第24話 (爽君がいない)図書室でのお勉強会
――そんな生半可な能力で、誰かを助けられると本当に思っているの?
■■■
カリカリカリ。
シャープペンシルをノートに走らせる音と。
ズキズキズキズキ。
軽い頭痛が、同時に私を苛ました。
課題の山、山、山。
私は、図書室で現実に追い立てられていた。私の横には、クラスメートの金木涼太君。反対側には、ゆかりちゃんに挟まれる。そして真正面には、野原彩子ちゃん――彼女は、ファッション系の雑誌を眺めている。
そして、爽君は不在。なかなか不思議な組み合わせだって思う。
――涼太は頭が良いからね。ひなたの遅れを取り戻せると思うから、安心して?
爽君の声が響く。
まるで、隣に立つ資格がないと言われたような、そんな錯覚を覚えた。
(爽君の教え方が的確だって……)
それは教えてくれる人に失礼だ。心のなかで首を振って、打ち消す。
今まで幾度、短期間で転校を繰り返してきた。それは、私の
だからこの学校に転校してきて――これまでにないくらい、安定していた。それもこれも全部、爽君のおかげだ。
(……だったら、ちゃんと隣に立てるように。がんばらないと)
そう思うのに。
ぐっと机の下で、左手を拳で固める。
――そんな生半可な能力で、誰かを本当に助けられると思っているの?
私は制服越しペンダントに触れる。
爽君は校内にいる。それは間違いない。それなのに、位置情報を特定できない。こんなこと初めてだ。だから、なおさら焦燥感が滲む。
この感覚をどう例えたら良いのだろう?
”ざわざわ”ではなく”ふわふわ”という表現が一番近いような気がする。ペンダントに手を触れるだけで、爽君がまるで近くに居てくれるような錯覚で。
(……こんなんじゃダメ)
小さく首を振る。
私、欲張りになっている。
誰かを助けたい、なんて思った事はなかった。むしろ――その視界に入らないよう、誰かと距離を近くしないよう努力し続けてきた。誰かを自分の能力で傷つけたくない――ただ、それだけを願った。
それなのに爽君は……そしてゆかりちゃんは、その距離をあっという間に縮めてくれた。自分の背中を押してくれた。手を伸ばしたいと思った。その手を伸ばすことが少しだけできた。でも「そんな生半可な……」その言葉がまた鼓膜の奥で反響して――
「宗方さん?」
と金木君が心配そうに私の方を見やる。野原さんも、雑誌越し、やっぱり目を向けてくれて。みんなを心配させてしまったのかと思うと、本当に申し訳ないと思ってしまう。
と、ゆかりちゃんは、そんな私に向けて苦笑を漏らした。
「……ひな先輩、昨日のこと考えていたんでしょう?」
私にしか聞けない声量で囁く。
図星だ。
また、声が耳の奥底で響く。
――そんな生半可な……
その声も遮ったのも、ゆかりちゃんだった。
「ま、仕方ないよね。これから強くなるしかないっしょ! 今はできることしないとだもんね。だから、水原先輩が今、いないんでしょ?」
にっこり、ゆかりちゃんは笑む。
その言葉にはっとした。
思考に囚われ過ぎだ。
――ひなたは、重く考えなくて良いから。今は俺に任せて。
言った。
確かに、爽君は私に言ってくれたんだ。
課題に目を向ける。
クラスの優等生、金木君が協力してくれるというのに、私は何をやっているんだろう?
放っておくと、どんどん後ろ向きになる自分がいる。そんな私が、本当にキライだ。
見れば、金木君は顔を曇らせ――ため息をついた。
「あ……あの……金木君、ごめんなさい」
私は慌てて、頭を下げた。そんな私を見て、彼は再度、重いため息を漏らす。
「……やっぱり爽の存在って大きいんだね」
あまりにも小声過ぎて、彼の声が聞き取れなかった。
「金木く――?」
怒らせてしまったのかと思い、焦ってしまう。考えてみれば、金木君が怒るのは、もっともだ。勉強に追いつくために、もっと必死になる必要があった。爽君がいない、たったそれだけで心ここにあらずじゃ、先生役を買ってくれた金木君にあまりに失礼だ。
そんな当たり前のことを察することができない私が、本当にイヤで――。
と、そんな私を見て。野原さんがおかしそうに、吹き出した。つられて、ゆかりちゃんも笑う。小さく――この図書室に笑いが弾ける。
「野原……それから桑島さんも……ココ、ウケるトコじゃないから」
金木君が、苦虫を潰した顔で言う。何か金木君が冗談を言ったのだろうか? 私、場を和ませようとする金木君をそれこそ
「あ、ちなみに……優等生が冗談飛ばしたワケじゃないから。宗方さん、そこは安心して良いからね?」
ニッと野原さんが笑う。
「いつまで笑ってるんだよ?」
「図書室だからって笑わないでください、というルールはなかったと思うけど?」
「そういう意味じゃない」
「折角、水原君がいないから、宗方さんと仲良くなれるチャンスだったのにね。宗方さんは水原君の事ばかり考えているようだし」
「そんな
そんな二人の会話を聞きながら、どうして良いか分からず、私はただ口をパクパクさせるしかなかった。
――宗方さんは水原君の事ばかり考えているようだし。
野原さんの声が、脳裏に響き続ける。
そうなんだろうか?
どうなんだろう?
