1─10

  

 ペルシャの座右の銘は、空気は読まなくていい。だった。


 それは言い換えると、どんな状況でも自我を失わないという事であり、本人にその自覚はなくても、この室内でペルシャが一番冷静だった。


 ペルシャは冷静に今の状況を見ていた。ユナの怒りの感情が爆発して、それにミナポが誘爆されて、勇者と戦士は予期せぬ事態に困惑する事しかできず、そしてその様子を何故か魔王が楽しんで見ている姿を。


 そう、魔王が何故か攻撃を止めて、勇者一行の無様な仲間割れの様子をティーを口に運びながら傍観していた──それをペルシャは見ていた。


 そして、


 あれ? これってチャンスじゃね? 


 と思った。


 けれど罠かもしれないのでもう少し観察を続けた。


 魔王は、ユナとミナポが掴み合いの喧嘩を始めて、それを止めに入った勇者と戦士が、「うるせー!」とビンタされた様を見て爆笑をしていた。


 うん、油断しているな。


 ペルシャはそう確信した。


 千載一遇のチャンス到来、と。


 けれど、そうは思っても、ペルシャは魔道士の初心者。遊び人から魔道士に転職したものの結局は向上心がなく、未だに初歩魔法の一つしか使えなかった。


 圧倒的な魔力を誇る魔王に対して、初歩の最弱の魔法しか。


 無理だ。止めた方がいい。寧ろ中途半端な攻撃は相手の怒りを買う可能性が非常に高い。


 ──と、普通の人間ならそう考えるのだが、ペルシャは空気は読まない性格だった。


 小さな声で詠唱を始めた。次第に魔力が魔法具である自身の魔法の手袋に集まっていくと、


「【スースーフ─《風の玉》】」


 と風の魔法を放った。


 しかしこの魔法、初歩なのだが実は魔力の大きさに比例する上級者でも使用頻度の高いものであり、ペルシャの作った風の玉は中級者並みの大きさ(サッカーボールくらい)があり、割と威力を秘めていそうだった。しかもペルシャには運もあるようで、その風の玉は制御が出来ずに斜め上空へと勝手に飛んで行き、それが殺意を消す結果へと繋がり、故に魔王に気付かれる事なく風の玉は空中で静かにスタンバイを終えると、これまたペルシャの意思を無視したタイミングで勝手に魔王の頭上へと一直線に落下していった。


 殺気のない一撃。


 故に、ゴッッン!! 


 結構強烈な音が響き、魔王は頭から押し潰されるように前のめりに倒れていき、途中でティーセットと机のようなモンスターを巻き添えにしながら地面に崩れ落ちていった。


 ペルシャはもちろん魔王に直撃した事に非常に驚いていた。


「んっ、な、なんだ?」


 と、思わず振り返る勇者と戦士。両者の両ほっぺにはくっきりと手形が刻まれていた。そんな間抜けな姿で確認をしても魔王が倒れているのは分かった。しかも随分とコミカルな感じで。すぐに立ち上がって来る様子もなかった。更に周囲を見渡せばいつの間にかゴクノヤミキシたちの姿も消えていた。


 故に──


「ユナッ! ミナポッ!」


 と、すぐに勇者が声を上げた。


 ユナとミナポが状況を把握するのに時間はかからなかった。


 即座にユナが治癒魔法で3人の呼吸を落ち着かせると、ミナポが風の魔法で勇者と戦士を魔王の元まで運んだ。


 そして戦士がドガッと机と椅子 (のモンスター)を体当たりで弾き飛ばすと、蹲って首を押さえていた魔王と目が合い、魔王がはっと我に返り間髪を入れずに魔法書を開こうとした──が、それをすかさずミナポが風の魔法で弾き飛ばし、そこに勇者が魔王の首元に剣先を向けた。


「形成逆転だな……なんかよく分からないけど」


「ふっ」


 ペルシャが途端にそう笑ったが、それはいつものように皆から無視をされた。


「うおおおおーー! やったな、勇者! なんかよく分からんけど勝利だな!! さあ、早く殺しちまおうぜ!」


 歓喜に声を振るわす戦士。


 ──けれど、勇者はすぐに剣を突き刺ささなかった。


「──何やってんだよ、早く殺せよ! このチャンスを逃したらこっちが全滅させられるぞ。魔王はヤバいくらい強いんだからよ!」


「……そこなんだよな……」


 勇者はそう言った。


「──ヤバいくらいに強いんだよな、魔王は……俺たちじゃ全く歯が立たないくらいに……」


「だからこのチャンスに殺すんだろ? こんな奴とは2度と戦いたくないから──」


「なあ、マードリック。それって勝利なのか?」


「えっ? しょ、勝利だろ……それも」


「勇者として、胸を張っての勝利なのか?」


「……」


 勇者のその問いにマードリックは思わず言葉を詰まらせた。これが勝利というのにはあまりにも堂々としていない事は言われるまでなく気づいていたから。けれど、「──それでも俺はもう2度と戦いたくないぞ。魔王は強すぎる」とマードリックは言った。


「……後悔しないかな……?」


 その問いにマードリックは返事ができず、心の中では……分かってる。違うよな……これは勝利じゃないよな……と思っていた。


 その時、ユナとミナポがツカツカと歩み寄ってきた。


 その2人の表情からは、そういう綺麗事はいいんだよ。早く殺せよ。出来ないなら私たちがヤってやるよ! という雰囲気がありありと伺え、勇者は慌てて魔王にこう提案した。


「ま、魔王、残念だが圧倒的にお前の方が強い。このままお前を殺すのは不本意でしかない。だから、一時休戦をしないか?」


「……一時休戦?」


 魔王は首を痛めていて辛そうな声でそう言った。


「そうだ。今回は引き分け。俺たちをこの城から出してくれないか?」


「引き分け? 随分と図々しいな。けれど条件を呑まないと俺はお前に……いや、あの女たちに殺されるんだろうな……」


「そうだな。俺も知らなかったがあの2人の女はたぶん物凄く感情がストレートで、しかもたぶん物凄く残酷だ……」


「そうだな……俺もそんな感じがする」


 魔王もそう言った。


「──分かった。一時休戦だ」


「ハア? なに言ってるのよ? そんな都合のいい話ないわよ! 殺すわよ、殺すに決まってるでしょ。魔王なんだから。あんたも勇者でしょうが!」


 ミナポがすぐにそう激昂し、ユナもまた狂ったように瞳を血走らせながら、「勇者、取り敢えず黙って私に剣を貸を」と声を尖らせた。


 勇者と戦士は震えた。さっき叩かれた頬が恐怖を思い出したように傷んだ。魔王もまた死を覚悟したように喉を鳴らした。


 ──その時、


 ペルシャが魔王の魔法書を持って現れ、それを魔王に手渡した。


「えっ?」


「えっ?」


 と、間抜けに声を発したのは2人の女で、間髪を入れずに魔王は言った。


「魔法書を手にした俺と戦うか? それとも──」


「逃げるに決まってるでしょ!!」


 ユナとミナポは声を揃えてそう言った。

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