16──僕は何を残せるだろうか その1

 トークンが六つ集まったものの、それをどう使えば神とやらの場所へ行けるのか皆目検討もつかないまま、とりあえず次の孤児院のある街へと旅を続ける。

 道から外れ、森の中を突っ切って進む。

 今日も誰も通らないような森の中を、獣道があれば上等な道のりを進んでいた。

 そして、木漏れ日が暗く朱色が滲んで来たくらいの時間。

 伐採場かなにかなのか、その一帯だけ木々が切られていて、空がよく見える場所に出た。そんな開けた場所の中央に、箱が一つ置かれていた。

 その箱は、三本の足で比較的平らな地面に立っていて、シルエットは立方体に短い円筒が付いたような見た目をしていた。

 立方体の部分は傾いており、円筒の先が空へと向いている。その先を見ると、満点の星空が広がっていた。僕が久しく見上げることのなかった空が。

「すいませーん。そこに立たないでください」

 この物体の持ち主と思しき人がこちらに近づいてくる。どうやら少し離れた木の陰で待機していたようだった。

「これって、なんですか?」

 こんな場所に放置しないといけない物ってなんだろうか。動物を捕まえるためのもの……には見えないし。

「これはカメラと言って、景色を記録しておく装置です。この円筒についているレンズを通した光を記録するんです」

 見たことも聞いたこともない装置だった。いったいどんな風に記録できるんだろうか、もしこれがあれば、学院時代に死ぬほどやったスケッチの練習がいらなくなるのでは。

「すごいですね。この円筒の先というと、もしかして星空ですか?」

「そうです。毎週記録してるんですよ」

「毎週。これ記録するのにどれくらいかかるんですか?」

「数時間ですかね。結構日によってまちまちですけど」

「そんなに……どうしてそんなことを」

「どうしてでしょうね。星空が好きなのはありますけど、なんだろうな。なんとなく大事だと思ったから……ですかね。この、カメラってものを知ったときに、自分がいつも見てる変わらないはずのものを記録しなきゃって」

 どうして記録しないといけないんだろうか。何の変哲もない星空だ。夜になればいつでも見れるものを、わざわざ手間暇掛けて記録する理由として、なんとなくというのはなんだか弱い気がした。

「ほんとに変な話ですよね。星空なんていつ見ても、まったく一緒なのに。星の動きなんて学者さんが散々調べて、いつも同じだって分かってるんですけどね。それでも、もし、万が一明日は違ったらって。すいませんねこんな益体のない話を聞かせちゃって」

「いえ、そんなことは」

「そうだ。お兄さん旅人でしょ。話を聞いてもらうお礼に、ぜひよかったら家に泊まって行ってくださいよ」

「……僕みたいなやつ泊めてもいいことないですよ」

 なぜか指名手配こそされていないものの、いつ捕まってもおかしくない状態だ。それこそ辺境の村まで追っては来ないだろうが、罪人であることには違いない。

「何言ってるんですか。村の外の話いっぱい聞かせてくださいよ。こっちは生まれてからずっと村で暮らしてるんです。お兄さん出身地は?」

「ボルタですけど」

「首都じゃないですか。いいなぁ。いろんな人がいて、いろんなものがあるんだろうなー。それで、そんな首都から出て旅までしてるんでしょう。こりゃ色々聞けそうだ」

 すごく上機嫌にそんなことを言うので、流石に断れなくなってくる。それに、何回やっても野宿は嫌だからな。

「じゃあ、積もる話は飯でも食べながらやりましょう。カメラ回収するのでちょっと待ってください」

 もう手慣れた様子で、土台を畳み専用のカバンにカメラをしまっていく。彼は何回この工程をしたのだろうか。何度この場所に足を運んだんだろうか。

 目隠ししても危なげ無さそうなくらい、慣れた足取りで歩く後ろを付いていく。会話の沈黙が気にならないくらいの短い時間で、彼の村に着いた。

「俺の家はこっちです。あの端のほうの。普段は野菜を作ったり木を切ったりして暮らしてます」

 少し早い時間なのに、灯りのついた民家は一つから二つくらいしか見当たらない。村は森と一続きになってるみたいに暗かった。

「ああそうだ。名乗るのが遅れました。俺の名前はカオンと言います」

「キャニーです」

「キャニーさんですね」

 カオンは家に入ると荷物を置いて、鍋に水を入れ始める。家の中にはカメラで撮ったであろうものが、何枚も壁に貼られている。どれも星の動きが残像みたいに線になっていて、構図もほぼ同じだ。僕は壁以外は簡素で物の少ない部屋に入って、適当な椅子に腰掛ける。複数人がけのダイニングテーブルすらない、質素な部屋で、せいぜいキッチンと寝室が分かれているくらいだった。

