第9話 図書館

 家の方角と反対側にある校門から出て細い道路を渡ってすぐ。小学校のすぐ隣に市立図書館の建物がある。


 こんなに近くてもわたしがここを利用するのは夏休みくらいかな? それも児童文庫の物語のところだけだし、お菓子に関する本のコーナーなんてどこにあるかも知らなかった。


 独特の静かさの館内を沢口くんのあとに付いて進み、〈調理・製菓〉と小さく見出しのついた本棚の前にたどり着いた。


「ほわあ……」


「まあそんなに多くはないけど。でもタダで読めるんだぜ。知らないと損でしょ」

「ほんとだね……」


「じゃ、あとは自由。帰るなら声かけて」それだけ言うと棚からどんどん本を抜き取りどっさりかかえて座席へと向かってしまった。


 え。放置……ですか?


 去りゆく背中をじいっと見つめてから、小さくため息をついて本棚へと視線を移した。



 2時間近く、経っただろうか。外はまだ明るいけど、明るいうちに帰らないと。


 眺めていたお菓子の本を閉じて本棚に戻しに行くと、ちょうど沢口くんが本を片付けているところだった。


「あ……わたし、そろそろ」

「ん。じゃあおれも」


 本を戻す沢口くんに通りかかった司書さんかな? が「あら今日も?」と微笑む。ずいぶん親しげだ。え、まさか沢口くん……。


「なに」

「……いや」

「そ。なら帰ろ」

「う、うん」


 まさかこの図書館のお菓子に関する本、端から全部読んでるの? という質問は恐ろしくてできなかった。けどたぶんそうだ。きっとそうだ。


 帰り道は案外口数少なめで、またよくわからない沢口 翔斗という男子。


 べつに気を使ってというわけではないけど、仕方なくわたしから話を振ってみた。


「お菓子の本ってだけでもいろいろあるんだねぇ」


 そうなんだよ! と食いつくかなと思ったけど意外とそうもいかない。「ああ」という短い返事しかもらえず撃沈。むう。


「ねえ」


 その顔を横から覗いてみる、と。


 意外に真面目な思案顔でドキリとした。


「な、なに……考え事?」


 訊ねると「え? なんか言った?」とまさにそれの返事をされて少し笑う。


「なんか収穫でもあったの?」

「ああうん。はちみつ」


「はちみつ……?」


 訊ねたけど「まあいいや。明日話す」と打ち切られてしまった。




「なあ。〈ヒマワリはちみつ〉って聞いたことなくね?」


「…………おはよう」


 翌朝の沢口くんは挨拶よりも先にそんな突拍子もないことを言ってきた。


 ランランと輝く瞳が怖い。ゆうべはちゃんと寝たのかな。


「この前おまえが珍しいはちみつ持ってたじゃん。それで昨日ははちみつについて調べてみたんだ。そしたら珍しい種類がいろいろあるってわかって。その中で何種類かを帰ってさ、家で調べたんだよ。そういうはちみつを使ってることを『推し』にしてるケーキ屋があるんじゃないかって」


「はあ……」


 怒涛の語りにあてられて気の抜けた返事がもれた。っていうか「記憶して」ってつまり暗記して、ってこと? それで帰り道口数が少なかったの?


 いや、メモすればよくない? まさか書く時間が惜しかったとか? 言いそう……。


「で。みつけたんだ。〈ヒマワリはちみつバウム〉を推してる店を」


「……はあ」


「行こうぜ」


「へ」


 最近たまに思うんだけど。

 沢口くんにとってわたしって、どういう存在なんだろう。


「……近いの?」

「近いよ。隣」


「隣って……小学校ここの?」

「や。ここの。


 あ。ヤバい。この人ちょっとヤバい。


「と、隣の県!? そんなの小学生だけじゃ行けないよ!?」

「むりかな? 電車乗ってさ」

「むりだよ、ママ許してくれないよ」

「なら近所ってウソを……」「だめっ!」


「真面目だな」

「普通ですっ!」


 〈常識〉って言葉、わかる? っていうか市内でさえ校区外に子どもだけで出ることは禁止されてるよ?


「ならいいよ。おれだけで行く」

「あ、危ないってば」

「は? なにが危ないの」

「いや、沢口くんのお母さんも心配するでしょ?」


 言いながら思い出すのはあのお父さん。あのお父さんなら心配……しないかもしれない。や、でもお母さんはきっと心配するってば!


「そうかな?」

「そうだよっ」

「え、まさか諦めろって流れ?」

「仕方ないでしょ」

「はー? 嫌だね」


 そして「もういい」と拗ねてそっぽを向いてしまった。もう。


「……車でなら、いいかも」


「え」


 ほんとうはすっごく嫌だけど。


「頼んでみようか? わたしのパパに」


 あのね。言い出しておいてなんですが。


 クラスの女の子と二人でお出かけしようって仮になったとして、そこに女の子のお父さんがたとえ運転手役だとしても付いて来るっていうのは男の子としては気まずくないのでしょうか? 気まずいよね!? 普通気まずいよね!?


「あ、ほんとに? ならお願いします」


 1ミリの迷いもなく、即答。

 んん……。つまりそれは、キミはわたしのこと全く女の子として見てないってことだね?


「い、嫌じゃないの?」

「なんで」

「や、気まずくないかなって」


「は? なんで。むしろ交通費がシャンティ・ポムうちの店の焼菓子とかで済むと思うとありがたすぎて拝みたいくらいだ。その分買い物に回せるじゃん」


 こいつは……。どこまでも洋菓子バカなんだから!



 そんなわけで、大型連休最終日の本日日曜、〈天美家+沢口 翔斗〉という謎メンバーで隣県のケーキ屋さんまで約1時間のドライブをすることとなったのでした! うああう!



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