☖1六角(あるいは、ぐらつくのは/いつだって常態常識なる/エトセトラ)

 はっ、と自分がやけに好戦的な性格になりかけていることを自覚して。いけない鎮めなきゃめなきゃっていうのと/滾ってきたきたきたはぁというような相反する冷たい油と熱いお湯、みたいな相容れない感情の奔流が自分の中でどっぷり撹拌されるかのようだけど、それらは決して混ざり合わない。っつうの。いやいや、揺らされている場合でもない。


 自分の立ち位置は理解した。比喩じゃあなく、「手駒」のひとつなんだろう。それはいい。そしてその割り振られた自分の「駒」が結構使えるやつだったってのが分かった。それもなお良し。けど、


「……指し手に沿おうってルールはないと、そういうこと?」

「『指し手』はもちろん大事ですにゃ……けども、あっ」


 暗い回廊を巡って、ようやく中庭へ続く扉へ至る。両開きの重そうなそれらは既に奥側向けて開け放たれていて、吹き込んで来る黄色い砂埃から推し量って、中庭自体も土むき出しなんだろうと思ってくぐり抜けたら、撞き固められた土面だったものの、広さ千駄ヶ谷の東京体育館のメインアリーナほどありそうなその巨大な敷地のその中央付近には、白と赤の長方形の石造りの「タイル」のようなものたちが整然と敷き詰められていて。思わずあたしは足元で無駄に注意深く立ち回っている黒猫に周囲一間にしか響かない声色にて尋ねるのだけれど。


「……お察しの通り、『盤面』ですにゃ」

「お察しのその先が知りたいのだけれど?」


 数える。赤白の長方形たちを。十二かける十二。よく見知った九かける九からするとやや大きい。けど、そこは想定内。問題は、さっき「まっぷたつ」とか言ってたけど、そこら辺りのわけわかんない「法則ルール」を把握しておかなければならない。今は「模擬戦」のような作られた場でやろうとしているわけだけれど、それがそのまま「実戦」へと繋がるってことは、創った当の本人がのたまっている、「この世界のあらゆる戦場は」、と。


 おそらくはこういった物理法則とかを超えた何かが罷り通るってのが「異世界」ってことなんだろう。そこは分かったし、呑み込むほかは無いってことも受け止める。ルールがあっての「対局」だろうから。うん、だいぶあたし我ながら肝が冷え固まりつつ据わってきてる気がする……


「……貴殿の力を測らせてもらう。そちらの『王』となり、『局面』を支配する『役割ロゥル』をこの場において与える」


 「将」殿は一段高まったところに設えられた、また別の玉座のようなところに腰をつけ、そう言い放ってくる。ぐるりを回るスタジアムの客席みたいなところには、ここの兵隊さんたちが鈴なりになっててめいめい乗り出し気味にこちらを注視はしているけど妙に静かだ。静かに見守られている。時折巻く風の音がやけに鮮明に響くけど。それよりも、


 「王」、ってことは「王将」以外にありえないだろう。そして「局面を支配する」、っていうのはつまり「手を指す対局者」でもあるってことだ。自らも「盤面」にいながら、指し手も指示するって、そんな感じかな。分かった。それは多分出来る。


「……対局は『歩三兵ふさんびょう』にて。貴殿が『上手うわて』だ」


 「将」殿の何とも何かを含んだような声が、この静寂のコロシアムに重く響いていく。なるほど、「歩三兵」。そういった用語はそのまま生きているんだ。ちら、と足元にずっといる黒猫を見やる。にゃふ? と可愛らしく小首を傾げられたけど、このヒトも食えないからなぁ……


 何か、こちらの先入観を突かれて窮地、って展開は避けたい。であればとりあえず今は自分。自分の感覚を頼るしかない。それが、いまこの現実に相対している「自分」であろうと、それを上空から俯瞰している「自分」であろうと。吸い込む。吐き出す。呼吸を深める。ひと呼吸ごとに冴えわたっていくかのような感覚に、ちょっと逆に不安に思うところはあるのだけれど。今は脳に酸素を行き渡らせる時だ。と、


