ネコと女
あべせい
ネコと女
とある児童公園。
サツキの植え込みの前で、モスグリーンのカーディガンに同色のパンツを履いた若い女性がしゃがみこみ、何かをバスケットから取りだし、植え込みの中に投げ入れている。そこへ、紺色のスーツを来た若い男性が通りかかる。
男性、女性の挙動に不審を感じたのか、話しかけた。
「もしもし、何をなさっておられるのですか?」
女性、声の主を振り返りもせず、
「食事です」
「だれの食事ですか」
女性、なおも植え込みのなかを覗きこみながら、
「タマです」
「タマ? タマってだれです」
「ここに住んでいるネコです。決まっているでしょ」
男性、不快感をあらわにして、
「あなたね。ここは公園です。ネコの住まいじゃないですよ」
女性、ようやく手を休めて立ち上がる。男性のほうに向き直るや、強い口調で、
「この公園はあなたのものですか!」
男性、予想していた言葉だったが、激しい口調にたじろぐ。
「私のじゃないですが、みなさんのものです」
「だったら、わたくしにだって利用する権利があるでしょう!」
男性、女性の剣幕にグッと耐える。
「それはそうですが、ネコにエサを与えるのは困るのです」
女性、さらに声を荒らげ、
「どうして、ですか!」
男性、後ずさりして、
「あなたがエサを与えたネコが、この近くの民家の庭などに糞をして、迷惑をかけるからです。ご近所からたくさん苦情が来ています」
「そんなことは存じません」
「そのネコがこどもを産んで、被害はどんどん広がっていく……」
女性は再び植え込みのほうを向き、キャットフードらしきものを投げ続ける。
「もしもし、聞いていますか。エサを与えるなら、ご自宅にそのネコを連れて帰って、ご自宅で与えてください。それなら、だれも文句はいいません」
女性、急に声の調子が変わり、再び男性に向き直る。
「このネコ、いただいていいのですか?」
「エッ!?」
男性、戸惑う。
「いいンじゃないですか。飼い主がいない野良ネコなのだから……」
「では、そうします。わたし、前からここにいるネコを飼ってみたいと思っていたンです」
女性は、サツキの木の下に手を伸ばす。しかし、ネコらしきものは姿を現さない。
男性、女性の背後に回り、サツキの木の下を覗く。
さつきの枝に囲まれた狭い空間に、真っ白いネコが1匹、そのそばに体をくっつけるようにして3匹の子ネコがいる。
「エサでおびきだして、捕まえるンですよ」
男性は、急にやる気をだし、女性からキャットフードをもらうと、ネコに差し出す。
しかし、ネコは体を引いて後ずさる。
「よしッ、こうなったら、やるしかない」
男性、スーツの両袖をまくりあげ、腹ばいになった。
「なにをなさるンですか」
女性、男性の積極性に異様なものを感じ、立ち去ろうとする。
男性、ネコを見つめたまま、
「逃げるンですか!」
女性、思わず硬直する。
「いいえ……」
「逃げようたって、逃がしませんから」
「あなた……どなた?」
「ぼくは……ぼくは……、このタマの、元飼い主です……」
「エッ!?」
「痛ッ!」
男性が立ちあがり、腕を押さえる。
「引っ掻かれたンでしょう。タマは見境がないから」
男性は、引っ掻かれた腕をさすりながら、
「ネコはダメです。恩を知らない」
「で、あなたはここにタマを捨てたンでしょう。だったら、タマに恨まれている。引っ掻かれて当然です」
「捨てたンじゃない。手放したのです」
「同じです。あなたのような人がいるから、野良ネコがふえるンです」
「いろいろ事情があるのです」
「あるでしょう。最も多いのは、離婚。どちらも嫌な思い出が残っているから、って引き取らない……」
「どうして、わかるのですか」
「そりャ……」
「あなたも?」
女性、恥ずかしそうに頷いた。
喫茶店に入る2人。
注文後、ウエイトレスが慣れない手つきでコーヒーを持ってくる。
「お待たせいたしました」
ウエイトレス、女性の前にコーヒーを置き、男性をチラッと見た。
「こちらの方はレモンティですね」
男性、ウエイトレスを見上げ、
