01─日常から逃げ出した その1

 亡くなった母の夢を見た。

「キャニー、将来何になりたい? あなたは、家を継がなくてもいいのよ」

 春の木漏れ日のような声。

「キャニー、あなたは、何者にもなれるのよ」

 ゆっくり、頭を撫でながら言う。

 僕は、息が重く、後退ずさりしたくなる。


 ジジジジ。

 リンリンリンリン。

 ジジジジ。

 リンリンリンリン。

「うぅん」

 手が落ちるのに任せて、目覚ましをチョップ。目を開く。

 閉めっぱなしの雨戸の隙間から、オレンジの光が僕の目を焼く。

 眩しいなぁ。

 こもった湿気と一緒に眠気も吹っ飛ばすように、布団を蹴飛ばす。仰向けのまま伸び。

 大通りの喧騒がうっすら五月蝿うるさい。今日は記念祭だ。

「あぁー、めんどくせー」

 ぎこちない動作で立ち上がり、部屋の隅っこの山に手を突っ込む。多分昨日と同じ場所に埋もれていたカバンその他もろもろを引っ張り出す。くしゃくしゃの服のシワを引っ張りながら着替えていく。

 台所も鏡もスルーして、薄っぺらいドアに鍵をかけて、階段を降りて、外へ出る。

 ここまで、いつものルーティーン。

 代わり映えしない、気だるげな日常。

 一階にある大家さんがやってる小料理屋に挨拶をして職場へ向かう。

「マジカル・メタモル・トランスパイル! あなたの心にGETリクエスト!」

 大家さんが奇っ怪なモーションをしながら、半音上げ、滑舌ふにゃふにゃの声を発していた。

「あっ」

 だから。

 僕は。

 何も見なかったふりをして職場へと。

「ゲフンゲフン」

 わざとらしい咳払いが聞こえる。大家さんがこっちを見て、目で、「何も見てないね」と訴えてくるので、「何も見てません」と大家さんの真似をして咳払いをしておく。

 大家さんは何もなかったかのように、夜営業の準備をはじめていた。

 ここまで、いつも通り。いつも通りってことにしてくれ。もし、今日この後に、人生の転機になるようなイベントがあったときに、その一日のはじまりが、こんな、こんな……大丈夫、きっと今日はもう何事もないし、すぐに他の日常の記憶に押し出されて忘却していくんだきっとそうだ──。

 ズイッと眼の前に串焼きが突き出される。

「ほら、今日も何も食ってないんだろ? 持ってきな」

「ありがとうございます」

 差し出された串を受け取って、一口。

「なんかいつもより、ジューシーというか。お肉が大きい?」

「上手いか?」

「はい」

「それはよかった、今日は祭りだからな、いつもより豪華にしてみたんだ。他の限定メニューも食べるか? 感想聞かせてくれ」

「ああ、いえ、もう仕事にいかないと」

「しょうがねぇな。もっと食べねぇと駄目だぞ?」

「大丈夫ですよ。ご心配なく」

「ったく」

 大家さんが背中を一回叩く。

「じゃ、いってきます」

「おうっ。頑張ってこいや」



 そんな感じで、僕はいつも通り、職場への道を歩いて行く。

 多分大通りの方では、屋台が並んでいて、りんご飴とか、輪投げとか、怪しい魔道具とか、聞いたことない英雄の武具やらが売られていることだろう。

 まあ僕はそんな俗なイベントには興味がないので、粛々と職場に向かうのである。

 人通りの少ない路地裏を通って。

 決してボッチというわけじゃない。不特定多数に混じって一瞬の快楽に身をやつすよりは、いつもと変わらない日常で、自分の役割を果たそうというだけの話だ。

 僕には記念祭にかこつけて発表できる成果もない、シね。と、そんな斜に構えた僕の態度を咎めるように、コツンと、何かが降ってくる。

「いたっ。なに?」

 下を見ると、僕の頭に当たったとおぼしき鍵が一つ。

 ザ・童話に出てくる鍵、みたいな見た目の鍵を拾う。

 意外にも、その鍵はずっしりと重く、鈍く金色に輝いていて、不思議な色の宝石がはめられていた。

 おもちゃと言うには出来が良すぎるなぁ。もし本物だとしたら、すごく古い、資料価値のあるもの? まさかね。

 辺りを見回しても、まったく人の気配がない。上を見ると、ちょうど頭上を通っていたのだろうダクトが、ちぎれて揺れていた。ここから落ちたのかな?

