第1話もう、なんともない

「そいや、俺のクラスの悠斗ってやつ居るじゃん?あの生徒会長の」


雅人(まさと)の口から出てきた悠斗(ゆうと)と言う名前に、私は思わず身体がビクッとなってしまう。

そして、胸がザワザワとうるさく音を立て始め、呼吸が少し乱れだす。


「が、どうしたの?」


少し震え気味な声で、私は尋ねる。


「なんか同じクラスの女とさ、付き合ったらしいよ」


「えっ、なっ、、、」


その瞬間、思わずそんな声が口から洩れた。

そして一瞬、呼吸が止まる。


そんな、嘘でしょ、、、、。


突然、目の前が真っ暗になって、足元の地面がグラグラと揺らぎだした。

心臓がぎゅっと強く掴まれて、胸の壁をドクンドクンと打ちつけ始める。

そして指先の温度が、サーッと失われていった。


「そ、そうなんだ」


何も気にしていないように装うとしたけれど、声の震えを抑えることは出来なかった。


「んでさ、さっき下駄箱で靴履き替えてる時にさ、二人が早速手繋いで校門から出てったの見た」


何気ない調子で話す雅人。

その言葉は、冷たく尖った氷と化して、胸にグサグサと突き刺さった。

想像してしまった。

雅人の言葉通りの、手を繋いで歩く二人の後ろ姿を。

ジワジワと胸に毒が回っていく。

しばらくして吐き気がして、一瞬口を前に突き出して、本当に吐きそうになった。


「へっ、へぇー、仲良いんだね」


声が震えに震えた。

そして、必死に笑顔を作ろうと口角を上げる頬も、ブルブルと小刻みに震えた。

もうこれ以上、この感情を包み隠すことはできそうにない。

そう思って、分かれ道はまだまだ先だけれど、雅人には「そういえば、急用思い出しから早く帰るねっ!」そう適当に言って、私は雅人の先を走って帰った。



渡辺悠斗。

高校一年生から、三年生になった今もずっと変わらない、私の好きな人だ。

生徒会長で、運動も勉強もできて、周りの誰よりも優しい悠斗くん。

悠斗くんのする、あの暖かくて優しい笑顔は、常に私の胸をドキドキさせる。

自分に向けられたものでは、なかったけれど。

そして、そんな悠斗くんは常に私の頭の中にいた。

授業中や、家に帰って部屋で一人の時は、悠斗くんの姿を思い描いて、もしも付き合ったら何をするのかな、なんて妄想して、勝手にドキドキしたり。

誰にも見られていない時は、そんな周りには決して言えないような事をしていた


それくらい、好きだった。

愛していた。


なのに、、、、。


「あ、おかえり、遅かったわね」


家のドアを開けて中に入ると、奥のリビング部屋から母が出てきた。


「え、そうかな?」


私は無理やり口角を上げて、笑顔を作る。


「そうよ、いつもより一時間も遅いわ」


それはそうだろう。

湧き上がる気持ちに耐えきれなくて、近くの公園のトイレに駆け込んで、一人で泣いていたのだから。


「まあ、いいわ」


母は少し怪訝そうな表情でそう言って、リビング部屋に戻って行った。

私は階段を登って、自室に入る。

するとまた、治まったはずの感情が奥底から湧き上がってきて、目に涙が溜まり出す。


ううん、もう大丈夫。

恋が叶わなかったからって、絶望に打ちひしがれたりなんかしない。

そうなってしまうほど、私は弱くない。


唇を噛んで、お腹に力を入れて、胸に広がる感情をグッと奥底に押し戻す。


ほらね、もう大丈夫。


私は溜まった涙を腕で拭き取る。

そして口元を少し緩ませて、真っ直ぐに正面を見た。


すごい、もうなんともないや、、、。

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