「そうですが……」
「わたし、慣れないもので、申し訳ありません。失礼します」
ウエイトレスはそう言い、伝票を女性の前に置いて立ち去った。
「おかしなひとだな」
男性、ウエイトレスの後ろ姿を見ながら、
「こういう場合、伝票は2人の間に置くのじゃないですか」
女性、なんでもないという風に、
「何か、事情があるのかも知れません」
男性、話題を変える。
「この店には、よく来られるンですか」
「タマ、にです」
言って、女性ニコッと笑う。しかし、ダジャレは通じない。
「ぼく、音庫俣生(おとくらまたお)といいます。バツイチ、35才。役所に勤めています」
と、女性、甘ったるい声で、
「わたし、弥生静代(やよいしずよ)、32才、流通関係の会社に勤務しています。こどもはいません」
音庫、こころなしか元気になり、
「ぼくもコブなし。静代さんは、どうして、別れたのですか?」
「いきなり、その話ですか」
「ぼくは、女房の浮気。結婚して半年で朝帰りです」
「まァ……それで、手放したのですか?」
「ぼくが手放されたのです。正しくは、捨てられたというか」
音庫、恥ずかしそうに下を向く。
「で、タマも捨てた?」
「タマじゃありません。本当の名前はミコです。別れた女房が名付けた」
「ミコですか。ひょっとして、別れた奥さん、ミキコと言ったりして……」
「どうして、わかるンですか」
「わたしがタマと付けたのも、別れた夫の姓が、タカマと言ったからです」
「真ん中の字を抜いた。ということは、あなたはまだ、前のご主人に未練がある?」
静代、黙る。
「そこがぼくとは違う。あなたは嫌いで別れたのではないのですね」
静代、黙ってコーヒーを啜る。
そのとき、「ミャーン」とかわいい鳴き声が。
静代がバスケットのふたをずらすと、真っ白な子ネコが小さな顔を覗かせる。
「静代さん、子ネコは3匹いたのに、どうしてその子ネコを選んだのですか?」
「俣生さん、このコは縁結びの子ネコなンです」
「縁結び、ですか?」
「わたしが、『どのコをもらっていこうかしら?』と言ったら、俣生さんは、『その白い子ネコがいちばんカワイイ』とおっしゃったでしょう。わたしは、本当は黒い子ネコがいいなァと思っていたのだけれど、俣生さんは『そばにいるタマに最も似ている。そっくりだから、こちらをもらってくれたら……』って」
「そんなことを言いましたか……」
音庫は、無責任にも、10分ほど前のことをもう忘れている。
静代、音庫を見つめながら、
「わたしたち、おかしな出会いですね」
音庫も同感で、
「野良ネコがとりもつ縁ですか。でも、静夜さん、ぼくは大切なことを言い忘れていました」
「エッ?」
静夜に不安がよぎる。
「ぼくは役所に勤務していると言いましたが、部署は公園課です。公園の見回りも、ぼくの大切な仕事の一部なンです」
「きょうは土曜日。役所はお休みでしょう?」
「休日出勤です。公園の野良ネコをなんとかして欲しいという苦情を受けて、実態調査をしています」
「わたしは調査対象ということですか……」
静代の眼に、不審の色が広がる。
「俣生さん、あのタマは前に飼っていたとおっしゃいませんでしたか?」
音庫は黙る。
「公園課の方が、公園にネコを捨てるのはどうかと思いますが……」
「あのタマ、いえミコは、別れた女房が捨てたようなのです」
「ようなのです、って?」
「ミコは真っ白なネコでしたが、あの公園の白いネコがミコなのかどうなのか、ぼくには判別がつかない。情けない話ですが。ぼくには白いネコは、みんなミコに見えます……」
「ということは、あなたは、ネコはあまり好きではない」
「あまりどころか、大嫌いです」
「だから、奥さんが捨てたネコに似ているタマを見ても、持ち帰ろうとはしなかった……」
「そうなります」
「ネコ好きの女性とよく結婚しましたね」
「ミキコはネコ好きではなかった。ミコは、ミキコの前の男が飼っていたネコで、男がミコだけ置いて出て行ったので、仕方なく飼っていたと言っていました」
「ネコのたらい回しですか。タマがかわいそう」