「本当に何回も記録してるんですね」

「良ければ一枚差し上げますよ。見ての通りいっぱいあるので」

「他のものは記録しないんですか?」

「見ての通り、長時間の景色が重ねて記録されるんですよ。だから、普段の村の風景とかは記録しづらいんです。その点ほら。星は綺麗でしょ」

「たしかに」

「もしカメラが瞬間の景色だけをとれるようになったら、もっと色んなものを記録できるんだろうなあ」

「そうですね」

「俺、たまに考えるんです。今生きてる誰もが見たことないようなものを記録越しに見ることができたらなーって。それってすげー面白いことだと思うんですよ。キャニーさんはそう思いません?」

「確かに、思いますね。小説とか古文書とか文書を読むだけでもワクワクするんで、それが正確な絵とかだったら良いと思いますし、それに確か、世界最古の古文書、RFC って言うんですけど、それより前の世界のことは、誰も分からないんですよね」

「RFC ってのがあるんですね。博識だ」

「そんな、ただ学院でたまたま習っただけで」

「学院っていうと学者さんですか?」

「ああいや、全然全然。ボルタじゃみんな行ってましたよ。だから、なんとなく通ってただけで」

「はー。都会ってすごいですね。それで、その、なんとか文書ってのは、どういうやつなんです?」

「RFC. 最低でも四千年以上前の記録ということと、多くのジャンルで大量に発見されているけど、誰が書いたか一切分かってない古文書なんですよね」

「誰が書いたか書いてなかったんですか?」

「そうみたいです」

「信じられないですねー。僕なら絶対に名前を書くのに。後世に名前を残すチャンスなのになー。そう思いません?」

「そんな風に考えたことは、なかったです。あんまり自分が偉業を成すとか、そんなことは考えたことが無かったので」

「キャニーさんはデカいことをやりそうなオーラを感じますけどね。案外、偉人ってのはそんなものなのかなぁ」

「それは、買いかぶりだと思いますけど」

「いやいや、少なくともこんな村でくすぶってる俺よりは可能性あるでしょ。いいなー、〇〇の功績を認められて、千年先でも名前が残る」

「憧れるのは分かります」

「いやほんとに、その、RFC ってやつも結局、俺らみたいな田舎の村のそれも村人の一人一人のことなんて書いてないわけじゃないですか」

「それはそうですね」

「だとすると、今の俺らからしたら、当時の人のことなんて分からないし、〇〇って農民がいたーとか、いっさい歴史に影響がないじゃないですか。そう考えたら、いないのと同じっていうか、いなかったことにされるというか」

「でも、書かれて無くても、色んな人はいたんじゃないですか」

「それすら分からないじゃないですか。記録が嘘で、実は高度な魔術文明があって、農業なんてする必要なかったかもしれない。記録にないところで何があったとしても分からないんですよ。それこそ、僕がこの村に閉じこもってる間に、村の外で戦争が起きて国が滅んでても気づかないかもしれない」

「それはさすがに、気づくでしょ」

「とにかく言いたいのは、俺はモブでしかないのかなっていうことなんです」

 酒も入ってないのに愚痴っぽくカオンは語る。口を動かしながらも、慣れた手つきで夕飯の支度をする。

 僕は何も言えなかった。自分自身が物語の主人公ではないというような、ちょっとした、がっかりを感じたことはあれど、自分の死後には人も残らないとか、そんなことは一切考えたことはない。そもそも、自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。

「すいませんね。こんな話を。キャニーさんに村の外の話を聞こうと思っていたのに」

「ああ、いえ。別に」

 そこからは、僕の旅の中でもつまらない当たり障りのない部分を話した。さっきみたいにカオンが身の上を語るということはなく、ほとんど相槌と単純な感想だけを返していた。闘技場での話ならともかく、なんのこともない都市部の町並みや、食べたものの話にも食いつきが良かったのは変な気分になった。

