2. 日常の終わり2

 前回までのあらすじ。

 僕は逃げ出した。


 どこ走ってるか分からなくなりながら、走った。

 日常の象徴であるボロアパートにかけこんで、勢いよくドアを閉める。ドアの寿命を考える余裕はなかった。

「はーはーはーはー。何も見ていない何も見ていない」

 まずい。まずいまずい。

 何がまずい? 僕は何もやってないぞ。展示品を壊してなんかいないぞ。

 大丈夫。僕は何もしていない。というか何が起きたんだ? ちゃんと戻ってあったことを報告しないといけないのでは?

「冷静になったかの?」

「hyaxtu」

「おいおい、驚愕しすぎて、アルファベットになってるぞ」

 アルファベット? なんだそれは。

「ちょっと待て、君はいったい誰だ。何だ。どうして僕の部屋にいる」

「心外じゃの。お主が、わしを、起こしたんじゃろうに」

 古めかしい話し方。巫女服。見た目の幼さとは裏腹に、異常なまでに落ち着いている。

 眼の前の少女が放つ非日常感に頭がおかしくなりそうだった。

「そうだ、きっと僕は疲れているんだ。これは夢だ。もしくは突如現れた電波的なやつに僕は加害されようとしているんだ」

 僕は近くに落ちていた、非常用リュックをとって急いで外に出る。

 部屋の中に少女が外に出ていないことを確認して鍵を閉めて駆け出す。

 がむしゃらに走る。

 僕の中で逃避先といえば、街の隅にある裏山だと相場が決まっている。

 そこで一日、頭を冷やそう。

「おいおい、そんなに急いでどうしたんじゃ。落ち着いて自己紹介もできんのかっ?」

 無駄な抵抗だった。

「はぁ、はー。分かった。もう分かった、おーけー。話を聞こう。逃げないよ」

「逃げるちゅうか。別にわしは追ってなどいないんじゃがな」


 僕は今、幼い時よく訪れた洞穴で三角座りをしている。

 こうしてると、昔に戻ったみたいだ。懐かしくはないけど。

「さて、ようやっと事態を受け入れたかの?」

「うん。まぁ」

「宜しい。では、改めて」

 コホンとわざとらしく、居直る。

 冷静になってみると、こいつちょっと地面から浮いてないか?

「お主は、わしのご主人か?」

「改めるってそこから!」

「いいから答えろよ。様式は大事じゃ。魔導の道がもともと宗教儀式だったようにな」

「いや、そうじゃないよ。お前は、多分、リッチー氏の遺した何かなんだろう。リッチー氏の手記が消えたと同時に現れたんだ。だから、お前のご主人はリッチー氏なんだろ。第一のウィザード、ゴト・リッチー」

「あー。第一のウィザード? そんな肩書になってんのかー。偉そうじゃなー。そうじゃそうじゃ。確かに、主人ではあるよ。主人っていうより、旦那さまって形容したいんじゃけども」

「は?」

「じゃから、わしは妻じゃ」

「はー?」

「おい。あまり失礼な態度を取るなよ」

 ビシッと、指を突きつけてくる。

「いやいやいや。リッチー氏は天涯孤独だって話だよ。教科書にも特に結婚とか子孫とか、そんな話は出て来ないし。家族の存在を示すような資料は出ていないんだよ。残念ながら」

「じゃーかーらー。わしが資料じゃ」

 ははは。意味がわからない。

「意味がわからないと思ったな?」

 何? 心が読めるのか? まずい。じゃあさっき、お前口調崩れてんじゃん、キャラ作ってんじゃんと思ったこともバレている!?

「はぁ。まあよい。じゃあ、お主はわしのことをなんだと思ってるんじゃ?」

「うーん。リッチー氏の遺物に取り付いた幽霊?」

「あー。まぁ、それもあながち間違いではないな。より正確には、あの手記の中身がわしじゃ。あの手記は、旦那さまが後世に、愛しい愛しい妻を遺すために、妻の情報をこれでもかと詰め込んだグリモワール。そのグリモワールによって再現された妻のイメージ、それすなわち、わしじゃ。だから、幽霊で間違いない」

「間違いない……」

「ああ。で、お主の名前は? わしを起動したお主はなんという?」

「僕は、僕はキャニー、だよ」

「ふむキャニーか。これからよろしくな。ご主人」

 そう言った少女は、これで契約成立だと言わんばかりの顔をしていた。

「ん? 待て。お前が何かは教えてもらったけれども、名前はまだ聞いてないぞ」

「名前、名前か。そうだな。ハックと読んでくれ。姓はない」

 姓はない。か。なんでかは聞かないよ。

「じゃあ、ハック。僕はお前のご主人? ってことは、ハックを起動した人が主人になるのか?」

「そうなんじゃないか?」

「適当だな」

「旦那さまに聞いてくれよ。もし生きていたらの話じゃがな」

 ああそうだ。もちろんハックのいう旦那さま、リッチー氏はとうに亡くなっている。千年生きる人間は、いない。ハックだって、生きた人間というわけじゃない。

 気づけば外は雨が降っていたようで、ポツリポツリと、微小の水滴が僕の肌を湿らせる。

「で、僕はこれからどうしたらいいんだ」

「どう、とは?」

「勝手にウィザードの遺物を持ち出しちゃって、怒られるじゃ済まないよ。死刑もあるかも」

 ああ。途端に気が重くなる。あの人はきっと僕を見逃さないだろう。

「いっても仕方ないじゃろう。少なくとも今の正当な持ち主はお主じゃ、キャニー」

「そんなの、ハックが勝手に言ってるだけじゃないか」

「しょうがないじゃろう。魔導書は持ち主に宿り、わしの姿もお主にしか見えないんじゃ」

「えっ」

「だから。お主が持ち主なんじゃよ」

「えっ。それって、魔導書をもとに戻すとかは……」

「できんし、できたとしてもわしが許さん」

 僕は改めて三角座りし直して、その状態で、頭を洞窟の壁に打ち付けた。

 気を失えばなかったことになんねぇかな。

「おいおい、そんなに行き急ぐなよ。死ぬな! まずいなら、逃げればいいじゃろう。どこまででも。な」

 ハックは微笑んで僕の頭を撫でるふりをした。

 視界がちらついて、ゴロゴロと雷が鳴る。

 僕は額を膝に押し付けて、雨が雷が近くに落ちないように願った。

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