ただ、爽君のことをを考えると、どうしてか。頬が――芯が熱くなる。
確かに、どうしても考えてしまうのは、爽君のことだ。彼は全肯定してくれる。それが私のなかでは本当に大きい。爽君が【支援型サンプル】であるにも関わらず、彼に守られてばかりで。
爽君が傍にいるだけで、体の緊張を解く事ができる。この短い日数の中で、私にとって爽君はかけがえのない存在となった。その彼が、
だから――。
(このままじゃ、ダメなんだ)
心の底から、そう思う。私から見ても爽君のサポートは完璧だった。それに応えられなかったのは自分。そして言い出したのも自分。チカラを出し切れなかった自分。敗因は自分が招いた。羽島公平さんを救えなかったのは私なんだ。
私はあの時の――水原茜さんのステップを思い出す。
それはとてもリズミカルで、軽くて、まるで翔ぶようで。
一瞬で私に間合いを詰め、その手を伸ばして。その一瞬で私に、戦意を叩きつけ――。
「ひな先輩、集中。課題、終わらないよ?」
ゆかりちゃんが、私の頬を摘まむ。抓るというよりは、フニフニと撫でるように。私は目をパチクリさせる。ゆかりちゃんの目が、物を言う。
――諦めないよ、私は。
そう言っている。
私は戸惑いながらも、課題に目を向ける。今すべきことは、弱音に身を委ねることではない。集中して――。
「悔しいなぁ」
そんな私たちを見て、呟いたのは野原さんだった。
「え?」
「宗方さんと仲良くなった人が、水原君以外で後輩ちゃんだったってことがね」
そう言って、野原さんはニッと笑う。
と、野原さんが私に手を差し出した。え? い、意味がわからな――。
「あくしゅ」
さらに笑んで、野原さんが笑む。私は、恐る恐ると野原さんの手を握る。片手でペンダントを制服越しに触れながら。能力が暴走しませんように、暴れませんように。爽君の横にちゃんと立てるように――混戦した思考が絡んで。そしてもつれて――。
「……」
私の心配は取り越し苦労だった。その手に炎は灯らない。火種も燻らない。ただ、図書室の静寂な空気のなか、自分の息遣いが、やけに響く気がした。そんな私を見て、野原さんは――ぬっと、前のめりにテーブルから乗り出す。それから、私の髪をふんわりと撫でてくれた。
「……野原、さん?」
目をパチクリさせる。
「みんなね、宗方さんと仲良くなりたいって思っているの。残念なのは、爽やか王子が宗方さんを独占してるってことだけど、私とも仲良くしてくれない?」
爽やか王子とは、爽君のことを言っているのだろうか? 確かに爽はそのあだ名がぴったりな気がする。そんな彼と対比されたら、私は本当に不釣り合いで。でも、今はそれよりも――。
「……私でいいんですか?」
思わず出た言葉がそれだった。なぜか、その場にいた全員が苦笑を浮かべる。
「宗方さ――あぁ、もう。まどろっこしい。もう、ひなたって呼ぶからね? ひなたも、私のこと彩子って呼んで?」
そう言って笑んだ。
「私はね、ひなたと仲良くなりたい。そうだね、ひなたはきっと理由が欲しいと思うから、あえて言うけどさ」
じっと、野原さん――彩子ちゃん……は私を見やる。
「癒やされちゃうんだよね」
「……へ?」
「ひなたと話していると、優しい気持ちになる。ひなたは分け隔てなく接してくれるから」
彩子ちゃんは優しく微笑む。でも、それは違う気がした。むしろ、私から見れば、それは真逆で。
「野原さ――あ、彩子ちゃんの方がいつも私に声をかけてくれるから……私のほうが……その、励まされているって思っています」
なんとか言葉を絞り出す。
羨ましいと思う。彩子ちゃんは人の目を気にすることなく振る舞う。爽君と通じるモノがある気がした。
人の目を伺いながら、能力を暴走させないよう懸命な私からしてみれば、まるで対局の一にいる人だと思ってしまう。
爽以外で気にかけてくれている
「ひなた……あんたって子はさ……」
彩子ちゃんは呆れたように私を見つめて――。
「カワイイ、可愛すぎるよ!」
勢いよく回り込んで、私は彩子ちゃんに抱きしめられた。言葉にならず、目を白黒させてしまう。
「え? え? え?」
「でしょ、先輩? ひな先輩、可愛くて可愛くて。もう食べちゃいたいくらいです!」
私、食べられちゃうの?
「爽やか王子のファンクラブメンバーすら虜にする可愛さだもんね。恐るべしだよ」
「良きライバル関係だって思っています。でもひな先輩の可愛さは捨てられない!」
「分かるよ、その気持ち!」
と何故か彩子ちゃんとゆかりちゃんは、強く握手を交わす。
「……一応、僕も
金木君がボソリと呟く。私は唇が綻ぶのを自覚する。
「あ、はい。喜んで! こちらこそお願いします!」
私がペコリとお辞儀をする。彩子ちゃんに倣って、金木君の手を握ってみた。一瞬彼はぽかんとした表情を見せて――それからコクコクと何度も頷いてくれる。
「……よろしく」
私は金木君よ表情を覗う。心なしか、その顔が赤いように思えた。
「金木君、風邪ですか?」
「……え?」
すっと、金木君へ顔を近付ける。どうしてか、慌てて彼は顔を逸らしてしまう。
「顔が赤いから。あの……私の課題を手伝ってくれるのは嬉しいだけれど、金木君が体調崩したら申し訳ないから。だから、無理しないでくださいね?」
「……し、してないから大丈夫! ちょっと暑いだけで!」
「本当?」
「本当、本当だから!」
首を傾げて、再度確認する。やっぱり金木君は何回も頷いてみせて。握った手は、そこまで熱いワケじゃなかったから。
そんな彼の様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
クスリと、両サイドでゆかりちゃんと彩子ちゃんが微笑むのが見えて。
私はようやく、みんなに向けて、満面の笑みを返すことができた気がしたんだ。
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