【説明しようッ!! 『歩三兵』とはッ!! 対局者両者の技量がかけ離れている時に行われるいわばハンデ戦ッ!! 『上手』と呼ばれる強者側の駒は『王将』がたったのひとぉぉりッ!! そして持ち駒は『歩兵』が三つと!! そんな圧倒的戦力差から、どう手を紡いでいくかぁッ!! こいつは盛り上がる戦いだぜぃッ!!】


 いきなりそんな、天空から降り注いでくるかのような金切り声。いやいや。足元の黒猫が裏声で出しているかのようなそんな声だった。いやいや、何のためによ。


 にゃふふふ……こういった説明を挟むことも出来るにゃってことを示しておきたくてですにゃ……とか何故か意味不明のドヤ顔でふんぞる猫顔を流し見てから、構わずにあたしは「局面」に集中していく。先ほどまで十二ずつあった「タイル」は、外側の三周りほどが真っ黒にいつの間にか変色していて、その内部に見知った九×九の赤白盤面が浮き上がっている。そして相手方の陣を見やると、一糸乱れぬ歩様で二十人がとこの「駒」のヒトたちが、なに流かは分からないけど独特の順番にて次々と「枡目」に配置されていってる。向こうは王様に、飛車角金銀桂香歩。おなじみのフル布陣だ。「中将棋」が出されて来ると思ってたあたしは少し拍子抜けだけれど、もしかしたら、こちらの方……ジェスは「公国」と称してたけど、「公国側」は普通の「本将棋」をモチーフにしているのかも知れない。であればまずはスタンダードでオーソドックス。「歩三兵」だろうと、そこまでの逸脱は無いから対応は出来る……はず。


 ハカナ殿……と心底不安そげな沈痛まである表情にて、あたしの左後方から輝く銀髪をたなびかせつつそのジェスが蒼い瞳を向けてくる。その傍らには憮然とした表情の黒衣のゼルメダ。おそらく、彼らは「歩」じゃあないんだろう。まあ、何となく強そうだし位も高そうだよね……ゆえに、だから本局は助太刀出来ないと。そういうことでしょ。でも、こちら側についていてくれているということだけで、あたしはとても心強いんだから。


「こちらの『歩』については……どうしたらいいのでしょうか?」


 この問いかけ。「歩三兵」は先ほど猫神がイキれ叫んでいた説明中にもあったけれど、上手は王単騎だけど、持ち駒に最初から「歩兵」が三つ与えられた状態から開局する。その「駒」っていうのをどうするのかどこから調達するのかって聞きたかったのだけれど、あまりに状況を把握していない態度を取ったらそこに付け込まれないかってのが心配で、一応、回りくどく曖昧に聞いてみる。ここまでの衆人環視の中だ。下手を打つと後に響きそう、とかうぅんやっぱりあたしの思考はどんどん繊細精密になっているような気がする。これは本当にあたしなんだろうか。


「そちらの三人を使っていただこう。貴殿に従順なるしもべたちよ」


 「将」殿の表情は変わらず、思惑通りといった感じですんなりとあたしの右後方辺りを促される。良かった。この質問はハズしてなかった。ほっとしてその「三人」の方を振り返ってみる。が、その、


 刹那、だった……


「うぉっす!! オイラ、ポカってんだッ!!」

「ふぉえぇッス!! お、オイラもホンタってんだぇぁッ!!」

「私はスゥ。以下同文」


 小学生くらいの子供たちだったのは、まあ戦場にこんな歳からっていうのも「この世界流儀」なんだろうから呑み込めはした。けど、三者三様(二様かも知れないけど、それも二極化された二様)の「出」と名乗り、そしてその三位一体の名称とか、その他諸々、いろいろツッコんであげなきゃいけないんだろうけど、元よりそんな空気とか雰囲気とか読めるタイプでは無いあたしは、名前とか、諸々だいじょうぶかな……的な、極めて傍観者に近いスタイルにて流そうとそして流されようとしてしまう。うぅんと……


