あさきゆめみし

はるより

伝統

「断る」

「ええ〜!?嘘だろ!?」

「嘘をつく必要がどこにあるんだ。兎も角、俺にはそんな時間は無いんだ。」


 紡は、目の前で信じられないといったふうに目を見開く柴田瓢助しばた ひょうすけを無視して、机の上に広げていた筆記用具を片付けた。

 いつもはどちらかといえばのんびりとした言動をする瓢助が、必死になって紡の肩に掴みかかる。


「頼むってば!ほら、この間休んだ日の全講義分のノート見せてやったろ!?その借りはまだ返してもらってないよな!?」

「ぐっ……そ、それはまた別の機会で返すから!」


 痛いところをつかれた紡は、目を逸らしながら瓢助の手を振り解いた。

 休憩時間と言えど、人の目の多い教室でこの二人が何を騒いでいるかというと、瓢助が皇宮警察学校から程近い歓楽街へと紡を誘った事が発端であった。


 柴田は昨日の放課後に突然、見知らぬ上級生から声を掛けられたのだという。

 最初は難癖でもつけられるのかとビクビクしていたらしいが、話を聞いてみると瓢助を遊びに誘うために話しかけたとの事だった。

 どうやら皇宮警察学校には、男子生徒の中である種の『伝統』が受け継がれているらしい。

 その内容はというと碌でも無いのだが、上級生が新入生から一人見繕い、花街に連れて行ってやるというものだった。

 誘われた方の新入生は、その日の遊びの代金は上級生に奢ってもらえるのだが、その恩返しとして次年度に自身も下級生を同じように連れて行く使命を負うのだという。

 上級生と下級生の繋がりを生むための伝統という名目らしいが、瓢助には歓楽街に立ち並ぶ店々の巧妙な商法に見えて仕方なかった。


 ……とはいえ、瓢助は齢十六の健康的な男子である。

 これまで女の子と縁のない人生を歩んで来たという事もあり、『花街』という異世界に対する興味はひとしおであった。


「そんなに行きたいなら、勝手に行ってきたらいいだろ!」

「行きたい!けど、初対面同然の先輩と二人で行くのは怖いから嫌だ!頼むから一緒に来てくれよぉ〜!!」

「他を当たってくれ……!」


 引き下がろうとしない瓢助に辟易しながら、紡は纏わりついてくる彼を両手で引き離す。

 ベリベリと音のしそうな様相で剥がされた瓢助は、何とも称し難く情けない表情を浮かべていた。


「そもそも俺はこの後、別の訓練があるんだ。だから遊びに行く時間なんて……」

「そんなの、教官に聞いてみなきゃ分からないじゃん?」


 紡は駄々をこねる瓢助も、目の前で教官に断られてしまえば諦めるかと思い、彼を鍛錬場へと連れていく。

 事のあらましを逆波に伝えると、彼女は「ああ。」とあまり興味なさげに頷いた。


「いいぞ。行ってこい」

「ほら、逆波さんも……は?」

「将来、『訓練ばかりさせられて遊ばせてもらえなかった』、などと思春期の子供のように逆恨みされてはたまったものじゃないからな。」


 どうせ却下されるものだと思っていた紡は、逆波の予想外の反応に面食らってしまう。

 そしてその隣では瓢助が嬉しそうに目を輝かせていた。


「朝夕さん、女遊びしに行くんだ。」

「語弊を招くような言い方はやめろ、俺は端から嫌だと言っているんだ!」

「何も語弊は無いような……?」


 頭を抱える紡と、逆波の隣で首を傾げる鶴瓶。

 鶴瓶の顔を見た柴田が、あれ、と小さく呟いた。


「あんた確か一年だよな?」

「そうだよ。『は組』の鶴瓶。」

「へー、鶴瓶も特別訓練組なんだ!オレは『ろ組』の柴田、よろしく〜」

「うん、よろしくね。」


 ほのぼのと自己紹介を交わす二人に、紡はふと思いつく。


「そうだ。鶴瓶、俺の代わりに柴田と行って来ないか?」

「え……嫌だ。僕、家系のしきたりで私欲に溺れてはいけない決まりなので……。」

「ええ……。」


 恐らく冗談なのだろうが、表情変化の乏しい鶴瓶の言葉は、聞く者にそれを追求させない圧力を加えるものであった。


「というか、朝夕は何をそんなに嫌がってるんだ。男共は皆好きだろう、ああいう色ボケワールドが。」

「勝手に決めつけないでください。」

「……まさか、朝夕。」


 ごくりと逆波が生唾を飲み、彼女にしては珍しく緊張感を伴う声で言った。


「貴様……男色家ホモ、なのか。」

「そんな訳あるかーーーッ!!」


 思わず紡は大声で否定してしまう。

 その様子が余計に信憑性を与えてしまったのか、柴田と鶴瓶が哀れみの表情で自らの同級生のことを見た。


「朝夕……ごめん。オレ、そんな事だとは思ってなくて……。今までベタベタ触って無神経だったよな……。」

「いや、でも……確かに朝夕さんってやけに侍っぽいところあるから、そういう教育を受けていてもおかしくないよね……。」

「やめろ、違うと言っているだろうが!」


 いくら否定しても、自分と少し距離を空けながら話しかけてくる二人と、痛々しげに自分を見つめる逆波の様子に、紡は遂にヤケクソになってしまう。


「分かったよ!行けばいいんだろ、行けば!」

「よっしゃあ!」


 瓢助の勝利を喜ぶ声。

 その後初対面のはずの三人は、暗黙の連携がうまく行ったことを互いに称え合っていた。

 そんなこんなで、哀れ朝夕紡はこの日、二時間後に帝都の東に位置する歓楽街に、初めて足を踏み入れる事となってしまったのである。

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