第一章 ボストン・テリア
第1話 外れの娘
「どういうことだ、この娘が私のツガイだと?」
「で、殿下……これは何かの間違いでは?」
「だが、魔法陣に出現した」
「し、召喚の失敗はしていませんぞ! 失敗すれば、誰も現れないはずですからっ」
床に座りこんでいる美生を囲むように見下ろしているシベリアンハスキーとダックスフント、パグがなぜか日本語を話している。正確には口の動きは日本語ではないのに、日本語に聞こえるという謎な現象であるけれど。
そんな三人のやや後方ではボストンテリアが静かに控えていた。面白いのは言葉を話しているだけなく、それぞれ鎧やフードなどそれっぽい服を着ているところだ。
シベリアンハスキーはどこぞの王族のように優雅な服を着ているし、ダックスフントは文官服、パグは魔導士のローブ、ボストンテリアが騎士のような鎧を身に着けている。全員二足で立っているけれど、顔はしっかり犬の形だ。けれど、服から覗く手や腕は毛が覆われていてもしっかり人間の手の形をしている。ブーツや靴を履いていることから、足の形も人間と同様なのだろう。
先週の休みに友人と見た西洋ファンタジーを舞台にした映画と仕事が合体した夢ということだろうか。仕事柄、動物たちと話せればいいなと思うことはあったから、それが夢に反映されたといったところか。
周りを窺えば、石造りの建物の中にいるらしい。窓はなく、灯りは青白い炎が壁に掲げられ揺れている。なんとも不思議な光景ではある。さすがは夢。自分の想像力の豊かさに呆れるばかりだ。
「まさか仕事のしすぎで、また寝落ちしたの?」
どこまでが現実でどこからが夢だ。まったくわからなかったけれど、休憩している間に寝てしまったのかもしれない。
二十日連勤など余裕だと思っていたけれど、やりすぎたか。林が夏風邪をひいてしまってその代わりに出勤したため、いつもよりは疲れが出たのだろう。
しかしそろそろ起きなくちゃ。すぐにミリンちゃんが来店する時間になるし救急車を呼ばれるのだけはやめてほしい。
休みをとるとしても今週いっぱいは無理だろうし、店長がすぐに起こしてくれるはずだ。呼びに来たところから夢だったのなら、同じように彼が来るに違いない。
だが、美生が口を開くと、その場の全員が口を閉ざした。
先ほどまで言い争っていた三人が、不自然なほどにぴたりと静かになる。
「お、お前は、異なる世界から来たのか?」
なぜか意を決したような顔をしたシベリアンハスキーが恐る恐る声をかけてきた。
「異なる世界?」
「ここはハウンダーヴォ国、私は王太子だ」
「え、シベリアンハスキーなのに、王太子? ハウンダー? はわかんないけど、そういう設定なのね。よくできた夢だわ」
「夢ではなく、お前は私のツガイとしてこの国に召喚されたのだ」
「はあ?」
「言葉は通じるのに国の名前も知らない、王太子と聞いても無礼な態度を改めることもない――やはり、文献通りではないか?」
「ですが、この娘は……」
「ああ、外れだ。これほど複数の者を侍らしている淫乱が私の唯一のツガイのはずはない」
喉の奥で唸り声を上げながら、苦々しげにシベリアンハスキーは告げる。
「はべ? 淫乱?! ちょっと待って、どういうこと――?」
こちとら彼氏いない歴イコール年齢の仕事に人生を捧げている悲しき独り身である。
高校を卒業してトリマーの専門学校に入って就職してと、二十五年間脇目も振らずにペット道に生きてきたというのに、そんな不愉快極まるレッテルを貼られる謂れはない。たとえ夢だろうと、腹が立つ。
だというのに、相手から同じ言葉を吐かれれば苛立ちはさらに募る。
「不愉快だ、どこへなりとも連れていけ」
「これほどの淫乱ならば、西の辺境伯のもとへ送り込んではいかがです。十八番目の愛人に毛色の変わった娘を差し出してみれば、喜ばれるかもしれませんよ」
ダックスフントがしたり顔でシベリアンハスキーに囁けば、彼は仕切りに頷くだけだ。
「そうだな、好き者どうし気が合うだろう。準備をしろ、契約条項の書き換えは済んでいるか?」
「ええっ!?少々お待ちください、これがあれだから、それがそれで――」
シベリアンハスキーに居丈高に命じられたパグが慌てて取り出した布のようなものにブツブツと呟いた。
「早くしろ!」
「ひえっ、はい、これでよろしいかと……」
パグが差し出した布をシベリアンハスキーは引ったくるように奪って、美生に突き出すように掲げた。
「この者との婚姻を認める」
「はあ?」
何を言われたのかわからなくて、美生が首を傾げれば布が光って消えた。
「二度と、私の目の前に現れるなよ。顔を見せるな」
「ちょ、何を勝手なことを――っ」
王太子の言葉を受けさすがに言い返そうと口を開いた途端に、今まで静かに控えていたボストンテリアが美生の腕をとった。
