☖1八王(あるいは、盤面次元に広がるは/思惑以上の何たるか)

 あやうく一発死を回避したあたしは、ひとまず右斜め前にステップするように跳んで、直射されてる「飛車」の利きから一間ズレながら、そこから後ろ、後ろへと下がる。けど。今のあたしの逡巡とか、真後ろにしか下がってない挙動とかで。


「……」


 「白駒」の大体の動き……利きはあちらに把握されちゃったよね……特にこちらをずっと凝視されてる「将」殿の脳内ではきっちり分析もされておおよその確定まではなっていることだろう。対局始まるまでは今までに身に着けた「定跡」とかがある程度通用するんじゃとか思ってたけど、上っ面を剝いで行くとどんどん見たこともない「一面」たちが顔を出してくる。


 さらに相手方の駒組み……とまではいかないけど、それぞれの駒たちの連携・統制がちらほらと取れてき始めている……例えば「歩」の後ろに「銀」がサポートするように構え始めたりと。「取ろうとする駒に他の駒の利きがあったら取っても次の一手で取り返されてしまう」っていうのは今更ながらの将棋の基本ではある。でもじゃあこの「数手指し可能」なルールの元ではどうか。相手を召し取った瞬間、その場を離脱する……ヒットアンドアウェイ。それ出来なくもないと思うけど、分は悪いと思う。こっちは召し取ってから引く一手、その発声と挙動をおそらくしなければならないけれど、相手の方は、特に待ち構えられていたのなら、例えば来た瞬間「☗同銀」と発しつつ槍か何かを突き入れる……その動作の方が遥かに速そうだ。そしてあたしは取られたらそこで対局終了の「王様」でもある。ハイリスク過ぎるよね……元々そんなに運動神経がいいわけでもないんだ。あたしが単騎で動くことはもう自重した方がいい。であれば。


 「持ち駒」の皆さんに頑張ってもらった方がいい。


 想定外の「角」の成りこみ+王手に面食らって、バタバタと自ら動いちゃったけど、さっきも思った通り「白駒」は前面に隙は無いものの、横と後ろ方面からは弱い。さらには縦移動は盤上どこまでも走れるからそこそこって言えるけど、反面、横移動は「斜め前行って/真後ろ下がる」っていう二手をやらなくちゃあいけない。そうだ、やっぱり単騎突入はどうあれやっちゃ駄目な悪手で、最善は後方自陣に待機して、攻めてくる敵方を迎撃していくってスタイルなんじゃあないかな……他の仲間のひとに指令を出しながら。


 ……「仲間」。


 そう考えた瞬間、そう呼べるひとって今までいなかったよな……ていうような、今それ考えること? 的な思考にぶわと呑み込まれるような感じで一瞬その場にぼんやり立ち尽くしちゃうけど。それもやっぱり悪手で。


「ぬはー、【☗6四ポカ】、けぇんざぁぁぁん~ッ!!」


 いきなり目の前に、初手で相手に差し出してしまったこちらの「歩」こと、小五男子の片割れが、いやに嬉しそうな顔つきで金色の光と共に「出現」すると、そのぼさぼさ頭の上で無駄にくるくる回している槍を「☗6三ポぉカぁ~」とか叫びながら、こちらに向けて突き出して来ていた。やばぁ……


「☖6二白駒、からの☖6三白駒」


 咄嗟に口に出せたのは、「ヒットアンドアウェイ」のことを考えていたからかも知れない。相手の踏み込みに合わせ一歩下がり、すかさず元いた場所にねじ込み進む。「カウンター」。ポカの中空に突き出していた槍を交わしての、瞬速のあたしの拳撃(のポーズ)。瞬間、出てきたばっかだったポカの身体はまたせわしなく金色の光球に戻ってあたしの突き出していた右拳の方へと吸い込まれていく。


 脳と身体が感じるがままに動いちゃったけど、この戦術は、実は有用なんじゃないだろうか。これなら待ち構えておいて即応で反応できる「受け」側が有利と思われるし。いや、うぅん……そうでもないか、ポカこのコみたいに隙だらけ、溜めまくりな感じでやって来られないとそんなには余裕は無いのかも……うぅん……


 周りを牽制しながら、そして「目の前」を注視しながら、あたしはひとマスずつ細かく、左右斜め前と真後ろに動いてそこに留まらないようにステップを踏み始める。それにしても「持ち駒を打たれる」っていうのは心臓に悪い。いきなり出現するもんだから。でも今の取り込みであたしの手駒は角と歩が四枚(ポカ・スゥ含む)。さらに上手こちら側には「二歩三歩OK」のアドバンテージがある。明確なところはまだ見えてはいないけど、何か仕掛けられるはずだ。周囲を見渡す。向こうの前線がかなりこちら向けてせり出して来ている。「歩」を盾に、その後ろに銀や桂香。こちらを包囲してこようって感じかな。あまり時間の余裕も無さそう。うん……先ほど「ポカ」を放ってきたのも、あたしがもし避けていたのなら、そのまま成り込んでくるつもりだったんだ……


 「と金」を作られたのなら。さらには量産でもされたのなら。


 間違いなくそのまま周りを固められて押しつぶされて負けになっちゃう。はやく、動かないと今。でも何か絶え間なく動いたせいか、脳と身体を同時にこんなにも使った経験なんて無かったから、だんだん息が上がってきてるのが自覚できるよ、将棋で大脳以外をこんなにも使うなんて考えてもみなかった……まずい、正確な判断力も落ちてるかも。はやく、はやく何とかしないと……


