第24話 精霊シンティラーレ

 グラン・グランの呪いを解くことが、いまの俺の目標だ。

 最初に解く相手は決まった。次はどうやって解くかだけど、これが悩みどころだった。解き方じゃなくて、それまでにかかるだろう手間がだ。

 夕食が終わって自分の部屋にもどった俺は、椅子に座って深呼吸をした。どうすればいいのかわからないから、とりあえず呼んでみよう。


「おい、シンティラーレ! いるなら、顔をみせろ」


 王城で契約をして以来、精霊シンティラーレと話をしたことはなかった。シンティラーレがどこにいるのかは俺の想像の範囲を超えてるけど、必要なときは応えてくれるような気がしてた。


「きさまの契約者が面会を求めているんだ、さっさと――」

「せっかちな男は嫌われるよ?」


 突然、鼻先に精霊が出現した。大男の手のひらくらいの背丈で、全身が光でできてる。足元まである長い髪も、目がつぶれそうなくらいきれいな顔も身体も、ぜんぶ記憶にあるとおりだ。


「他人の好悪を気にするほど下らんことはないな」

「私は、きみの物言いがそのままでもべつにかまわないけどね。とはいえ、話が進みにくそうだ」


 シンティラーレの髪がふわっと広がった。一瞬、部屋中に彼女の光が満ちたみたいに思えた。髪が元通りになっても、部屋の空気はどこかまぶしく感じられた。


「呪いの解呪は進んでいないようだね」

「たしかに解けてはいないけど、調査は進んでますよ……あれっ」


 いま俺、自分が思ったとおりに話したよね!? 天下御免の傲岸野郎じゃなくなってる!


「この部屋を私の領域にして、呪いを無効にしたよ」


 そういえば、シンティラーレと最初に会った変な空間でも俺は魔法が使えなかった。ということは、いまの俺にはグラン・グランの呪いが効いてない!


「あー、あー、あー。これまで俺が罵倒したみなさん、ごめんなさい! 俺、同級生のみんなと仲良くしたいです。ティリー、いつもありがとう。……うわあ、素直にことばが出てくる、うれしい!」


 椅子から飛び上がって、いきおいで床をピョンピョン跳ねた。呪いがかかってないって、すばらしい。早くみんなも呪いがかかってない状態にしたいなあ!


「そんなにうれしいんだ? 呪いがかかってるのも、あれはあれで楽しんでいるようにみえたけど」

「まさか! あの性格のせいでどれだけの人が迷惑してると思うんですか。俺の『ごめんなさい帳』は、毎日更新されてもう二冊目ですよ!」


 シンティラーレが笑うと、まわりの空気が楽しそうにパチパチ光る。


「それはともかく、あなたに訊きたいことがあるんです」


 呪いを解くときに、俺のことを本人に知られちゃいけない。もし、その人に俺が解呪したってバレたら、俺がその呪いにかかる。

 これは精霊契約の条項のひとつだった。どうやって呪いを解くべきかずっと考えてて、ふとこの部分に引っかかったんだ。


「解呪できた時点で、俺はその呪いの解き方がわかってるでしょう。だから他人の呪いを受けても、俺は自分で自分を解呪できるんじゃないかって」

「無理だな」


 あっさりと首を横に振られた。


「呪いは、他人に内容を知られたら一生解呪できなくなるだろう。それとおなじものがこの契約にも織りこまれてる。つまり、元の呪いに『一生解けない』という魔術式が組みこまれた、より強力な新しい呪いにかかったことになると思えばいい」


 がっかりして、膝から力が抜けて椅子に座りこんだ。これ、契約の抜け道になるかと思ったんだよ。相手を解呪できた時点で俺はその魔術式がわかってるわけだから、自分にふりかかっても解けるだろうってさ。