「静代さんはどうして自宅でネコを飼わないのですか?」
「なんだか、いよいよ本題の感じ」
音庫は黙って聞いている。
「公園で野良ネコにエサを与える人間の性格調査でしょう?」
「そのつもりはありませんが……」
「飼っているわ」
静代が急にタメ口になった。
「女のコばかり、7人」
「7人!……」
「ごめんなさい。7匹です」
「7匹もですか。外で仕事をしていて7匹も飼うのはたいへんでしょう」
「2DKの狭いマンションだから、ひと部屋がネコのトイレ置き場、もうひと部屋がネコの寝室、わたしは台所で寝ています」
音庫は信じられないという顔をする。
「どうしてそんなにまでしてネコを飼うのか、って言いたいのでしょう?」
「いいえ、わかります」
「エッ!」
静夜はハッとして俯く。
「あなた、バスケットにいる子ネコは縁結びだと言ったでしょう。7匹はその結果……」
静代、キッと反応する。
「わたしは、野良ネコにエサをやりながら、男性が話しかけてくれる時を待っている女ですか」
「ぼくはそう考えています」
「それが、音庫さんが出した調査の結論ですか」
音庫、無言で静夜を見つめる。
「そして、7回連続で失敗している、と……(バスケットの子ネコを示し)このコで8匹目、だから、これで8人の男を釣り逃した、と……」
「ぼくはそんなことまでは言っていません。ぼくは8人目の男じゃない。ぼくが静代さんに話しかけたのは、仕事だからです」
「そうよね。公園でネコにエサをやっている女に声を掛ける、なンてことは、なかなか出来ないもの。いまのひとは、他人に無関心というか、ことなかれ主義というか、気になることがあっても、なかなか注意しようとはしない。俣生さんだって、仕事でなかったら、わたしに声は掛けなかったでしょう?」
「それは……」
「それとも、俣生さんの場合は、だれかの指示があったのかしら?」
俣生、ギクッとなる。
静夜、その反応を楽しむように、
「東赤塚公園、土曜の午後2時半前後、バスケットを提げた女。そんな情報が飛び交っている、って。あなたが知らないわけ、ないわよね」
音庫、周りを見回す。気になる人物は見当たらない。
「わたしも実際、困っている。周りに男性が多い職場だけれど、すてきな出会いはなかなかない。わたしが好きになっても、相手が振り向いてくれないことは当たり前。だから、どうしても、数をこなさないといけない」
「もう、いいです。ぼくは帰ります」
音庫、何かを感じとったのか、伝票を持って立ち上がる。
「逃げるの!」
音庫、静夜の強い口調にすくむ。
「逃げられないわ。もう、8名の刑事で取り囲まれているから」
「エッ!?」
絶句する音庫。
「腰掛けなさい」
音庫、再び、腰を下ろす。
静代はバスケットの開く。
「タマちゃん、ちょっと、ゴメンね」
と言って、子ネコの脇を探りながら、
「あなたはこれまで7人の女性から、結婚をエサに大金を騙し取ってきた。8人目のわたしは、警視庁刑事、弥生静代」
「エッ!」
静夜、バスケットの中から、ようやく探り当てあてた警察手帳を取り出し音庫に示す。
「それは何かの間違いです。人違いです! ぼくがそんな大それたことをするはずがない」
「ここのテーブルにコーヒーをもって来た女性、あなたは見忘れたみたいだけれど、一昨年、あなたの最初の被害者になった女性よ。伝票をわたしの前に置いたのは『この男に間違いありません』という合図。だから、もう、首実検は済んでいる」
音庫、首を伸ばして、さきほどのウエイトレスを探すが、姿を消したあとだ。
「……しかし、刑事さん。結婚詐欺師のようにおっしゃいますが、ぽくは入籍こそしていませんが、女性と実際に一緒に暮らしています。それが犯罪ですか!」
音庫は、噛みつくように訴える。
「一緒に暮らしたと言っても、長くて1ヵ月ほど。女性の預金通帳をそっくり持ち出して、自分の口座に入れると、すぐに行方をくらます。立派な窃盗罪です」
「ぼくは借りただけです。近い将来、返済するつもりです」
「借りるというのは、相手の承諾があってのこと。無断で借りるのは、盗みと同じ」
