第42話 哀願
「大丈夫……ですか?」
そんなことを尋ねなくても、大丈夫でないであろうことは僕の目にも分かる。
だが、目の前の信じられない様子に、僕はつい気が動転してそう言ってしまったのだ。
「……」
うずくまっている彼女からの返答はなく、ただただ彼女はすすり泣いているばかりである。
長い緑色の彼女の髪が地面にまで到達していて、髪の先端に泥がついていて汚れている。
「あの、本当に大丈夫ですか……?」
僕はそう言って、すすり泣いている彼女に手を差し伸べる。
「大丈夫、だから、いい……です」
泣いている彼女は、僕が差し伸べた手を振り払った。
僕の手を振り払った彼女の手は、異様な程に冷たく、寂しいものに感じられた。ずっと長い間このようにしていたのだろう。
「あの……うちに来ます? うちと言っても寮なんですけど……」
僕はそう言うが、やはり彼女からの返答はない。
いらぬお節介になってしまっているのだろうか。こういう時は誰にも何もされたくないものな。
しかし、だからと言って助けないという選択肢はないだろう。
「付いてきてください」
僕はそう言って、来た道の方を振り返って歩き始めた。
これでこの人が付いてきてくれれば、僕はこの人公認のお節介ができることになるし、付いてこなければそれでいい。
これが今僕が考えられる最大の策である。前世ではもうちょっと勉強をしておくべきだったと、今になって後悔し始めた。
僕は一歩、また一歩と両の足を交互に前方に動かしていると、うずくまって、すすり泣いていた少女が僕の後ろを付いてき始めた。
やはりこういうときは口ではなく、行動で表したほうが効果的なんだなと実感させられる。
「寮は一応掃除はしてるんですけど、汚いかもしれないので、そこは気をつけてください」
僕は申し訳無い、という気持ちを込めてそう言った。
探りをいれてみたいが、流石に出会ってからまだ数分も経っていないのに、なんで泣いていたんですか? と無神経に聞いてしまうのは、いくらなんでも悪手すぎる。
聞くとしても時間が経ってこの人が落ち着いてからにするか。
それにしても……なんだろうかこの臭いは。
何かの食べ物の腐敗臭だろうか? とてもじゃないが直で嗅ぎたくない臭いだ。
そもそも、なんでこの少女はこの臭いを発しているのだろうか? 勇者がこの街に来た直後のときにも、彼女からはこんな臭いはしなかったはずだ。
風呂に数日間入らなかったとしても、こんな臭いには普通ならない。
とりあえず、寮に付いたらまず真っ先に風呂だな。
確か女子寮の方に浴槽があったはずだから、ルラーシアちゃんに頼めば了承してくれるだろう。
なんで男子寮には風呂がついていないんですか……?
「あ、あの」
先程までうずくまっていたその少女が話しかけてきた。
なんですか? と立ち止まって少女の方を見ると、少女は申し訳無さと困惑が混ざったような複雑な表情をしている。
「なんで私を見捨てなかったのですか……?」
少女は存外丁寧な言葉でそう言った。
なぜこの人は、助けてくれたのですか、ではなく、見捨てなかったのですか、と言うのだろうか。
まるで見捨ててほしかったようじゃないか。
「あなたがあなた自身で僕に付いてきたんですから、見捨てるも何もないじゃないですか」
僕はそう言った。
すると、その少女は「あ……」という声を漏らす。
「それは……すいません……」
少女は謝る必要など無いのに、謝って俯いてしまった。
こういう時はどのようなふうに言葉を返すのが正解なのだろうか。
僕は先程からこの人に妙な既視感を抱いていたが、その正体がわかったような気がする。
この人は、フーリアさんと離別した直後の僕とよく似ている。何かにつけて自殺を図ろうとしないかと警戒してしまいそうな様子だ。
今なら、僕を王都まで運んでくれた商人のおじさんの気持ちが分かる気がする。僕がつらかった時、おじさんは何をしてくれたっけ。
僕はふと、近くにある八百屋の方に目を向ける。
八百屋に陳列されているかごの中に、淡い赤色の瑞々しいリンゴがあることに僕は気がついた。
「麗しきおねえさん、このリンゴってどのくらいするの?」
僕はいつもどおりのおべっかを使って、八百屋の店主にそう話しかける。
こんな風に言えば、相手は面白がって少しは値下げしてくれる。本当に少しだけではあるが。
「あら、リーバルト君、今日もお世辞が上手ねぇ。フリル銅貨2枚だよ」
僕は魔石の入った紙袋を地面に置き、巾着袋からフリル銅貨4枚を取り出し、店主の女性に渡した。
僕の銀貨と同時に交換するように、店主の女性はリンゴ二つを手渡してきた。
「はい、まいどあり。気をつけてねー」
そう八百屋の店主の女性が僕に手を振ってきたので、僕も手を振り返し、少女のいる方向へ振り返る。
「一個あげます。僕にはあなたに何があったのかは知らないですけど、そう暗い顔をしていると、こっちまで暗い気持ちになりますよ。
あなたには笑顔が似合うと思います」
僕はいつぞやのおじさんの言葉を借りて、少女にそう言った。
こんな時まであのおじさんは僕を助けてくれる。いよいよお礼をしなければバチが当たってしまうな。
少女は渡されたリンゴを見て、暗い顔をしながらも何かを考えているようだ。
葛藤、不安、恐怖、そんな感情がただひたすらと渦巻いているように、僕は見えた。
そして、少女は何かを決意したのか、僕の顔を力強い目で見てきた。
「──私を、助けてください」
少女は目の縁に涙を溜めながら、そう言った。
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