入職の前に

 廊下ろうかに出た後、コノハは女官のあとについて行った。

 コノハを案内している女官は、背が高く、姿勢よく歩いている。三十代半ばくらいの年齢だろうか。


 二人は、皇宮の裏側に向かっているようだ。

 皇宮には、屋根の装飾が美しい重厚な木造建築がいくつもある。女官とコノハが、大きな池がある中央の中庭を通り過ぎると、離れの建物が現れた。

 コノハと女官が離れの建物に行くと、建物に入ってすぐの場所、廊下右側の引き戸の前まで着いたようだ。


「……入ってもいい?」


 コノハの横で、女官が引き戸越しに部屋の方に声をかけた。すると、「いいよ」と、部屋の中から男性の声が聞こえた。

 男性の声を確認すると、女官は引き戸を開けた後に、コノハにも声をかけた。


「どうぞ……、貴女あなたも入って」


 コノハは返事をすると、女官に続いて部屋に入った。


 女官に案内された部屋は、新しそうな部屋ではないようだ。年期を感じさせる家具も置いてある。

 女官とコノハが部屋中央の大きな食台の前まで行くと、一人の男性が立っていた。女官と年齢が近いように見える。


「はじめまして。君と同じく大王家の従者である、白人しろとです。よろしくね。

 ……あっ、もし彩女あやめが近くに居ない時は、何でも俺に聞いてくれればいーからね」


 白人と名乗った男性は、笑顔でコノハを迎えてくれた。

 そして、彩女という名前の女官は白人の横に行き、微笑みながらコノハの方を見た。


「彩女と申します。コノハ……、これからよろしくね」


 どうやら、彩女がコノハの直属の上司のようだ。

 コノハが「よろしくお願いいたします」と言ってお辞儀をすると、彼女は少しだけ安堵あんどしたようだった。


「……仕事は明日からだから、今日はゆっくり休んでね」


「はい、ありがとうございます。……なんですが、ココの休憩部屋に居ても何していーか思い付かなくて……。あっ、衛士府えじふの訓練所を、これから見に行ってもいいですか?」


 すると、彩女も白人も少し驚いた様子だった。


「もちろん、いいよ。……長旅だっただろうけど、疲れていないのかい?」


「……そーですね……。昨日、町の宿屋で、いつもより長く夜は寝たので、元気みたいです」


 心配した白人たちに向かって、コノハは柔らかい表情で言葉を続けた。


「あっ! そーいえば、仕事着って、どこに置いてあるんでしょうか? さすがに朝服ちょうふくだと体が重いので、着替えてもいいですか?」


「右側の部屋が貴女の寝室だから、その部屋にあるわ。机の上に置いてあるから、使ってね」


「ありがとうございます、彩女さん」



 自分の寝室に入ると、コノハはさっそく仕事着を確認して、素早く制服を脱いだ。

 仕事着というのは、濡羽色ぬればいろの丈夫そうな衛士えじ専用の服のようだ。


(ペラッペラの貫頭着かんとうぎとは、全然違うなぁ……。木の枝が刺さっても、すぐに破れることは無さそうっ!)


 コノハは衛士の服に着替えると、下ろしていた髪を後ろで団子状にまとめて、持参した茶色の麻紐あさひもで縛った。

 それから、服の横に置いてあった防具を付けた後、弓と矢を持って、食台の方に戻って来た。


「少し、体を動かしに行きますね」


「夕食は女官の子たちが運んできてくれるわよ。三食の食事は、この部屋で取る決まりだから、日の入り前には戻って来てね」


「分かりました! では、行ってきますっ」




 休憩部屋を出たコノハは、ゆっくりとした足取りで、衛士府の建物に向かった。

 敷地内の一番東側にあり、離れの建物であるので、コノハは迷うこと無く、衛士府に行けそうだった。


(先輩のお二人……、優しそうな人で、本当に良かったぁ〜)


 少しずつ夕方に近付くにつれて、秋の風は冷たくなっていくようだ。

 時々、肌に当たるひんやりとした風を感じ、コノハは歩いている途中で、徐々に早足になっていた。



 衛士府に続く渡り廊下を抜けると、ようやく彼女は衛士府の本部に辿たどり着いた。

 訓練所に近くなると、コノハは心を踊らせて、足取りが軽くなった。


 コノハがちょうど本部の中のかわやを通り過ぎた時、厠から一人の武官らしき男性が出てきた。

 それは、朝服ちょうふくを着た上級武官は建比古たけひこだったが、彼はコノハの横顔だけ見て、すぐに本人であると分かった。建比古にとっては、いい意味で衝撃的な出逢であいだった故、格好は全く違えど、コノハを見間違えることは絶対に無い。


 かけるべき言葉がとっさに出ず、コノハに声をかける機会を逃した建比古は、「あぁぁ〜……」と低い小声でつぶやいた。


(ったく、こーゆーのは慣れてねーからなぁ〜。……仕方ねーわっ!)


 建比古は頭をきながら、大きな溜息をついた後、こっそり……とコノハのあとをついて行くことに決めたのだった。

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