第27話 【挿話】彼と彼女の困惑

 イスヴェニア王城は、用途にしたがって区域が定められている。行政機関がかためられているのは東翼と中央棟の一部で、その付近には人がひっきりなしに行き交っている。

 王国の第二王子であるアルバートは、中央棟に専用の一室をあたえられていた。執務室であり、また接見室の役割も果たす部屋だ。まだ未成年の学生であることから任される仕事の量は加減されているが、とはいえ彼の元にまわってくる業務量は決して少ないとはいえない。

 学園が休日の今日、アルバートは朝から執務室で溜まった書類を処理していた。

 太陽が中天からやや傾いたころに、官吏がやってきて彼に告げた。


「アルバート王子殿下、ルイーズ・グレンヴィル侯爵令嬢がお越しになりました」

「わかった、通してくれ。茶の用意を頼む」


 そう返すと、アルバートはきりのいいところまで書類を読み終えた。椅子を引いて立ち上がり、ソファに腰を下ろす。そしてちょうどやって来た訪問者に顔を向けた。


「グレンヴィル侯爵令嬢、座られよ」

「アルバート殿下におかれましては、ごきげんうるわしゅう存じます。お召しにより参上仕りましてございます」


 ルイーズは濃い緑色の上着を羽織り、内側にはクリーム色のベストを着ていた。ズボンは上着とおなじ色だ。金糸でツタ模様が刺繍された衣装は、彼女の軽やかな美しさを引き立てている。

 アルバートの言にしたがってルイーズが向かいに座ると、彼はテーブルの縁に指をすべらせた。

 魔道具によって、遮音、魔法妨害、視覚妨害の魔法が発動される。視覚妨害は軽いもので、魔法壁の内側にいる者がまったくみえなくなるほどではない。しかし細かな表情までは追えなくなるため、たとえばくちびるの動きで会話を読むことは不可能になる。


「楽にしてくれ、ルイーズ。学園にいるときとおなじ振る舞いでかまわない」


 魔法が働き、アルバートがそう発言したことで、ルイーズの体からわずかに力が抜けた。アルバートがカップに手をのばすと、彼女もそれに追従する。


「ノアのことで話がある」

「そうだろうと思ったよ」


 軽く目を伏せたアルバートの脳裏に、この一か月少々の記憶がよぎった。

 入学初日、アルバートが割り当てられた教室に入ると、一人の生徒が別の生徒に暴言を浴びせていた。聞こえてきた言葉尻から、身分の高い者が低い者を侮辱しているのかと思い、調停するつもりで声をかけた。

 ノアとの出会いは、アルバートにとって衝撃的だった。


(これが、ノア・カーティスか)


 アルバートは、一目で少年が誰かを悟った。

 彼の高圧的な口調には、じつはたいして驚かなかった。学園ではともかく、宮廷において力をもつ貴族が驕慢に振る舞うさまを目の当たりにするのはめずらしくないからだ。

 衝撃が強かったのは、ノアの傲慢さは地位ではなく己にのみ依っているようにみえたことだった。そんな態度を、自らがもつ権力を勘違いした末のひどいうぬぼれだととることもできただろう。しかしそういった輩を数多く知るアルバートにとって、ノアはまったく違ってみえた。

 まずノアの性格の苛烈さに目を奪われたから、容姿への驚きは遅れてやってきた。

 小さな顔は雪のように白く、長いまつ毛の下で深い青の瞳が興味なさげにアルバートを映していた。顔を縁どる髪はつややかな漆黒だ。まだ少年の細い体型だけれど、もろさはなくむしろ抜身の剣のような鋭さを宿している。息をすることを忘れそうなほどの美麗さは、彼が本当に生身の人間かと疑ってしまうほどだった。


(事前情報が間違っていたわけではない。だが、文字で読むことと、本人を目の前にすることのあいだに、これほどの違いがあるのか)


 アルバートと同学年になる生徒たちは、王家によって身元を調査されていた。アルバート自身も、おぼえておくべき相手やおなじ組になる予定の生徒たちについては、身元調査書に軽く目を通していた。だから噂の「ノア・カーティス」がいることは知っていた。

 そもそもノアの学園入りは、塔とつながりのある貴族たちの注目を集めていた。これまで表に出ることがほとんどなかった大魔法使いの少年が、学校生活を送るというのだ。しかも入学を決めた時期が奇妙だった。通常は遅くとも初夏までには行う申し込みを、夏の終わりにねじこんだ。

 夏の小茶会に出席していた子どもたちのうち、すでに学園生だった者や入学を予定していた者のうち少なくない数が、退学や休学、入学辞退を申し出ていた。それが呪いのせいだということは、口にださなくてもみなわかっていた。そんなときに、ノアは学園に入ることを希望したのだ。その意図や理由についてさまざまな憶測がめぐらされたのはいうまでもない。けれど、どの噂も決め手に欠けていた。

