さびしい人間
花屑かい
さびしい人間
『5/18
さびしい人間を見た。
彼は少しおかしくて、歯がない。
薄汚れた青いパーカーに茶色いズボン。黒いウエストバッグをよく身につけている。多分三十代後半辺り。
いつもは静かに公園のベンチにずっと座っている。けれど、月に一度ほど奇声を上げたり樹をドンドンと叩いたりする。
だから、この辺ではちょっとした有名人かもしれない。
好奇心で彼に話しかける人を見た事がある。
高校生くらいの男が友達と一緒に悪ふざけ。そんなところ。
彼は静かに相槌を打つだけで、自分から話そうとはしなかった。
それから私は彼の事が知りたくなった。
なぜいつも同じ服を着ているのか。そこでいつも何をしているのか。夜帰る場所はあるのか。なぜそうなってしまったのか。
それはあの高校生と同じ類の好奇心なのかもしれない。
けれどあの高校生とは違って行動力の無い私にとって、それは意味の無い好奇心だった。
そうは言っても、好奇心は止まらない。だからこんなものまで作ってしまった。
――5/24
彼は本を読むのが好きなのか、よくベンチで本を読む。
遠目で見にくいが原色の真っ赤な表紙はやけに目を惹いた。
時折瞬きもせず虚を見つめる彼の目は少し怖かった。
その本は本屋やネットで探しても見つからなかった。もしかしたらブックカバーなるものをつけていただけなのかもしれない。
――7/3
今日は少し前に買った高めの双眼鏡をもって、いつも通り離れた木陰で見ていた。
だいぶこの状況にも慣れたもので、初期のような緊張感はほぼ無いに等しい。
双眼鏡と手持ち扇風機を右手で交互に持ち変え、左手にはマナーモードになっているスマホ。
彼はいつも通り虚を見つめていたものだから、私は気持ち半分で彼の事を覗き込んでいた。
スマホに意識を取られ、思い出した様に次に彼を見た時、彼はそこには居なかった。
今まで一度もなかったその行動に、私はバレないか不安で吐きそうに気持ち悪かった初めての事を思い出した。
双眼鏡から目を離し、広い視野で彼を探すと、居た。
ベンチから少し離れた水飲み場の陰。
双眼鏡越しに彼を見る。
なんということだ。今日は月一のあの日だ。
先月は一度も起こらなかったあの。
自分が酷く昂っているのが分かった。深呼吸をして、いつもより揺れる双眼鏡をスマホをほおり投げ両手で抑える。
カッターを片手にあれは……蝉だろうか。
蝉の大合唱に混じる人間の、彼の大声。
彼の叫ぶ意味の分からない単語を必死に聞き取った。
あんなに激しく動き回る人間は見たことが無い。
噂には聞くが、初めて見るその光景を食い入るように見つめた。煩く鳴く蝉の声も気にならないほどに。
――バイト終わりの昼過ぎ。いつも通り公園に向かうと、彼の姿は無かった。
三日ほどその状態が続いて、彼を次に見たのはスマホの向こう側だった。
五人殺害。
やっぱりやばい人間だった。
もしかしたら被害者の中に自分の名前があったかもしれない。
私の心臓が耳元に聞こえた。
私の中には恐怖感とえも言えぬ高揚感があった。少し高揚感の方が強かったかもしれない。
最初はそうだった。
けれど、時間が経つにつれて明らかになってゆく彼の動機と今までの人生。私の知らなかった彼の姿が淡々とした口調で語られる。
その時私は自分の中の怒りを自覚した。
なぜそれを最初に知ることが出来たのが自分では無いのか。
ずっと解いていた問題を横から勝手に解かれたかの様な気分だった。
しかし私はその怒りに身を任せる事は出来なかった。
私がさびしい人間にならない為に。』
──久々に開いた懐かしの観察日記はそう締め括られていた。
妙に詩的なその文に苦笑して本を閉じる。
その表紙は真っ赤だった。あの時の彼に乗っ取っただけのチカチカする表紙。少し撫でて、彼との思い出を脳裏に描く。
懐かしさに目を細める。
あの時の自分はさびしい人間にならないようにと、彼のようにならないようにと怒りを時間に任せた。
しかし最近気づいた事だがこの日記を書いていた時も、今も。
変わらず私はさびしい人間であった。
世の中にはきっとさびしい人間しかいない。
彼も未だにさびしい人間で、これからも私は変わらないだろう。
でも少し。ほんの少しだけ、前よりはさびしさは減ったのかもしれない。
私は彼の観察日記を棚に仕舞う。
その隣。
彼女の観察日記を手に取り、いつもの場所へ向かった。
さびしい人間 花屑かい @hanakuzu_kai
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