「だったら、ぼくの女房を逮捕してください。2年前、ぼくの全財産を奪って逃げている」
静代、朗らかに笑って、
「彼女なら、先月、青森で捕まったわ。独り暮らしの老人から、預貯金を盗んだ罪で。あなたたち、戸籍上はまだ夫婦なのね」
「あの女はとんでもない悪党です。あの女のおかげで、ぼくはこんな男になってしまった」
「そうかしら。彼女もあなたと同じようなことを言っている、ってよ」
「あいつ!」
音庫は激しく髪をかきむしる。
静代、冷静に、
「それじゃ、本題に入るわね」
「本題? なンですか」
「わたしの部署は、本庁の捜査1課。これだけ言ったらわかるでしょ」
「捜査1課!?」
音庫の顔色が変化する。
「別名、殺人課よ」
音庫、汗が噴き出す。
「あなたと元奥さんの間には、女の子が一人、生まれている。名前は、真尾(まお)、あなたのマタオから真ん中のタを抜いて、マオね……」
「ぼくは知らない、何も知らない!」
「まだ、何も言ってないわ。真尾ちゃんはいまどこにいるの?」
「女房の実家だ!」
「青森? 青森県警が調べたわ。本当のことを話したら」
「知らない。娘は女房が連れて出て行った」
静代の表情が、真剣味を増す。
「きっかけは、あなたの奥さんの逮捕よ。青森県警からこちらに照会がきて、調べたら、彼女には夫と2才の娘がいることになっている。住民票があるマンションにはすでに他人が暮らしていて、夫は行方不明。2才の娘を連れて、彼はどこで暮らしているのか。懸命に探したわ。その頃、本庁2課は詐欺であなたを追いかけていた。昼間、公園をひとりでうろついている若い女性をターゲットに、声を掛けては巧みな話術で体の関係をもち、同棲する。女性が信用した頃を狙って、預貯金をそっくり奪って逃げる手口。被害者は告訴を受けているだけで7名にのぼる。2課は7名の被害者から得た顔の特徴から犯人のモンタージュ写真を作成した。そして、あなたが住所を転々としているとそのにらみ、その写真を手に、都内のあらゆる宿泊施設をあたった。わたしたちも2課に協力する形で、比較的に安価な宿泊施設に絞って捜査した。そしてついに、見つかったわ!」
音庫、苦虫をかみつぶしている。
「かいこ棚といわれている池袋の簡易宿泊所「山波」を当たったときよ。山波の経営主・山波は、写真にそっくりの男が最近まで利用していたと言い、その後もときどき電話がかかってくると証言した。そのとき、施設の1階にある彼の住居兼事務所に、よちよち歩きの小さな子がいて、彼は初孫だと自慢していた。それが3日前。それから昨日まで、あなたがどこにいたのか知らないけれど、あなたも友達が欲しかったとみえ、その宿泊所の経営主と携帯電話で連絡をとりあっていた」
「そいつは、やもめの経営者だ。向こうから、近寄ってきた」
「わたしは彼に情報を流した。『毎週土曜、東赤塚公園に来て野良ネコにエサをやっている女性がいる。バツイチで小金を持っていて、結婚したがっている』と。あなたは、彼に電話をかけたとき、このエサに食いついた、ってわけ」
「おれは、まじめに女房を探していると言ったンだ。あんたら警察は、おれが女から預貯金を奪って逃げたというが、それは結果だ。つきあってみると、おれが思うような女じゃなかったから、逃げただけだ」
「いいわけは、裁判でしたら。で、真尾ちゃんは? どこに捨てたの!」
「おれは、捨てたり、しない」
「山の中! 海の底! それとも……」
音庫は、これ以上ないという哀しい顔をして、
「待て、おれが真尾を殺したと思っているのか。真尾はおれの本当の子だゾ。真尾は、真尾は……」
「どうしたの」
「……売った……」
「エッ!?」
「買ったのは、その簡易宿泊所の経営者だ。きっちり養子縁組して……」
そのとき、静代の脳裡に、山波のそばで、よちよち歩きをしていたカワイイ女の子が浮かびあがった。
(了)
ネコと女 あべせい @abesei
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