えていた次の瞬間、信じられないことが起きた。
「キャアアーーーー!!!」
エリーゼが悲鳴を上げながら、自らバルコニーから真下の池へと飛び降りた。
驚きのあまり声も出ず動けない。そこに畳み掛けるように殿下が叫ぶ。
「何てことをするんだ!! 貴様!!」
は? どういうこと?
「早くこいつを捕まえろ!!」
殿下が私を指差して叫ぶ。その声に反応して、兵士が集まってくる。
ああ、そういうこと。
理解すると怒りが沸騰した。
「何を言って――」
代わりに反論してくれる侍女の言葉を制して、前に出る。
身を呈して守った見返りがこれってわけね。いいわ、そっちがその気ならなってあげるわ。
お望みどおり悪役令嬢にね……!
決意した私は殿下の肩を押す。
「何するんだ!! 貴様!!」
激昂した殿下が詰め寄ってくる。
その勢いを利用しながら、腕と胸ぐらを掴んで持ち上げる。
と同時に足を払う。
「オラアアアアッッ!!!」
気合い一声、殿下を池に投げ飛ばした。
「こんなことしてタダで済むと思うなよッ!!」
水面から顔を出して激昂するニコラン殿下。
でもそれはこっちのセリフ。
「あなたみたいな下郎は、亡くなったほうが世のため人のためになるってものよ!!」
欄干を飛び越え、殿下の顔をヒールでおもいっきり踏み潰した。
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