第1章 材料変更は災いのもと!? 〈フィナンシェ〉の定義って?

第1話 フィナンシェの定義

 とろろーん、ぽってり。


 たまご色のなめらかな生地。かわいいチェック柄のカップへおたまで慎重に分け入れていく。


 あちゃ、こぼれちゃった。けど拭き取れば問題なし。おちついて。そう。ゆっくりと丁寧に。


「ふうっ……!」


 よし。あとは熱したオーブンで……ええと、何分だっけ?


 慌てて本をめくると生地がぽとりと垂れちゃった。ぎゃーっ。ま、これもあとで拭き取れば大丈夫、大丈夫。


 えとえと? ふむ、15分ね。

 セット……オッケー!


 スタート!


 ピ。と電子音が鳴るのと同時にオーブンレンジの中にオレンジ色の明かりがついた。



 ホットケーキミックスって万能。

 テレビ番組でホットケーキ以外のスイーツも作れることを知ったわたしは、本屋さんでレシピ本を買ってもらって、いろんな焼き菓子を作るようになった。


 今日はなんと……フィナンシェ! すっごくない? 小5でこんなの作れるなんて、わたしって天才かも? あははは。


 洗いものは後回しにしてオーブンの前に張り付いて過ごした15分。終了の「ピー」は本来は5回鳴るんだけど、2回目の途中で待ちきれずに開けちゃいます。


 うっはあ。いい香りがたまんない。あまーくって、ほんわりあたたか。うん、ばっちり焼けてる。


「あら。いい匂いー。マドレーヌ?」


 ちょうど帰宅したママが顔を綻ばせた。


「ちがうよ、フィナンシェ」


「ふうん? どうちがうの?」


「えっ、それは……」


 それは知らない。だって〈フィナンシェ〉って書いてあるレシピを見て作ったんだよ? それならこれはフィナンシェでしょ。


「なんでもいいや。ひとつちょーだい」


「あ、それはだめ。こっちのはみ出してるのにして」


「はいはい。んー! おいひー」



 杏子あんずちゃん天才だね。

 こんなの作れてすごい。

 将来がたのしみだよ。

 杏子の作るお菓子大好き。

 また作ってね。


 みんなにそう言われて、今日まで過ごしてきた。お菓子作りは今やわたしの特技。だから将来もそれを生かしたお仕事に就きたいなって自然に思うようになっていた。


 ……なのに。


 それは次の日の朝、学校でのことだった。


「は? いや、いやいや。まさかと思うけど今、それをフィナンシェとか言った? うそでしょ? 信じらんねー。冒涜ぼうとくもいいとこだ。気絶しそう。ちょいかして」


「……へ」


「かして。味見してやる」


 言うやその男子はわたしの手から勝手にひとつ奪い取ると、かわいいチェック柄のカップを引っペがしてフィナンシェをぱくりと口に放り込んだ。周りに集まっていた女子一同、唖然……!


 勝手に食べたってだけでも目が点になる出来事なのに、その上は、こんなことを言ってのけたんだ。


「は。やっぱね。ただのホットケーキミックスの塊じゃん」


 ただのホットケーキミックスの塊

 ただのホットケーキミックスの塊

 ただのホットケーキミックスの塊い!?


「て……適当なこと言わないで! ちゃんとレシピ見て作ったんだから!」


「そ、そうだよ! 杏子ちゃんのお菓子おいしいよ! ね?」

「うん、おいしいよ!」


「ひ、本気かよ。味覚ヤバいんじゃね? 全員バカ舌」


 べ、と舌を見せて去っていった。


 は……い……?

 な、なな、なんなの〜!?


 許せない。去りゆく背中を焼き殺すような目で睨みつけた。っていうか許可なく人の物を食べちゃうとか、犯罪じゃん? そもそも誰。あんな男子クラスにいたっけ?


「知ってる知ってる。沢口さわぐちくん。4年の3学期に3組に来た転校生でしょ? ちょい変わってるってウワサだよね」

「てかなに? めちゃこわかったぁ」

「杏子ちゃん、大丈夫? あんなの気にしなくていいからね」


 そうだよそうだよ、とたくさん慰められたけど、私の心に付いたキズは深かった。



 ──ただのホットケーキミックスの塊じゃん。塊じゃん。じゃん。ゃん……。



 初対面の女の子の手作りスイーツに、普通そんなこと言う? 長年仲良しの友達だって言わないよ!


 え、長年仲良し……だから言わない?

 まさか本当は、マズイってみんな思ってたの?


 …………──。


 んん、やめよう。わかんない。それにしたって面と向かってあそこまでボロカスに言うのはひどい。


 チャイムが鳴って友達がみんな席にもどると、私はこっそり袋からフィナンシェ(……フィナンシェって言っていいよね?)をひとつ取り出してかじった。


 昨日出来たてを家で食べた時は、大成功だって喜んだのに。ママもすごいねって褒めてくれたし、パパなんて止まらないなあって4つも食べてたのに。


 噛むほどに、もさもさ。ホットケーキの味って言われたら、もうそうとしか感じない。冷めて硬いし添えるメープルシロップやバターがないぶん、余計においしくない。


「なんなのさぁ……」


 はーあ。泣きたくなっちゃった。ていうか泣いた。泣いてやる。だって悔しいんだもんんん!


 ──コツン。「……った」


 伏せていたら頭に何かが当たった気がして顔を上げた。そこには小さく折りたたまれたメモ紙が。


 そうっと開いてみた。



 ────────


 フィナンシェのていぎ

 ・金ののべぼう型(長方形)

 ・卵白だけを使う

 ・アーモンドパウダーを使う

 ・こがしバターを使う


 バター少なすぎ。パサパサ

 マドレーヌでもない

 まずいホットケーキの味


 ────────



 すぐに閉じてぐしゃりと丸めた。周りをキョロキョロ見るけど朝の会が終わって賑やかになる教室のどこにもその姿はない。


『まずいホットケーキの味』


 く。わかってるよ。うるさいなあ。字がとってもキレイで余計にムカついた。



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