 活発そうなと言うか「活発」という概念を具現化したような小五くらいの男子が二名、足軽とかが身に着けていそうな胴体だけ覆うタンクトップ型の鎧すがたで、手には各々自分の身長より長い槍を握っている。今にも何かが始まりそうな期待に胸をときめかせてるんだろうこちらを食い気味に見つめてくる眼差しがふたつ。わぁぁあたしこういうコら苦手ぇぇ……


「ハカナさま。はやく我々を『エントラ』なさいませ。我ら幼きと言えど一人前を認められし公国の『棋兵』。存分に戦働きをしましょうぞ」


 それでもってこっちの小五少女はしっかりしてるねぇ……背丈は少年らと同じくらい。恰好は他ふたりと文化も時代も違うんじゃないのと思わせられる黒いフード付きのマントを羽織って短い杖みたいのを持ってる。凛とした佇まい。でもぐいぐい来る。こういうタイプもあまり相容れなかったりするんだけど……


「……」


 面食らってる場合じゃない。泡食ってるとこも「将」殿はじめ、ジェスやゼルメダ、あとここのヒトらにも全部見られてるわけだし。大きく息を吸い込む。考えろ。


「……『エントラ』の手法を念のため教えてスゥ。ここの流儀に反して『暴走』とかになったらコトだから」


 自分でもよく分かってない状況ながらも、細切れの情報を縒り合わせてそれらしく振舞うことに脳演算を全フリしていく。ぼ、暴走……それは確かに、とか慄いてくれつつ、いちばん話の通じそうな少女スゥは、でもここでも大まかは変わりません。右手の「棋霊スカリトォ」の「紋章ステンマ」を対象に向けて「入駒エントラ」、と。念じつつ発声なさってくださいませ、とこちらの予想以上の打てば響く対応をしてくれた。諸々の初出含めた単語もあたしの脳の記憶野に刻み入れた。よぉぉし……


 右手。掌には何もないことをさらりと確認しながら流れるような動作にて手の甲を見ていく。あった。黒い五角形。の結構大きな入れ墨みたいなのが元からそこにありましたよ風情で彫られていた。その中に白く墨痕鮮やかに記されてたのは「白駒」のふた文字。うぅぅんダサぁ……


「……『入駒エントラ』」


 とか思ってる場合でも無いので、あたしは殊更何でもない風を装いつつ、右拳を突き出しそう言い放つ。瞬間、目の前にいた少年少女御三方は金色の、光の球へと変化すると、勢いよくあたしの右手目掛けて飛び込んで来た。


「……ッ!!」


 びびったリアクトを押し殺し、光が収まった右手に目を走らせる。手の甲に刻まれた「白駒」の五角形の下、にちんまりと三つの小さな黒い五角形が並んでいた。三つ全部に「歩」のひと文字。うんよし、「歩三兵」。


「……準備はよろしいかな。であれば上手の貴殿からだ。見せてもらおう、その『棋力』を」


 呼吸を整えながら、「王」の初期位置……上手が上辺だった気がするから「5一」の枡目へとゆっくりと付く。「将」殿は何か作ってる感ある物言いだけれど、それに引かれるようにして、周囲のひとたちの静かな興奮とでも言えばいいのだろうか、無言の圧があたしの肌をひりつかせていくようで。


 まあ、やるまでだ。猫神が言ってた「自分の利き以外の枡目への移動は御法度」ということだけは忘れないようにしながら。


「8六歩」


 きっちり前を見据えながら。あたしは第一打を振りかぶるようにして、腹の底から指し手を宣言していく。

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