乱暴に捕まれて痛みが走る。
「い、痛っ」
声を上げれば、無表情の彼はやや力を弱めてくれた。
だが有無を言わさずに部屋を出された。長い廊下を無言で手を引かれて連れていかれる。
「待ってって、こんのバカ力! 痛いってばっ」
実はそれほど痛みはないけれど、騒げば手を放してくれるかと思えばそう甘くはないらしい。そのまま引きずられるように、どこかの部屋へと通された。
実家のリビングほどの広さの部屋にベッドとソファとローテーブルが並ぶ簡素な部屋だった。不思議なことに壊れるような調度品は一切なく、窓もはめごろしになっている。今はしっかりと木戸でふさがれており、外の景色は何もわからなかった。
椅子に座らされて、これみよがしに痛む腕をさすれば、彼は跪いて美生の様子を窺っている。
だが、美生は実際には混乱していた。
腕が痛かったのは本当だ。だというのに、少しも自分が目を覚ます気配がない。
夢が終わらないのだ。
つまり、これは夢ではないのか――。
「かつて王族のツガイを召喚した際に、やってきた娘の話が文献としてまとめられていた。混乱し夢だと叫び、泣き喚いて元の世界に返せと暴れて大変だったそうだ。現実が受け入れられるまでは、しばらく滞在できるように部屋を与えられている。貴女の場合は、辺境伯との婚姻が契約として成立してしまった。すぐに辺境伯の元へ送られるかもしれないが」
落ち着いた声で淡々と説明された言葉が、すとんと美生の中に落ちた。
何度か美生のように召喚されている者がいるということだ。皆、夢だと思ったのか。
ひどく納得した。先ほどまで日常にいたというのに、いきなり美生だけ切り取られて非現実に放り込まれたのだ。パソコン画面の切り取り操作を思い浮かべる。残念ながら、すぐに戻るということはできなさそうだが。
有無を言わさず、問答無用で現実と虚構が入り混じる。
これが夢でなくてなんだというのか。
「婚姻?」
「あの場で契約書の魔法にかけられている。本来は王太子と結ぶ筈だったものだが、相手が辺境伯に書き換えられている。逃げることは契約違反で最大級の罰は死だ。軽くても五体満足でいられることの方が少ない」
「了承なんてしてないわよっ」
「返事をしただろう、何を答えようとそれで了承と捉えられる」
「何よそれ……」
美生は呆然としてしまった。
なんの了承も得ずに勝手に連れてきたくせに、気に入らないと言って関係のない他人に押し付けられようとしている。
冷静であれば怒鳴り散らして喚いているだろう。
けれど、美生はしっかりと混乱していた。
怒濤の展開過ぎて怒りを通り越して、なんだか思考が明後日の方向に飛ぶ。
なぜか申し訳なさそうに目を伏せたボストンテリアをまじまじと見つめて、美生はボストンテリアの顔をそっと両手で挟んだ。
彼の目の上の傷をじっと見つめる。
「小泉さんちのアルファくん」
「は?」
「この目の上の傷、どうしたの」
「傷?」
ボストンテリアの右目のこめかみに抉れたような古傷がある。
サロンの客である小泉家のボストンテリアにも同じような傷があった。図鑑が落ちてきて角が当たったと聞いている。というか、顔もアルファにそっくりだ。しかもボストンテリアは小型犬に種別されるのに、大柄に育っちゃったところも同じである。
さきほど見た三人もサロンの客が飼っているペットたちに似ていた。美生はペットたちの顔をきちんと認識して記憶している。同じ犬種で毛色が同じでも顔の形は個々によって違うのだ。そして一度来店したお客様を決して忘れることはない。
だからこそ、夢だと思ったのだ。
「これは訓練時に剣の柄が当たって――」
「ボストンテリアは病気になりやすいの。鼻の上の皺の間に皮脂や涙がたまっていないかチェックして、皮膚炎になっていないかも見極める。肌の状態を確認してから、体質にあったシャンプーを選んで……」
「は?」
「余計な老廃物はしっかりとシャンプーで洗ってあげること。歯磨きも大事。うん、口の中は綺麗だね」
「あが?」
ボストンテリアの歯の状態を確認して、美生は小さく頷いた。
「シャンプーできる環境はここにはないのかしら。とにかく洗ってあげる。気候は過ごしやすいみたいだけれど、だいぶ肌が荒れてるわ」
「ま、待ってくれ。俺を洗う!?」
「病気を見過ごすことはしないわ。トリマーは単純にカットして整えるだけが仕事じゃないの。もちろん治療は獣医にお任せするけれど。というか、医者はいるのよね?」
鬼気迫る様子で怒涛のように話す美生の瞳はとにかく据わっていたことだけは間違いなかった。
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