 シンティラーレが顔のまわりを飛びまわる。


「頭をひねったようだが、残念だったな。ああ、だが手がないわけじゃないか。解呪できなくなる呪いも、しょせんは魔術式だ。だからおまえがそれを無効化すればいい」


 シンティラーレが、すごーく意地の悪い笑みをうかべた。


「ただし『一生解けない』の呪いは、箱の中の他の呪いと比することもできないほど高度で、しかもひねくれた魔術式だ。いまのおまえじゃ手に負えないよ」


 この精霊は、俺の魔法についてどれくらい正確に把握してるんだろう。けっこうきっちり見極められてる気がする。その彼女がこう言うんだから、たぶん正しいんだろう。ということは、俺はグラン・グランの「一生解けない」の呪いを解くことはできない。

 小さな手が、俺の頭をなでた感覚がした。


「でも、おまえはものすごく若いからなー。今後の成長によっては、解けるようになるかもしれないぞ」

「ちなみに、どれくらい成長したらいいんでしょう」

「それは、おまえしだい。一年かもしれないし、百年かもしれない」


 つまり、現状じゃ期待しないほうがいいっていうことだな。


「じゃあ、次の質問です。俺が他人の呪いを解いたら、その呪いは終わりになりますよね。それ、俺以外の人が呪いを解いちゃったらどうなるんです?」

「『ノア・カーティスが呪いを解くこと』が条件だろう。おまえ以外のヤツが解呪したら、『ノア・カーティスが呪いを解かなかった』のとおなじで、成人の儀のあとにおまえがその呪いにかかるな」


 これもダメかあ。

 俺が呪いの種類を判定して、解呪方法を考えて、実行だけ他の人にやってもらったら、誰が解いたのかわかりにくくなると思ったんだ。


「もう一つ。俺が精霊と契約したことは、他人に話したらダメでしたよね」


 精霊契約は神聖だから、みだりに言いふらすことじゃない。有名な昔話で、ある村男が精霊契約を結んだけど、それを威張って自慢しまくったせいで災難に遭うっていうのがあるくらいだ。

 俺もシンティラーレから、精霊契約のことを話したら新規の呪いをかけるっていわれた。


「でも、精霊と契約したことじゃなくて、契約の中味だったら教えても大丈夫ですか」

「たとえば?」

「俺は、呪われた人に、俺が解呪したと知られたら、その呪いを受けなきゃならない。じゃあ俺が呪いを解くとき、そういう制限があるんだって他人に話したらどうなりますか?」

「ああ、そういうことか。なるほどね。それが『精霊契約』によるものだと知られなければ、いいことにしよう」


 俺の意図を悟ったみたいに、シンティラーレがくすくす笑う。こっちの考えなんてお見通しで、高みの見物なんだろう。

 次にとる手はだいたい決まった。でもこれ、実行するのに覚悟がいるなぁ。

 ベッド脇のサイドテーブルには水差しとコップが乗ってる。シンティラーレが指先で水差しの縁を叩くと、シャランときれいな音がした。その音色にあわせて、なめらかな喉からガラスの鐘を振るようなきれいな歌声が響いた。


   少年と 行かば血まみれ茨道

   少女は存外お優しい

   妹 ひらくは びっくり箱

   魔法狂 竜のあぎとへ誘わん

   王さまに 父さま母さま貴族に平民 塔にひしめく魔法使い

   みぃんなクルクルまわるだけ!


 ただ耳にしたなら、たんなる思いつきの歌に聴こえただろう。だけどその歌詞は、いままさに俺が悩んでたことだった。


「さあ誰の手をとるか。といっても、卵クンの心はすでに定まっているようだが」


 前にも、大魔法使いの卵って呼ばれたな。


「卵って、俺ですか」

「私は、真の大魔法使いを何人か知っているからな。おまえは能力だけをみればたしかに大魔法使いだが、力の使い方という意味では、まだ卵の殻を割れてさえいないよ」

「俺は、魔力の発動のさせ方がちょっと人と違うだけの、ただの魔法使いですからね」

「ふうん?」


 シンティラーレが、納得してないようなからかうような、とにかく嫌なかんじに小首をかしげる。気になるけど、ろくでもない答えしか返ってきそうになかったからなにも訊かなかった。