「まぁ、後で治安部か祭りの運営本部に届ければいいかな」

 それよりも仕事仕事。

 鍵をポッケに入れて、職場への道を急ぐ。

 僕は祭りの日でも勤勉に働く労働者なのだ。



「はー。なんで外はお祭り騒ぎなのに仕事があるんだー」

 バックヤードの机に頬ずり。机のささくれが刺さりそうだ。

「来てそうそう何やってるんですか。早く持ち場についてください」

 メガネをかけた学芸員その1が話しかけてくる。柔らかい声のせいで、全然本気そうじゃない。ま、ここにいるということは、僕と同じ記念祭アンチ同盟の一員であるに違いない。

「記念祭は別にお祭り騒ぎするイベントじゃないですよ。『魔導開放記念祭』ですから。主役は、我が国が誇る歴史上最初のウィザード、ゴト・リッチー氏なのです」

「でももう千年以上前に死んでんだよ。いないんだよウィザードさんは」

「より正確には千五百年ほど前です。そして、そんな昔の人物だからこそ、リッチー氏の偉業を後世に残すためにも、特別展をしてるんじゃないですか」

「いやだから、昔の人なんて誰も興味ないよ。その上、お祭りの日に博物館って」

「う。んー。でも、だからって、誰かしらはきますよ。いくら人気がないからって、記念祭の初志を失くしちゃったら、駄目でしょう」

「さいですか」

 と、まあ。ひとしきり文句は言い終えたので、給料分の仕事をするために、立ち上がる。

 僕の仕事は、ここの博物館のガイド兼警備員だ。展示の前で右往左往する人に道順を教え、展示に手を触れようとするやつに、道徳を説くのが主な仕事である。

 正直給料は良くない。でも大概暇なので楽な仕事だ。

 バックヤードから出て、特別展のあるフロアへ移動する。昼間のシフトに入っていた人と少しだけ挨拶をして、仕事を交代する。

 持ち場について耳を澄ましていると、遠くの方で何人かの足音が聞こえてくる。

 さっきはああ言ったが、わざわざ開館しているだけあって、来場者はゼロじゃない。魔導記念祭は学会なども兼ねているので、結構な数の学者やら職人やらがやってくる。その中には、祭り騒ぎよりも博物館が好きという奇特な人もいる。

 頭を左右に振りながら、見飽きた展示の数々を視界に入れつつ、怪しい人がいないか見て回る。

 時々立ち止まって展示を見る。だいたい去年と同じ。代わり映えしない資料の数々。

 多少レイアウトは変わるけれど、今になって新たに初代ウィザードのアーチファクトが見つかるなんてことはなく。

 入り口から入って、画家が書いたイメージ画、リッチー氏の偉業と年表、資料とその解説などが続く。

 一番奥には、リッチー氏が生涯かけて書いたとされる、分厚い手記、グリモワールが展示されている。

 ガラスケースに入ったそれは、ふわふわと浮いており、これが目玉の展示だと言わんばかりに発光していて……。

「おい、ちょっと待てよ。昨日はこうじゃなかっただろ」

 記念祭当日限定の特別演出?

 どうやって展示しているんだろうと、ガラスケースに近づくと、なぜか僕のポケットがガサゴソと……。

 えっ。

 とっさに手をポッケへ。

 さっき拾った童話みたいな鍵が震えている。

 同時に、グリモワールも震えだす。

 光が強くなる。

 鍵が本に引かれる。

 本と鍵が近づく。

 鍵が手からすり抜けて、本へと飛ぶ。

 一閃、閃光が日常にヒビを入れた。

 瞬間──視界いっぱいの青ブルースクリーン

 ガラスの割れる音。

 目の前には本じゃなくて、黒い巫女服を着た少女がいた。

 少女は大きく伸びをする。

「ふあー。お主かの? わしのご主人さまは?」

 僕は逃げ出した。

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