 だからアルバートはノア・カーティスに多少の好奇心を抱いていた。けれど性格も見た目もここまで強烈な個性をもった少年だとは、予想していなかった。

 だから興味を惹かれて、隣の席に座った。

 担任の指示で自己紹介が始まった。半数が過ぎたころ、コロコロに太った少年が立ち上がって叫んだ。


『僕、呪われてます!』


 トレヴァーの爆弾発言だった。

 それに続く求愛で、生徒たちは沸き立った。その熱狂に参加していないのは、担任のクラークとアルバート、そしてノアだけだった。

 クラークは教師として生徒たちを見守らなければならず、アルバートは王子として事情が不明瞭な婚約からは距離をとるべきだ。どちらも自分の立場のせいで、トレヴァーとパティに歓声を上げる生徒たちの中に入りはしていない。

 では、なぜノアは座ったままでいるのか。

 ボブとのやりとりから、彼にとっての「卑俗な輩」と群れたくないだけなのかもしれない。そう思ってアルバートが隣をうかがうと、ノアは腕組みをしてトレヴァーたちをながめていた。横顔が、かすかに寂しそうな気がした。その表情は容姿の玲瓏さをやわらげて、彼を年相応の少年にみせていた。

 ノアがそんなふうにみえたのは一瞬のことで、見直すと彼は高慢な顔つきで腕を組んでいた。


(寂しそうなのが本心か、それとも見間違いなのか)


 がぜん好奇心がわいた。

 その後、アルバートが自分が授かった精霊祝福の力がノアに働いていると気づくのに、さほど時間はかからなかった。

 アルバートは、これまでのノアとの時間を思い返しながら、正面に座るルイーズに問いかけた。


「君の目に、ノアはどうみえている?」

「最初は、とんでもなく世間知らずで自分勝手で、アルバートの頼みでなければかかわりたくない坊や、という印象だったね」

「では、いまは?」

「……とんでもなく世間知らずで自分勝手で、アルバートの頼みでなければかかわりたくない坊やだよ……」


 アルバート以外の人目のない気楽さで、ルイーズはテーブルに身を乗り出した。


「なんだよあの子、どうなってるのさ!? 口が悪いのは、まあ、慣れたよ。アルバートの祝福翻訳のおかげもあるけどね。そんな力のないわたしには、ノアくんがどこまで本気でまわりを罵倒しているのかわからない。でも、これだけ接していたら、さすがに彼が性根からねじくれてるわけじゃない程度の判断はできる」

「いい人間だろう、ノアは」


 だから、世間知らずだと愚痴を吐きたいのはノアの性格ではないのだと、ルイーズが吐き出す。


「魔法紋なしで? 詠唱もせず? あらゆる属性の魔法を? 瞬時に使えるって、なにさそのでたらめな力! ありえないって」

「そういいたい気持ちはわかる。よくわかる」

「――ノアくんは、本当に大魔法使いなんだね。あれは、とんでもない才能だ。政治にせよ軍事にせよ、彼の用い方によってはいまの力の均衡が簡単にくずれる。それなのに、どうしてあの子はあんなに無防備なのさ! 下手な輩に目をつけられたら、丸呑みにされて使い潰されるよ」


 ルイーズの懸念は、アルバートも抱いていたものだった。これまでは表に出るノアの活動が塔での研究成果に限られていたから、見過ごされていたのだろう。しかしノアに利用価値があることが判明したら、多くの勢力が彼をとりこもうとするのが目にみえていた。しかもその価値は、尋常ではなく高いのだ。


「魔法だけじゃなく、見目もある。稀代の美女も美男子も、どんな美術品だって敵わない美しさだよ。魔法の才がなくたって、あの容貌だけでノアくんに狂う人間がでてもまったくおかしくない」

「ノアが毒舌だから、学園では人が安易に寄ってこられない。いい障壁になっているというべきだな」

「まったくだね。わたしには、いまもノアくんがなにをしたいのかわからない。だけど、とにかくわたしの意見は、彼の先行きが不穏すぎてあなたがかかわっているのが怖いってことだね」