 ああ。視界が霞む。脳内で展開している「最善を目指す局面」も、それに伴って動きを止めてしまいそうだ。こんなことまでイレギュラーとは。全身発汗する将棋って何よぅ……向かって左方面から、鎧武者的な恰好をした「銀」が涼しい顔してするすると斜め歩行をカマしてくるよ、見た目はアレだけど最短手数でこちらを詰めようとしてきているよまずぅぅい……


 思考・体力、共に追い込まれたあたしが、警戒をほんの一瞬だけ切ってしまっていた右方面へ視線を振った時には。


「☗7四歩、☗7五銀」


 向こうの「歩」と「銀」が、じりじりと一歩ずつ、だけど確実に進軍していた図があって。いけないっ、7四の歩はもう払えない。そしてもう一歩踏み出されたのなら。


「……☗7三歩成」


 右真横に並ばれた。黒い光に包まれたその「歩」の姿は、いち足軽から足軽大将へと(多分)変化したように思えたけどそれはどうでもいいことで。横にはっつかれたら逃げる以外為す術のないあたしは、「と金」の利きから逃れる「二歩後ろ」へ後退しようとするものの、嫌な予感がして左を見れば既に自陣最奥まで侵入し、おどろおどろしい正にの「龍」をモチーフにした鬼神のような姿の大男がにやりとこちらを見て笑っている姿も確認して。下がれない。下がったら瞬間、あの鬼の一撃で屠られる。


「……ッ!!」


 じゃあ前方っ、と思って逃げ道を探して目を走らせるけど、蠢く相手方の陣形が複雑すぎて、そこに突っ込んでいくっていう勇気ももはや枯れ果てていて。


 詰んだ……うん、もう負けでいいんじゃないかな。命まで取られることは無いだろうし……そんな思考が頭の四隅からぐずぐずとゆっくりな速度で、でもどうしようもならない確実性をもって、あたしの脳を埋め尽くそうとしてくる。


 「聖棋士」とかっていきなり祭り上げられたけど、それはあの猫神さまがそのように仕向けただけのこと。あたしの望んだことじゃないし、それに望まれたことでも実はないんじゃあないかな。無作為に適当に気まぐれにただ選ばれただけ。そうだよ、今までの将棋だって、たまたまちょっと出来たからって選ばれて、ただそれだけのことだったのに、それでもう誰からも望まれなくなってたのにそれでも必死に、必死にっていうのは恰好悪いから必死に見えないように必死に繕いながら、必死にしがみ付いてて馬鹿みたい。同んなじだよ。この初っ端の模擬戦でもいいとこ無しで負けたのなら。きっと「将」殿も他のみんなも呆れて失望して、そこでもう終わりでしょ。後は今までと同じ。ただずっとぐじぐじ生きていけばいいだけのこと。なぁんだ、変わらないや。どうせ。どうせあたしは……


 諦めてしまって。全部の思考から手を放して。その場で投了の意思でも示そうかと、せめて清々しく「負けました」とでも言ってやろうかと背筋を伸ばして、ようやく呼吸が落ち着いてきていた口を開こうとした。その、


 刹那、だった……


「☖7二スゥ、からの☖7三スゥ


 右斜め後ろに気配。金色の光と共にそこに召喚されていた少女は落ち着き過ぎた無表情な横顔をあたしに向けることも無く、そんな凛とした発声と共にただただその手にした杖を逆手に持って目の前に突き込んでいた。敵の「と金」が、抜き放った刀を今まさに真横のあたしに向けて振り上げていた、正にのその横っ腹へと。金色の光へと溶けていく「と金」。


 え。


 なんで。震える声が漏れ出ちゃうけど。


「……なんで。何であたしの指示無しで動けたの」

「申し訳ございませぬ。ハカナさまの危機的状況ゆえ。命令に従わず勝手な行動を取った件につきましては、のちほど罰を受けましょう」


 黒いフードはその鋭い動作にて脱げて、黒髪のおかっぱとしか表現しようのないおかっぱ頭がその幼い小顔の上に乗っかっているけど。


「何で、何であたしなんか助けるのっ。ほっとけば、ほっとけばいいのにっ」

「ハカナさまの、忠実なるしもべ。それだけでは理屈にならないのでしたら、理屈じゃなく、貴女の御力となりたい、それだけのことでございますれば」


 これ以上、言葉を交わすことは出来そうも無かった。本格的に号泣しちゃいそうだったから。だから、


「うわああぁぁぁあああああぁッ!!」


 ここ一番では、大声を出すに限る。そして、


「☖6二歩☖5五角☖5六ポカ☖5七歩☖5八歩、あとは各自、局面に対応して動けッ!! あたしの前の、障害を全部取り除いてッ!!」


 命令、というかお願い。盤面の上ではいつだって一人だったあたしだったけれど。いま感じているのは、独りじゃないってことで。


 それはすごく新鮮な感覚で。


 5筋を中心に一斉に召喚されたあたしの持ち駒たち……いや「仲間たち」の、応ッ!! という鬨の声を鼓膜だけじゃなく全身の肌で感じながら、あたしも当然目指す。真っ直ぐに、迷いなく。


「……ッ!!」


 敵方の玉、その元へと。

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