悪役令嬢なのにモテすぎて困るって、呪いですか!?

月城うさぎ

第1話

「エルヴィーラ嬢! 待ってくれ」


「今日こそ僕のクラバットを受け取ってほしい」


「次の学園のパーティーではぜひ相手役を……!」




(この状況で待てと言われて待つ馬鹿がどこにいるのよ!)




 数人の男子生徒に追いかけられながら、エルヴィーラ・ベルネット侯爵令嬢は必死に学園内を全力疾走していた。




 エルヴィーラが通う王立学園では、恋人、または将来の約束をした男女は制服の一部を交換する習わしがある。多くの学生は胸元を飾るスカーフ、またはクラバットを交換し特定の相手がいることを示すのだ。




 数日前まではエルヴィーラもそのひとりだったが、今の彼女は自身の瞳と同じ青色のスカーフを着用している。すなわち、恋人も婚約者もいない完全なる独り身状態。学生の間に婚約者がほしい男子生徒から狙われるのは当然の成り行きだが、エルヴィーラが追いかけられている理由は他にある。




(こんな異常事態、いったいいつまで続くの……!?)




 呼吸を乱しながら廊下の角を曲がり、さらに入り組んだ道を選んだ。


 もし近くを通りかかった教師にでも見つかれば、廊下を走る危険行為を厳重注意されるだろう。ペナルティーとして処罰を受ける可能性もゼロではないが、それが一般的な処罰なら問題ない。




 怖いのはエルヴィーラを追いかけまわす男子生徒のように変貌し、教育者の仮面を脱いで迫られることだ。




(いい加減、追いかけられるの怖いし疲れた……!)




 あてもなく走り続けて、とある扉を通り過ぎた瞬間。誰かに腕を掴まれた。




「え……、っ!?」




 バタン、と扉が閉まる。


 腹部に回った逞しい腕は明らかに男性のもので、エルヴィーラの身体が強張った。




「は、放して……っ」


「シー、騒ぐと見つかるよ?」


「……ッ!」




 背後から抱きしめられる体勢で、耳元に美声が届く。


 一瞬でぞわぞわとした震えが背筋を駆けた。この聞き覚えのある声は、振り返らなくてもわかってしまう。




(生徒会長のレインハルト殿下……! なんでここに!?)


 


 第一王子のレインハルトはエルヴィーラより一学年上で、現在18歳だ。


 蜂蜜のような琥珀色の金髪にエメラルド色の瞳、左右対称にバランスよく配置された顔のパーツと温和な微笑がとても見目麗しい。女子生徒の間では、彼に三秒見つめられると恋に落ちてしまう、とまことしやかに囁かれている。




 学年が違えば接点もない生徒会長と声を交わす機会など一度もない。遠目から見かけたことがあるくらいだ。




 何故助けてくれたのだろう……いや、それよりどうして抱きしめられているのだ。




(どういうこと……!?)




 エルヴィーラは身じろぎひとつできないまま、心臓がバクバクしてきた。緊張と不安と困惑が混ざり合っている。




 しばらくすると数名の足音が近づいてきた。




「あれ、こっちだと思ったんだが」


「道を間違えたんじゃないか?」


「エルたんー、どこー?」




 バタバタとした足音が遠ざかり、エルヴィーラの身体から力が抜けてきた。


 知らない間に呼吸を止めていたらしい。ホッと安堵の息を吐いた。




「あの、もう大丈夫そうです。ありがとうございました」


「そう、よかった」


「……」




 お腹に回った腕が外れない。


 もう大丈夫だと告げているのに、相手もわかっているのに。




「あの、会長。私もう大丈夫なので」


「うん」


「腕をですね、外していただけないでしょうか……」


「うーん、もう少しこのままでもよくない?」


「よくないです!」




 他に誰もいない部屋で交流のない女子生徒を抱きしめるなんて、事故や偶然じゃなければ問題だ。そもそも恋人でもないのだから、この距離は不適切だろう。




「残念」




 名残惜しそうにレインハルトが抱擁を解いた。だがその直前に頭をスンと嗅がれた気がした。


 エルヴィーラの背筋にぞわっとした震えが走る。




(え、今なんか……いえ、気のせい?)




 温厚で品行方正な生徒会長が、そんな変態行為をするとは思えない。


 エルヴィーラは適度に距離を取り、助けてくれたレインハルトに頭を下げた。


 


「あの、ありがとうございました。それではごきげんよう……」




 出口の扉を開けようとしてギョッとする。よく見るとこの部屋は学園長の部屋ではないか。




(なんで鍵が開いてたの?)




 学園長の部屋に無断で入ったのがバレたら、普通に考えるとてもマズイ。


 エルヴィーラの場合は特殊な事情があり、学園長から緊急時には入ってもいいと許されているが。生徒会長もその許しを得ているのだろうか。




(まあ、大丈夫よね。会長と学園長は身内だから停学処分とかにはならないはず……)




 そんな他人の心配をしていると、麗しい笑みを浮かべたレインハルトがエルヴィーラの真っすぐな髪をひと房握った。




 蕩けるような微笑は極上に美しい。顔がいいから見惚れそうになるが、髪に触れていいなど言ってない。


 おかしいな、男子生徒からは逃げきれたのに。


 未だに身の危険が去った気がしない。




「さて、エルヴィーラ・ベルネット。僕からひとつ提案があるんだけど」


「な、なんでしょうか……」




 一難去ってまた一難……と、エルヴィーラの頭が警鐘を鳴らしている。


 レインハルトはエルヴィーラの艶やかな髪の手触りを堪能するように親指を滑らせた。


 そのまま髪を口許まで持ちあげ――チュ、とキスを落とした。




(え……!?)




 女子生徒の憧れの的である美貌の第一王子から髪にキス。


 何それ怖い……と身体が硬直している間に、レインハルトは見る者を虜にする笑みを見せる。




「僕と婚約するというのはどうだろう」


「……あ、あなたも“あっち側”の人間なんじゃないー!」




 助けてくれたと思っていたのに、結局はエルヴィーラを追いかけまわしていた男子生徒と同じだった。


 これ以上ここにいるのは危険だ。




 すぐさま髪を奪って逃走する。


 数日前に受けた厄介な呪いのせいで、エルヴィーラの日常はめちゃくちゃだ。




「うーん、あっち側ではないんだけどね?」




 走り去るエルヴィーラの背中を見つめながらレインハルトが不穏な呟きを落としていたなど、エルヴィーラには知る由もなかった。


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