 アルバートが軽く咳払いをした。彼は微妙にルイーズから視線を逸らせて、ためらいがちに言った。


「今日ルイーズを呼んだのは、二人で話したいことができたからだ。ノアが、なぜオードリー嬢やルイーズ嬢と話をしようとするのかだが、それがわかった」

「ねえアルバート、わたしはこれ以上は聞かないほうがいいという気が、ひしひしとしてるんだけど」

「結論から言おう。ノアは呪いが解けるらしい」


 ルイーズの顔から表情が抜けおちた。手がゆっくり動いて、カップをテーブルにもどす。彼女の手が、自分の腿をぎゅっと握った。


「あのさ、呪いって、いまこの国を騒がせている、のことじゃないよね」

「いや、それだ」

「解く方法どころか、呪いの詳細さえつかめていないらしいね。それを、ノアくんが、解ける?」

「ノアはそう言った」


 二人の視線がぶつかる。

 王子と侯爵令嬢は、すぐに顔をそむけ合った。

 アルバートが虚ろな目を天井に向ける。ルイーズは両手で顔を覆って、身を二つに折った。

 魂が抜けたような沈黙が下りる。


「……彼がそう言うなら、きっと、できるんだろうね」

「おそらくな……」

「正直にいえば、少しくらいは予想をしていたよ。ノアくんが学園でやろうとしていることは、呪いに関係しているかもしれないってね。だけど、解呪できるとまでなると……」


 パンッと両手で自分の脚を叩くと、ルイーズはアルバートの方に身を乗り出した。


「アルバート王子、もはや看過できません。これは、あなたお一人の胸の内にしまっておくべきものではない。会議を招集し、事態を国に預けるべきです」


 アルバートが乾いた笑い声をたてた。


「うん、私もそう思うよ。だが、しない」

「なぜです」

「ノアが、本当に解呪できるのかどうかを、確認しなければならないだろう」


 ルイーズがソファに座り直し、うさんくさそうな視線をアルバートに向ける。


「本心は?」


 国を関与させたうえで、解呪の確認をすることもできる。そのほうが効果検証をするにも確実だ。それを拒む理由はなんだと、ルイーズが暗に問いかける。


「ノアの力を国に相談した場合、彼はどうなる?」

「本当に解呪ができるなら、その方法を聞き出されるでしょうね。答え方しだいで、彼のあつかいは変わるでしょう。国を救う英雄とみなされるか、情報を隠匿していた非道な悪魔とみなされるかは、現段階では不明です」

「もしノアが、方法を話さなかったら?」

「それは可能でしょうか。大魔法使いとはいえ、彼は普通の少年だ。情報を引き出すことに慣れた者にかかれば、話をさせる手段などいくらでもあるはずです」


 懐柔、脅迫、精神系の魔法、あるいは拷問。物騒な手段をとることを厭わなければ、ただの子どもから情報を搾り取ることなど容易いとルイーズが指摘する。


「昨日、ノアから話をきいた。そのなかで、ルイーズに伝えられる部分を言おう。まずノアは、自分以外の者に呪いを解かせる気はなく、だから方法を教えるつもりはないという。また解呪には、いくつかの縛りがある」


 自分が知り得た、そしてノアがルイーズに伝えても大丈夫だといった情報を、アルバートが口にしていく。彼が話し終わるころには、彼女は頭を抱えていた。


「どうして、そんなややこしい縛りがあるんですか」

「ノアは、制約があったほうがおもしろいからだと言った。私は、それだけではない事情があるだろうと踏んでいるが、それがなにかはわからない」

「それで、あなたは彼の代理人になることを引き受けられたと」

「私以外に引き受けさせるわけにはいかないからな」

「アルバート王子、わたしはこの件から手を引いてもいいでしょうか」

「駄目だ」


 にべなく拒絶されて、ルイーズが恨みがましくアルバートを見る。


「ただの侯爵家の娘には、荷が勝ちすぎています」

「私はノアを友とし、手を貸すつもりだ。それでも王族としての一線を見誤るつもりはないが、どうしても主観になるからな。ほかの人間に見ていてほしい」

「それが、わたしですか」


 アルバートは、うなずいたあとルイーズに真摯に告げた。


「駄目だといったが、もし本気でルイーズにとって負担が過ぎるというなら、いまこのときから君を用いることをやめよう。また、この件で君が不利益を被ることはないと約束する」


 選べというように、アルバートがことばを切る。

 ソファにもたれたルイーズが、長い脚を組んで前髪をかき上げた。苦いものを飲みこまなければならないときのような渋面になっていた。


「やるよ。あんな危なっかしい子を放ってはおけないだろう。わが国の第二王子がかかわっているなら、なおさらだ。だけど呪いまで噛んでくるとなると、愚痴をいって逃げたくもなるさ」

「ルイーズなら、そういってくれると思っていたよ」


 アルバートが、高位にある者特有の余裕のある微笑みを浮かべる。ルイーズは渋面のまま、諦めたように肩をおとした。


「では、まず場所を貸してくれるよう説得してほしい相手がいる。理由と日取りは――」


 協力すると決めた以上、ルイーズがアルバートからの仕事に否を唱えることはなかった。

 この日の二人の判断が凶と出るか吉と出るか、未来はまだ霧の中にある。

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