最終話 負けないよ

 帰り道はもう夕方はとっくに過ぎた紺色の頃だった。カラスの声が遠くで鳴っている。風がさらりとススキを揺らした。


 ひとりじゃだめだからって翔斗くんが徒歩で送ってくれたんだけど……怖いくらいに全然喋らない。


 んん……。わたしがお父さんによくしてもらったのが気に入らないのかな。さっきザッハトルテを食べてた時は笑い合えたのになぁ。


 ちら、とその様子を窺うと、翔斗くんはわたしが片手に持つザッハトルテの入った箱を見ていたようでその視線が一瞬、ぱ、と交わった。


 ほのかに明るい街灯のオレンジ色の中で、薄い影をふたつ伸ばして思わず立ち止まってしまった。


 な、なにか喋らなきゃ。でも、だけど、ええと。


「あ……ザッハトルテ、おいしかったね!」


 ひーん。わかってるよ、言うべきなのはこれじゃないってことくらい。でもじゃあ何の話すればいいのさ?


 翔斗くんは「ああ」と短く答えただけでやっぱり会話は続かず「いこ」と再び歩き出す。あうう。


 もう、なに考えてるのさ。ちゃんと言ってくれないとわかんないよ。悪い方にばっかり想像しちゃうよ。ねえ。ねえってば。先を行く背中に視線のビームをジリジリぶつけた。


「前の学校で」


 ビームに集中していたせいで「へ……」と変な声が出た。慌てて隣に追いついてその顔を見る。翔斗くんは無表情でこちらは見ずにまたザッハトルテの入った箱を見ていた。


「菓子作りが趣味とか女みたいだなって笑われたことがあったんだよね」


「え……」

 意外な話題で驚いた。


「『翔斗』を『翔子』とかって言われて、すげーバカにされたんだ」


 ──こいつお菓子作りが趣味らしいよ。

 ──翔子ちゃぁん。今日はクッキー? それともスイートポテトかしら? ぎゃはははは!


 途端にぞわ、と手足が冷えた。


「そんなのひどい」

「前の学校の時はさ、家、まだケーキ屋じゃなくて。だから親の仕事とか学校のみんなは知らないじゃん。たまたまスーパーでケーキとかの材料すげえ買ってるとこ見られてさ、それで」


 それにしたって……。


「悔しくて。なんとか見返してやりたかった。けど方法がなくて。だってどんだけうまく作ってもそんなん学校に持っていったところで逆効果だろ」


 たしかに……。


「隠れてこそこそするくらいなら、いっそもうやめようか、って思ったこともあった」


「えっ……翔斗くんが!?」

 今や人生のほとんどをお菓子作りに捧げてるような翔斗くんからは想像もできないよ!?


「そう。けどやめれなかった」


 はは、と乾いた笑い声を出して、わたしを見る。


「でもあの時やめなくて良かったって、今日思ったよ」


「え……」


「杏子と出会えたから」


 ドキン。って、これはどういう感情?


 翔斗くんはやっと言えてスッキリした、みたいな顔をして黒い空に浮かぶ月を見上げて言う。


「おれ、ずっとひとりだったんだよ。最初の頃はそれでも楽しかった。作れる菓子が増えるのがただ嬉しくてさ。だけどそのうち、自分の興味が偏りすぎだってわかって。菓子作りも、父さんに今日みたいにまだ早いって言われるようになってきてたし、その上学校でもバカにされてキモがられてさ。自分が今やってることって本当に意味あんのかなって。時間や材料の無駄なんじゃないかって。思いながらもやっぱりやめらんなくて。『おまえのはただの意地だ』って、父さんの言う通りみたいな気もして余計に腹立って」


 ひんやり、秋の夜風が頬をなでてゆく。近くの草むらで虫がキレイに鳴き競っていることに今気がついた。


「でもおまえと、杏子と出会ってから、真っ暗だったなかにぱって光がさしたみたいに変わった。おもしろくなった。負けたくないって、もっと上達したいって思えるようになったんだ」


 翔斗くんがそんなふうに思ってくれていたなんて。


「今までは、おれが引っ張ってやらなきゃって、教えてやるって生意気に思ってた。けど今日は」


 ──お願いします!


「抜かされた感覚があった」

「そ、そんなことないよ?」

「あったんだよ」


 慌てて答えたけどあっさり否定されてしまった。まさか。わたしが翔斗くんを抜かしたなんて。


「おれ、父さんに聞くのはズルだって勝手に決めてはじめから選択肢から外してたんだよ。だけどそれって間違いなんだって今日わかったんだ」


「……どういうこと?」


「意地張って『自己流』でやってるうちは、自分の実力以上の力は手に入らないってこと。ちゃんと目標みつけて、頭下げて人から習うってことを……おまえから学んだ」


 どんな顔をしたらいいのかわからなくなって困った。


「『ああ、負けた』って、思ったんだ」

「翔斗くん……」

「すげえよ、杏子は」


 悔しそうに笑う横顔を見ると、なんだか胸が締め付けられた。


「わたし、翔斗くんのこと尊敬してるんだよ」


 思い出す、二人で過ごしたあの日々。


 はじめてフィナンシェを一緒に作った日。

 はじめて一緒に図書館に行った日。

 バウムクーヘンを買いに行った日。

 自転車に乗れた日。

 マカロンを受け取った日。


 どんどん、惹かれて。

 どんどん、夢中になって。


 それは全部、翔斗くんが引っ張ってくれたおかげなんだ。


「翔斗くんみたいにお菓子に詳しくなりたいって思うから、もっとたくさん勉強しようって思うんだもん。翔斗くんみたいに上手に作れるようになりたいから、もっと練習したいって思うんだもん」


「杏子……」


「わたしの方こそ、翔斗くんと出会えてよかったって思ってるよ……」


 あれ。声がかすれてうまく出ない。代わりに涙ばっかりが、いっぱい出てきちゃう……。


「翔斗く…………ありがと」


 ぎゅうって、抱きしめてくれた。ひぁぁ。



「今日は正直ちょっと悔しかった。でも負けっぱなしじゃないから。すぐに追いつくし、追い抜くよ」


 そう言うと照れ隠しみたいに鼻の下を指でこすった。「もう泣くな。困るから」


 わたしは少しキョトンとして、それから「ぶふっ」と噴き出して笑った。翔斗くんも困りながら「ははん」と笑った。



 パティシエになる。


 たくさん勉強する。お菓子のことも。それ以外のことも。


 たくさん経験する。お菓子のことも。それ以外のことも。


「負けないよ」

「おれだって」


 わたしたちの未来は、まだまだこれからだよ。




 (終)

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あまからMIX! 〜気になるアイツは超辛口な甘党男子〜 小桃 もこ @mococo19n

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