 水差しが、さっきとおなじ曲を奏でる。

 少年か少女か妹か、もしくは魔法狂かぁ。


「俺の心は、たしかに、まあ決まってる……かな」

「わざわざ困難を選ぶか。ハハ、私は大歓迎だ。おまえが慎重すぎて、ぜんぜん動きがないから退屈していたところだ」


 俺におもしろいことを求めないでくださーい。俺は、誰にどんな呪いがかかってるのかを調べるだけで手いっぱいでーす。

 シンティラーレが、俺をじろじろ見まわす。


「しかしおまえは、見事に小者だなあ」

「うわ、急に悪口をいわれた」

「いやいや、いっそ感心しているんだ」


 勝手なことを言うシンティラーレの髪が伸びて、俺の全身が覆われた。

 突然、視界が際限なく広く大きく開けた。

 これまで見てきたこと、知ってきたことのすべては、いま俺がいるこの高みからすると、あまりにも稚拙だった。どうして、あんな下らない場所で俺は満足できたんだ。目がまったく見えていないに等しかった。頭を自分から泥沼に突っこんでいたようなものだった。

 俺がいる場所が天だとすれば、ほかの人間はまだその泥沼の底にいる。自分が汚泥しか知らないことさえ、知らないでいる。それは哀れな幸福だった。


「死が、恩寵になるか」


 存在を抹消してやることは、罪と無知の沼で蠢く輩にしてやれる唯一の慈悲なのかもしれない。あの救いようのない者どものうちのもっとも優秀な者でさえ、かすかに理解することができるのは、己が到達し得ない高みがあることだけだ。知っているのに手に入らないのは、死に勝る絶望だろう――。

 シンティラーレの髪から解放された。

 同時に、自分が変な考え方をしてたことを自覚した。なんだ、どうして俺は、あんな万能感にひたってたんだ。自分だけがなにもかもを知ってるって思ったんだ? ほかの人とは、人間と虫以上の開きがあるって思ったんだ? 殺してやるのが優しさだし、万が一俺の邪魔になるようなら、石ころを取り除くみたいに抹消して当然だって思ったんだ?


「それが、おまえがかかった呪いの標準形だ」

「標準形……?」

「おまえの呪い『神のように振る舞う』は、性格によって効果に強弱が出る。それでも、普通の人間ならいまおまえが味わった程度の状態にはなるはずだ。それなのに呪いの発動がガキの悪態くらいにしかならないんだから、おまえは小者なんだよ」


 むう、俺の気が小さいから、呪いも小さくしか作用しなかったってことか? たしかに、さっきのままだったら傲慢に振る舞うどころじゃなくて、世界は俺のものって気分だったけどさ。それなら弱く作用してよかったっていうべきかもしれないけど、小者といわれて素直に喜ぶ気にもなれないぞ。


「それとも、バカみたいなお人よしと言ったほうがいいか? 甘ちゃんのお子さまとでも?」

「なんでもいいですよ、俺はたしかに小心者ですからね!」


 腕組みをして顔をそむけたら、「おや、すねた。ハハッ」って笑われた。からかわれたんだから、すねたっていいだろう。


「さて、訊きたいことはそれで全部か?」

「あ、まだありませす。ただ、これは俺の好奇心だから、呪いとは関係ないんですが。王家と契約してる精霊って、シンティラーレなんですか?」


 アルバートは精霊の祝福を受けてるっていった。だから訊いてみたんだけど、シンティラーレは首を横に振った。


「まさか。イスヴェニア王家と契約してるアレは、過去ばかりみてる大変鬱陶しくて面倒くさいヤツだ。あんなのと一緒にしないでくれ」


 王家の精霊って、そんなかんじなのか。俺が関係することはないだろうから、どんな性格でもいいけどさ。

 知りたいことはだいたい教えてもらった。それで気が抜けたせいか、つい愚痴がこぼれ出た。


「ところでグラン・グランの呪いの名前って、どうしてあんなのなんです」

「あんなのとは?」

「すごく適当っていうか。たとえば『カッコよさをこじらせる』って、いったいどんな状態なんです? もっとわかりやすい名前にしてくれたら、呪われた人のめぼしもつけやすいのに」


