23.賢者
「じっちゃー。お土産持ってきたよー」
鬱蒼と木々の茂る山の八合目。石造りの祠が立っている。
その狭い入り口をくぐって、中に入りざまにネレイドが言う。
「お邪魔します……」
俺も、ネレイドの後について中に入る。中は、意外と広いみたいだ。奥の壁に一本の蝋燭が灯っていて。祠の中を照らしている。
「……」
蝋燭の灯の下に、人影がある。落ち着いて座っている。これが、賢者か。なるほど、佇まいがそんな感じだ。
と。
ぐきゅるるるるる……。と。
何かの音がした。
「あ! じっちゃのバカ!! また仙道をやってたのね! ご飯食べないと死ぬっつの!!」
「バカとは何事じゃ――――っ!!」
うおっ!! うるせえ、何だこの馬鹿でっかい声!!
「バカはじっちゃだ!! 仙道は瞑想にはいいけど、限度越えると肉体が朽ちて死ぬって!! みんな言ってるよ!!」
「わしは、人の世に飽き飽きしているのじゃ!! それが人間の世であれ、魔人の世であれな!!」
「あっそ。死にたいの? じゃあ、お土産あげない。干しイカと干しガメ肉。あたしが食べるのべー!!」
「それはよこせ!!」
「じゃあ、もう仙道やらないでよ?」
「場合によってはな」
「本当に……。食い意地張っているくせに、なんで仙人なんて目指してるのよ?」
「諸欲が、邪魔だからだ。だが、この諸欲というもの。無くなれば無くなったで寂しいのが人の性。だから、旨いものは食べる」
「……なんか言ってることが矛盾してるよね、じっちゃは」
「盾と矛を両方備えたものは強いのだ」
「無茶苦茶言ってるよ……。はうぅ……」
ネレイドが頭痛くなったかのように両手で頭を抱える。
* * *
干しイカの炙られるいい匂いが祠の中に籠ってきたころ。
祠の賢者は、イカが焼けるの待ちながら、俺の質問を聞く姿勢を取った。
「なんじゃね、隣の大陸からの流亡者よ。何が聞きたいのかね?」
「……まずは。人間である俺がなぜ、ネレイドの言うように魔素を発しているのか。思いつくことがあれば聞かせてください」
「……そうじゃな。確かに、汝からは魔素の圧を感じる。本来、隣の大陸の人間には、魔素は発せぬ。例外があるとすれば。魔人の血が入っているか、あるいは」
「あるいは?」
「魔神の肉を食ったかじゃ。思い当たることがあるかな?」
「魔神の肉?」
「魔神は、戦闘態勢を取っているときは幾何学的な形をとるが。普段は肉体を持った存在じゃよ。その普段の状態の時に害されれば、無敵の魔神と言えども死ぬ。その死体を食らったことはないかと聞いている」
「そんな覚えはないですが……」
「ならばよいが。たぶん、汝の魔素は魔人の血が祖先に入っていたが故の物だろう。魔神の肉を食ったとなると、いささか厄介だがな」
肉? 昔、変わった肉を食ったようなそうで無いような。あやふやであいまいな記憶があるようなないような。
「もし、魔神の肉を食っていたとしたら?」
「人間が魔神の肉を食らった例は、無くはない。だが、大概がその身を滅ぼす結果を呼ぶ。魔人は魔神が撒いた魔の因子によって変質した動物を食らうことで、魔素を得る。だが、魔神は。自らの心身を痛めることによって魔素や魔の因子を産む。人間の体で、魔素を産むことに耐えることが果たしてできるかどうか……。甚だ疑問じゃよ。魔神の肉を食った者は、必ず魔神になるからのう」
なんだか。昔エルテルスさんから聞いたことが頭をかすめる。
「魔神は、神のなりそこないではなかったのですか? 俺はそう聞いていました。帝国大陸での話ですが」
「なりそこないと言えば、そうかもしれん。実存する神、というものがそもそもなりそこないである証左かもしれんからな」
「?」
「つまりは。真なる神であれば、すべてが手の内で、姿を持つ必要すらない。そういうことじゃ」
「それは、存在すると言えるのですか?」
「さあな。ただ」
「ただ?」
「真なる神の望みはまだわからぬが。姿を持ちたいと望むことも。あるいはあるやもしれんな」
「姿を持ちたいとは?」
「肉を持ち、モノを食べ、呼吸をし、水を飲む。音楽を嗜み、絵画に感動し、舞踊に昂る。そのような人や魔人たちが享受している喜び。そう言ったモノを感じたいと。真なる神も望むかもしれん。そういうことだよ」
「……あなたの言うことも、難しいですが。真なる神が、そういう俗欲をもつことも、ありえると?」
「そういうことじゃ。さて、イカが焼けたぞ。食べるとしよう」
……なんだろう。賢者さんの言うことは半分もわからなかったけど。
真なる神も、友達や恋人や家族が欲しい。
そう望むこともあるということが、あるってことを言っているのかな。
俺はそんな理解をした。
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