37.手元に残ったもの

「ここの払いは、私が持とう」


 エルズがそう言って、会計を済ました。


「いいのか? エルズ。結局、アンタに貰った金貨十枚。全く使ってないぜ俺ら」

「それは、君たちが何かを始めるときに使えばいい」

「何かを……始める?」

「君だって、一生貧乏で終わりたくはないだろう。我が家に仕えるというのならば、もちろん雇うが。そう言った貌ではないよ、君の貌は」

「始めるって……。生計の道を立てる手段ってことか……。そうだな……」

「そういうことを考えれば。それくらいの額は微々たるものだと思うけどね」

「確かに……」

「大切に使うんだ。庶民がそうそう得られる額ではない」

「わかった。ありがとうエルズ」

「なに。弟の教育費と考えれば安いものさ」

「ぷっ……。たしかに、お灸は据えてやったぜ」

「まったくあの暴れ者。私が目を離すと何をしでかすかわからぬ。困ったものだ」

「でもよ、エルズ」

「ん? なんだい、アルバド」

「アルズの奴。燻ってるぜ。戦いたいんじゃないのかな、何かと」

「……まあ、そうかもしれぬ。平時には出番のないタイプの弟だ」

「炎魔将って、アンタの従兄弟なんだろ? そいつの所に送ってやったらどうだい? 魔将っていうからには、軍の将軍なんだろう?」

「……ふむ。いいことを聞かせてくれた。考えてみよう」


 エルズは、そういうと。

 馬車で南街区まで俺とネレイドを送った後、北街区に帰っていった。


   * * *


「ねえ、アルバド?」

「ん? なんだい、ネレイド」

「世の中って、凄いのね。あたし、あんなにきれいにしてもらって、あんなにきれいなお店に入って。あんなに美味しいもの食べたの、初めて」

「確かに凄かったな。でも、俺たちは現実に立ち返らなきゃならない」

「夢みたいっていうか。夢だったと思ったほうがいいのよね」

「その方が無難だろうな」

「さて、あしたから。また働かないとね」

「そうだな。手元に残った、金貨十枚。これには手を付けないようにしよう」

「うん」


 借り部屋の布団の中で。枕を並べてネレイドと俺はそんな話をした。


   * * *


「今日は、蕎麦食べようぜ。ニラ卵炒めじゃなくて」

「うーん。あのお蕎麦屋さんに行って以来、お蕎麦好きになったよね、アルバド」

「南街区では、北街区みたいに高い金払わないでも蕎麦食えるからな」


 仕事の昼休み。南街区の飲食店で待ち合わせていた俺とネレイドは、食事のバリエーションに幅を持たせようと。今日は何を食べようかと頭を捻っていた。


「うーんうーん……。かき揚げ丼とかどう? お蕎麦じゃないけど」

「それ、いいな。小エビとゴボウと人参と玉葱と。細く切って小麦粉絡めて揚げたアレをご飯の上にのっけてタレ垂らすとうまい」

「結構安いし」

「んだなー。そうするか!」

「うん!!」


 俺たちは、今日はいつもの露店じゃなくて。入り口で銅銭一枚払うと、丼飯に好きなおかずを一品乗せてくれる丼飯屋に向かった。


「美味しいものを食べると。頭が良くなるって本当なのかもね」

「べつに、高くなくても旨いものは結構あることが。わかってきたよな、最近」


 もぐもぐもぐ、と。箸を使ってかき揚げに噛みついて、噛みちぎり。タレの絡んだ米の飯を掻っ込む。うん、旨い!!

 ただ、北街区でたべたあの高級食事処で刺激された味覚の部位は刺激されない。貴種と一般民って。食べ物までが違うってことを、俺たちは知った。


   * * *


「兄ちゃん、最近食生活良いだろ?」


 風呂屋の主人が聞いてきた。


「かけている金は、あんまり変わらないんですけどね。いろいろなものを食べるようにしてます」

「その方がいいぞ。決め食いは、何かに集中するときは良いかもしれんんが、体が弱くなる」

「そういうもんですか?」

「なにいってんだよ? じっさい、最近の自分の肌ツヤ。確かめてみろって。脱衣所に鏡あるからよ」

「あとで見てみます」

「うむ。おれも、嫁にはいろんなものを食わせてるぜ。ひところはつわりが酷くて、なんも食ってくれなくてなぁ。往生したもんぜ」

「それ、心配ですね」

「わはは。今は、つわりは治まってな。俺の分の飯まで食ってるぜ」

「それも心配ですね」

「俺の身が持たねえ……。だから、最近は子供の分まで含めて、三人前を二人で一食で食ってるぜ。わはは」


 風呂屋の主人は、幸せいっぱいだ。そのためには、労働も惜しまない。

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