 俺が知ってるのは、グラン・グランが呪いにつけた名前だけだ。それが発動したとき、実際にどんなふうに作用するのかっていう情報はない。そしてグラン・グランの命名は、いったいどんな呪いになるのかわかりにくいものが多いんだよ。


「それは、しかたないだろう」

「どうしてです?」

「あの黒箱はゴミ箱だぞ。あそこに入っていたのは、試しに組んで、実用化まではさせなかった魔術式ばかりだ。目安として名前をつけただけだから、適当なものだって多いだろう。ほかの人間にみせるつもりはなかったんだ、呪いの名前は自分用の覚書だよ」

「『神のように振る舞う』もですか」

「アイツは、神はとんでもなく尊大で傲慢で腹の立つ存在だって信じてたからな」


 うわあ、そうだったんだ。だから俺、こういうふうになったんだ。じゃあグラン・グランの神のイメージが「衆人をあまねく愛する」だったら、俺はいまごろ博愛の人ノアくんになってたわけだ。

 それ以上訊きたいことはなかったから、俺はシンティラーレに来てもらったお礼をいった。そしたら小さなちいさな指が、ツンッて俺のくちびるをつついた。


「シィレ」


 舌が勝手に動いて、そう言った。

 精霊が胸の前で両手を組んで、にこっと小首をかたむけた。


「これからは、シィレって呼んでね」


 俺がざざっと三歩下がったら、不服そうに頬をふくらませる。


「なんだ、たまにはかわいらしく振る舞ってやろうと思ったのに」

「いいです、急に性格を変えられたら、そっちのほうが怖いです」

「おもしろみのないヤツだな。とにかく、今後は私のことをそう呼ぶといい。私の名なんて、人が好きにつけたものだがね。ノアとはグラン・グランが縁をつないだ。シンティラーレも、シィレも、グラン・グランが呼んでいた名だ」

「わかりました。これから、用があるときはシィレって呼んだら来てくれますか?」

「おまえとは契約を結んでいるからね。よほどのことがない限り、呼びかけには応えるよ」


 だからって気軽に声をかけるつもりはないけどね。だって相手は精霊だ。気まぐれに、なにをされるかわかったもんじゃない。

 シィレは、成果を期待しているといって空気に溶けて消えた。

 つかれた。

 初めて自分から精霊を呼んで、話して、思ったより緊張してたみたいだ。これ以上起きていられる気がしなくて、ベッドに倒れこんだ。次の朝、ティリーから「兄さま、寝坊!」って襲撃を受けるまで、俺は寝間着に着替えもせずスカンと眠ったのだった。



*****



 翌日、授業が終わると俺はアルバートと碧の間に行った。

 ルイーズ嬢には、今日は顔を出すのを遠慮してもらった。アルバートと二人だけで話すことがあるからだ。だからテーブルに向かい合って座ったあと、彼は俺が口をひらくのを待ってた。

 今日一日、アルバートに話す内容のことで胃がキリキリしてた。でも、ほかの選択肢は思いつかないんだよ。だから、この部屋に入ってからは腹をくくってた。

 そうそう、念のために盗聴防止魔法をかけておこう。これは防音壁を作るものと、魔法干渉を防ぐものとの複合魔法だ。


「いいか。これから話すことは絶対に他言無用だ。それから、俺が話し終わるまでその不格好な口は閉じたままにしておけ」


 俺の緊張が伝わったのか、アルバートが真剣にうなずく。

 小さく深呼吸してから、俺は言った。


「俺は、グラン・グランの呪いを解くことができる」

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