 話しているうちに夕食ができあがる。野菜たっぷりの煮込みから立ち上る湯気越しに会話を続けた。そして、器の中身も話のネタも尽きようかとしていたそのとき、来客が来た。

 ドアノッカーを叩く音がする。

「あっ。あー。はいはい、今出ますよ」

 何か心当たりがありそうな感じで、カオンは扉に向かう。

「ねぇ! あなた今日が何の日か覚えてる?」

 あいさつも前置きもなし、いきなり本題から怒鳴りつけてきた来客はカオンと同い年くらいの女性だった。

「えーと、もしかして、付き合って一年だっけ?」

「覚えてんじゃないよ。じゃあなんで今日は何のお誘いもなかったわけよ?」

「それは……その……明後日だと思ってまして……」

「はぁ、まさかあなたが、暦すら読めないグズだなんて思ってなかったなんて」

「ここ最近は、その、ちょっと抜けてたんだ」

「言い訳? あのさぁ、一年よ一年。私の格好かっこ見て何か気づかない?」

「ええと、新しく服を買ったのかい?」

「第一声がそれでいい? ……はぁ。歯食いしばって」

 石を綿で包んで壁を殴ったときみたいな音がした。

「カオンさん大丈夫ですか?」

 流石に今の音は不味い。話してる感じからして割って入っていいものか悩んだけど、目の前で流血沙汰を起きるのを黙ってみてるのは無理だ。

「ああ、キャニーさん。はは。すいませんね。後は頼みました」

「カオンさん! 起きて、起きてください!」

「すいません。どなたでしょうか?」

 背後に殺気。丁寧語からはみ出した感情に恐怖する。

「えと、旅人のキャニーです。今日は森の中でたまたまカオンさんと会って、それから話してるうちに、家に招待されてという感じです」

「私はコニーです。そこのカオンのパートナーです……それで、キャニーさんはどこから来た人なんですか?」

「えと、ボルタです」

「すっごい都会じゃないですか! ご飯温めるから、お話聞かせてください!」

 コニーは床で伸びてるカオンに気もくれず、持ってきたおかずを勝手に温め、鍋に残っていた煮物も勝手によそって食卓についた。

 その後僕はカオンにしたような話をもう一度することになった。カオンと違って、かなり根掘り葉掘り聞かれて誤魔化すのが大変だったが、ときどき挿入されるカオンへの愚痴がいい感じに休憩になっていたので……いや愚痴聞くのも大変だ。めんどくさい。まぁでもずっと話してたら喉が枯れていただろうから、その一点でのみなら助かったが。

「あっカオン起きた」

「えっ?」

「あれ、狸寝入りなんですよ」

「さっきと何も変わらないと思いますが」

「付き合いが長いとね、分かるようになります」

「ほらあなた、さっきの続きよ」

「はぃぃ」

 流石に正面で痴話喧嘩を聞くのはキツイので、空になった食器を持ってそそくさと水場へ、ごちそうになったので皿洗いくらいはやらないとな。

 意識して無くても耳に入って来てしまう会話を聞いている限りだと、この村では一年交際したら婚約の状態になるのが慣例らしく、付き合って一年の記念日にプロポーズするのが普通らしい。だけど、カオンは意図的にそれをすっぽかしたらしく、その理由というのが婚約したら一生村から出られないと思ってしまったから。だから、プロポーズが怖くなったらしい。

「村から出ちゃだめな理由なんてあるんですか?」

 つい口を付いて出た。さっきの感じだと、両者とも村の外には興味があるみたいだし、大変だったとしても村を出ることはできると思う。僕なんて街に戻れなくて旅をしてるのに。

「あ、ああ。近年村から伸びる道に盗賊が出るんだ。僕ら腕っぷしが強いわけじゃないから、それで村から出られないんだよ」

 ということだった──。

 翌朝、僕は盗賊が出ると言われた道から村を出る。カオンもコニーも僕のことを引き止めたり、心配したりといったことはしてこなかった。ただ、カオンは大量に収集していた星空の記録の一枚を渡してこう言った。

「キャニーさんあなたはきっと、歴史に残る側の人ですよ。だから、あなたの記憶に俺が残れば、俺も未来に残ることができる。俺の人生はこのときのためにあったんだって思える。だから、これを未来に持っていってくれ」

 まぁ、ここで終われば物語的ではあったんだろうけれども、現実というのは蛇足で溢れていて、コニーがこう付け足した。

「何をバカのこといってんの。あんたは私といっしょに、この村を子々孫々まで残るようにするんだよ」

 プロポーズとしか受け取れない言葉を背に、僕は村を出発したのだった。なんか、プロポーズにそぐわないドタバタが聞こえてきた気がするが、それは見なかったことに。



 ああ、そうだハック。

 なんじゃ?

 ハックって第一のウィザードの妻って言ってたよな。

 言ったな。

 ハックは痴話喧嘩とかしたのか?

 まぁ、少しはしたな。

 そのとき嫌になったりしなかったか?

 考えたことはなかったな。わしとあやつは、もはや一心同体じゃったから。ああいや、それは結果じゃな。うん、好きじゃったから一緒にいるのは当たり前じゃ。

 そうか。そう……か。

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